ピーター・トレメイン『死をもちて赦されん』(2)

当時のアイルランドのキリスト教聖職者の間では結婚や出産は“罪”とはされていない。多くの僧院では信仰に生きる修道士と修道女が共に暮らし信仰を広めていた。ローマ派のキリスト教も十二信徒の中の最高位にある聖ペテロでさえ結婚していたことを認めている。にもかかわらず一部の禁欲主義者のみが、あらゆる肉の誘惑を否定しようとしていた。本書に出てくるコルマーン司教もそういう人間である。会議が行われる修道院のヒルダ院長とコルマーンが話しているとき、扉が開いて若い尼僧がすっきりと立っていた。コルマーンはフィデルマの名声を知っており丁寧に挨拶するが、院長はどういうことかと聞く。そこで初めてフィデルマの地位について説明がある。(日本の読者は先に長編3册と短編2冊を読んでいるからよく知っている)院長は当地ではそういう地位は男性のみがついているというと、アングルやサクソンでは女性がかなり不利な立場に置かれていることを知っているという答え。

フィデルマが考え事をしながら歩いていると曲がり角でがっしりした僧にぶつかるが、強い手に支えられる。互いに見つめ合ってその刹那、不可思議な作用がふたりの間に生じる。ローマ式の剃髪をしているからサクソン人であろう。これがフィデルマとエイダルフの最初の出会い。
フィデルマが自分の部屋へ入ると美しい女性が手を差し伸べた。エイハーンは王家に連なる娘だったが夫と死に別れたあと宗門に入った。いまは教養と弁論の才でキルデアの修道院長になっている。エイハーンは愛する人ができたので一修道女にもどってその人と暮らすと決めたと話す。フィデルマはある意味で、羨望を覚えた。

教会会議シノドがはじまる。フィデルマはこれほどの聖職者たちが集まっているのを見たことがなかった。やがてノーサンブリアの王オズウィーが入ってきた。会議中に日蝕がはじまり動揺する人が多い。フィデルマにとって天文学は常識である。光がもどり会議が再開したとき慌ただしく修道女が入ってきた。そのあとでフィデルマは王と院長に呼ばれる。咽喉を切られたエイハーンの死体が発見されたのだ。
王オズウィーは事件を調べることをフィデルマに頼む。そして助手としてエイダルフの名前をあげる。二人が出て行くとコルマーンが「狼と狐を一緒にして野兎を狩り出させるようなものだな」と呟くと、ヒルダ院長は「どちらが狼で、どちらが狐と見ておいでなのか、お伺いしたいものですわ」と返す。
かくて二人の共同捜査がはじまるが、この事件は恐るべき連続殺人の幕開けであった。
(甲斐萬里江訳 創元推理文庫 1200円+税)

ピーター・トレメイン『死をもちて赦されん』(1)

長編小説(1)「蜘蛛の巣 上下」(2)「幼き子らよ、我がもとへ」(3)「蛇、もっとも禍し 上下」を読んで感想を書いているが、(3)の感想をまだ書いてなかった。もう一度読んで書かなければ・・・。短編集(1)「修道女フィデルマの叡智」は感想を書いているが、(2)「修道女フィデルマの洞察」はまだ買っていない。ということは読み直して書かねばならぬのが1冊手元にあり、これから買って読まねばならぬのが1冊あるということだ。

今回読んだのは最新刊の「死をもちて赦されん」で、〈訳者あとがき〉で説明しているけど、本書はフィデルマシリーズ最初の作品である。7世紀アイルランドという特殊な舞台を描いたこのシリーズを訳するにあたって、日本人読者にわかりやすいと思われるものから訳したそうである。だから「蜘蛛の巣」を読んだとき、フィデルマとエイダルフは旧知の間柄であった。

シリーズ第1作の本書で登場するドーリィー(法廷弁護士)のフィデルマは、男性4人ともう1人の女性との旅の途中で木に吊るされた修道士の遺体を見つける。そこで会った修道士と修道女にこの国の状態を聞く。この国を治めているのはオズウィー王だが、息子は新しい妻を迎えた王に向かって敵意を抱いているようだ。フィデルマはアイルランドでは身内の中でもっとも優れた者が後継者になるが、サクソンでは長男が相続するのが理解できないとため息をつく。
突然目の前に海が現れ水平線が彼方に広がる。旅の終わりだ。ストロンシャル修道院の黒い建物が見える。

サクソン人のエイダルフ修道士は船でやってきた。彼は世襲の代官の地位を継ぐべきところを20歳のときに背を向け、古の神々への信仰を捨ててアイルランドから伝えられた新しい神に帰依した。アイルランドのダロウの学問所で学び、医術と薬学に興味をもった。アイルランドともブリテン島のものとも違うローマのキリスト教が違うのに気がつき、ローマへの巡礼に出かける。その結果、ローマ教会のキリスト教原理に献身しようと決意した。
いまエイダルフがやってきたのは、国内外から聖職者がウィトピアへと集まって来つつあるストロンシャル修道院である。帆船は聳え立つ断崖に次第に近づいていく。

【アイルランド・カトリック教会の信徒とローマ派の聖職者の間では、両者の教義をめぐり、長年にわたって論争が戦わされていた。その軋轢が今、ブリテン島において解決されようとしているのだ。】
(甲斐萬里江訳 創元推理文庫 1200円+税)

マイケル・コックス『夜の真義を』のお屋敷

「夜の真義を」の主人公エドワード・グラブソンは幼年時に大きな屋敷に連れて行かれたことがあった。そのときの印象を大人になっても覚えている。
いま好意をもって遇してくれているタンザー卿の秘書に伴われて訪れたのは、タンザー卿の大きな屋敷である。エドワードはこここそ子どものときに行った場所だと確信する。すばらしく美しい敷地に建つ屋敷である。〈訳者あとがき〉によると、マイケル・コックスは本書を書くにあたってイギリスの三つの実在の場所を参考にしたとある。
そのひとつが〈ストップフォード-サックヴィル家の私邸〉とあるのに気がついた。サックヴィルだったら覚えている。ヴァージニア・ウルフの「オーランドー」だ。ウルフの親友で恋人だったヴィタ・サックヴィル・ウェストの屋敷。ヴィタの息子ナイジェル・ニコルソンが書いた「ある結婚の肖像」にも出てきたわと思って本を2冊出してきた。写真がある。このお屋敷が〈ストップフォード-サックヴィル家の私邸〉であるかどうかはわからないけど、とりあえず素晴らしく大きな屋敷なので、ここと思って屋敷を訪れるシーンをまた読むことにする。
今夜はせっかく出してきたことだし、「オーランドー」を広げてヴィタとヴァージニア・ウルフのことを偲ぶか。
(越前敏弥訳 文芸春秋 2619円+税)

マイケル・コックス『夜の真義を』

主人公エドワードが語る長い物語のはじまりは1854年秋のロンドン。エドワードは標的に選んだ見知らぬ赤毛の男をナイフで刺し殺す。この殺人は本当に殺したい男を殺すために試しただけだ。エドワードには本当に殺したい男がいる。いままでの人生のすべてを邪魔をした男、恋した女まで奪った男を生かしておけない。
イートン校からの親友ル・グライスとは心を開いてつきあっている。彼といっしょに酒を飲みうまいものを食べているとくつろげる。最近の様子を心配するのでこれまでのすべてを話したが、最後の決心は明かせない。

エドワードはドーセットで作家の母親と貧しい二人暮らしの生活をしていた。12歳の誕生日に母は木箱を持って「これは貴男のものよ」と言った。その箱には革袋に入った金貨が2袋入っていた。エドワードはこの贈り物は一回だけ会った悲しげな目をしたミス・ラムからのものだと思う。その上に母の親友がイートン校で学ぶように手続きもしてあるという。こうしてイートン校へ入学して成績もよく楽しい学生生活を送っていた。

彼の一生が狂ったのは学友のフィーバス・ドーントの奸計によって無実の罪をきせられ放校されたときからはじまった。
ドーントは貧しい牧師の息子だが、母が亡くなったあとに継母に寵愛される。父のドーント師はタンザー卿の領地の教会の仕事や屋敷の図書室の仕事をするようになる。継母とフィーバスは子どものいないタンザー卿に取り入る。その上にフィーバスは文才があり文筆家として人気が出る。

こうして明暗を分けた二人の人生だが、フィーバスの野心はエドワードがこの世にいることが邪魔で、あらゆる手段でエドワードの人生を踏みにじろうとする。

ディケンズの「荒涼館」を思い出した。イギリスの貴族の奥方はすごい。またバイアットの「抱擁」も思い出した。やっぱり芯の強い女性だ。エドワードの母も「抱擁」のレズビアンの詩人も自分が産んだ子どもを他人に託す。
(越前敏弥訳 文芸春秋 2619円+税)

マイケル・コックス『夜の真義を』をようやく読んだ

本書が3月10日に出ると知ったのは1月の末ごろだったかな。編集者がツイッターに熱く書いておられたのを読んで、好みや〜と思い、そうRTしたらフォローしてくださったといういきさつがある。10日になる前に読んだという書き込みがあったので、8日に姉の家に行った帰りクリスタ長堀の本屋に寄ってみたら、あった! でもそのときは「忘れられた花園 上下」を読みおわったところで、感想をあわてて、しかし丹念に2日かけた書いたのだった。
ようやく確定申告をすませ、10日の夜はOKI DUB AINU BANDOの演奏を聴きに行って、翌金曜日はゆっくりと仕事していたら地震があって津波が襲っていた。それに加えて原発事故が起こった。
そしてこの週は会報作り。時々刻々という感じでメールが入りミクシィとブログの書き込みがあって、それへの返信と会報への転載とで慌ただしかった。いらぬ雑事もあって時間と気持ちをとられた。ほんまにようやった1週間だった。前置き長過ぎ。

そんなことで、なかなか「夜の真義を」に取りかかれなくてあせったが、読み出すと現実を忘れて熱中していた。
ディケンズの時代の物語である。作中にディケンズの連載小説が載っている週刊新聞を待っているところがあった。ディケンズに捧げるみたいな気持ちがあるような気がした。ロンドンの霧、ロンドンの倶楽部、ロンドンの売春婦、ロンドンの食べ物、ロンドンの暗黒社会といちいち言いたくなるくらいに、ロンドンが描かれている。
だけど、本書に描かれているのは、現代人の精神の病いではないかしら。最初のシーンで主人公が見知らぬ男性を刺し殺すシーンの不条理は、19世紀に生きている人々を描いているのに〈いま〉(2006年イギリスで刊行)の感覚だ。
権威も良識もある人物から認められ好意をもたれる知性のある青年なのだが、彼の思いはただひとつ、仇を討つことに集中している。大学から放逐されるよう仕組れたところからはじまり、これでもかと押しつぶそうとする相手の禍々しさ。恋する相手さえも奪われるのだが、彼女は奪ったほうの男を愛していて彼をだましていた。
あらゆるものについての細かい描写に心を奪われつつ読んでいき、最後になって現代人の孤独な精神の物語なのだと気づいた。
(越前敏弥訳 文芸春秋 2619円+税)

マドンナ 作 ガナディ・スピリン 絵『ヤコブと七人の悪党』

図書館で最初に借りたのは英語版だった。まず絵が素晴らしいのに引き込まれて、眺めているうちにこの絵の意味はなんやろと思った。子ども向けとはいえ文章が多くて、こりゃ読むのは無理だなと思っていたところ、図書館に日本語版があったので読むことができた。

カバーの裏側にマドンナの言葉「この本は、18世紀のウクライナに実在した偉大な師、バール・シェム・トヴの話をもとに書かれました。(中略)どうか、影の後ろには光があるということをけっして忘れないでください。」がある。

中世の感じの建物と道を行く馬車の美しい景色を見ながら靴職人のヤコブが働いている。彼には妻と息子ミハイルがいるが、息子は病気で医者から見放されている。ヤコブは村はずれに住む賢者に最後の手段として息子の命を助けてくれるように頼みにいく。
賢者の祈りだけでは助けることができず、賢者は町の悪人どもを連れて来て祈るように導き、ミハイルの命を救う。

絵だけを見ていたときは悪人どもがわからなかったし、そのうちの一人ボリスが裸足で、最後に靴を手に持っているのがわからなかった。賢人は自分の息子バベルのためにヤコブに靴をつくってもらう。脱いだバベルの靴をボリスが盗むのだが、反省して返しにもどってくる。その靴は君にあげるとバベルは言い、生まれてはじめて「ありがとう」とボリスは言った。

このストーリーさえわかっていれば英語版のほうがずっといい。タイトルの絵と文字の組み合わせが良すぎる。物語は教訓的だが絵が素晴らしい。
(角田光代訳 集英社 1900円+税)

ミステリマガジン4月号はジョー・ゴアズ追悼特集

明日25日は5月号の発売日なので書いておこう。ツイッターで売り切れ書店続出というツイートを読んで、慌ててジュンク堂へ行ったのは3月のはじめごろだったか。特集がふたつあって、わたしの読みたいのはジョー・ゴアズ追悼特集なんだけど、売りは「高橋葉介の夢幻世界」なのだ。たった1冊しかなかったのには驚いた。だからツイッターにもわざわざ「ジョー・ゴアズ追悼特集」だから買ったと念押し(?)ツイートしといた(笑)。

特集にはゴアズの短編小説がひとつと、追悼エッセイがふたつある。木村二郎さんの「ハメットを追いかけた男」と小鷹信光氏の「ビッグ・ジョーの思い出のひとかけら」。ゴアズという素晴らしい作家を亡くしたさびしい思いが伝わってくる。
わたしはゴアズのファンで作品はわりと読んでいるほうだと思う。机のそばに「スペード&アーチャー探偵事務所」を置いてあってときどき読む。「ダン・カーニー探偵事務所」ものも大好きだ。ここに出てくる女性たち、キャシー・オノダやジゼル・マークがとてもいいのだ。このシリーズは出版社が違ったりしているがずっと読んできた。

ここに紹介されている短編「黄金のティキ像」(木村二郎訳)は、都会派とゴアズを思っていたから驚いた。フランス領タヒチ島パペエテ港でフェロは「きょうの冒険の問題は、冒険がないことだ」と言う。背が高くて胸板の厚い純血タヒチ人のマチュアがにやっと笑って答えかけたのをさえぎって、大男が声をかけた。船を貸し切りにし黄金のテイキ像を海中で探す仕事を大金を払うからと持ちかけられて、二人は応じる。思いがけない場所の設定だが、ゴアズらしい骨太の作品。〈冒険児フェロシリーズ〉だって。
(ミステリマガジン2011年4月号 800円+税)

ジュディ・バレット/文 ロン・バレット/画『マクドナルドさんのやさいアパート』

おもろい絵本だ。カバー折り返しに〈ナンセンスの名作「どうぶつに ふくを きせてはいけません」「くもり ときどき ミートボール」のコンビがおくる、びっくりぎょうてん絵本〉とある。

マクドナルドさんは奥さんと古いアパートに住んで管理人をしている。持ち主はレンタルさん。マクドナルドさんの仕事は掃除や暖房を入れること。彼が住んでいる部屋は1階の薄暗い隅っこの部屋。窓はすっかり生け垣に覆われて部屋に光が入らず、奥さんの大切なトマトの鉢植えがしおれてしまった。思い切って生け垣を取り払うとトマトが元気になったので、生け垣のあとに地植えする。ある日、3階の人が引っ越していった。がらんとした部屋でマクドナルドさんは野菜を植える。その下の階の部屋の天井からサツマイモがにょきにょきぶら下がる。キュウリやジャガイモやニンジンや・・・あきれて次々に住人が引っ越していき、アパートはだんだん農場になっていく。牛や鶏も飼って4階建てアパートは4階建て農場に。レンタルさんはアパートの前に小屋を建てて野菜売り場とする。
「やさいは ますます げんきに そだち、マクドナルドさんたちは みんな しあわせにくらしましたとさ」
(ふしみ みさを訳 さくほく社 1300円+税)

ケイト・モートン『忘れられた花園 上下』(2)

ネルはヒューに発見されたとき白い子ども用トランクを持っていた。トランクは船上で知り合った子どもたちの親が開き、封筒に入った紙幣を盗む。ネルを見つけたヒューはトランクを隠したままだったが死ぬ前にネルの手にもどした。開けると着替えなどの下に1冊の絵本(イライザ・メイクピース作のお伽噺)が入っていた。
そのトランクをネルの孫娘のカサンドラが子どものときに見つけたことがあった。ネルが亡くなってから家を捜し見つけ出す。このトランクで葬儀のあとにネルの妹たちから21歳からのネルの変化を聞いていたのを納得できた。ネルの過去がつまったトランク。

ネルの死後、ネルと親しかったベンが封筒を持って訪れる。家や預金をカサンドラに遺すという他にイギリスのコテージを遺すという遺言状が入っていた。
ネルがイギリスを訪れてそのコテージを見ているときに、庭園で小さな少年がひとり遊んでいた。母を癌で亡くしたばかりのクリスチャンである。ネルはまた訪れるまでこの庭を守っていてねと頼むがまた訪れることはなかった。

カサンドラが木を切るのに庭師を頼むと親方の兄とやってきたのがクリスチャンだった。静かな彼はできるだけ毎日来て手伝うという。
カサンドラはネルのメモを精読し、図書館で調べ、イザベラのいとこで邸宅の令嬢ローズと夫の画家ナサニエルがネルの親と思う。しかし、実はもっと複雑な事情があった。

ネルのあとを継いだカサンドラによって、さまざまな葛藤が解けていく。そして隠されていた庭園が受け継がれ息づいていく。

過去と現在が交錯する物語は「抱擁」を思わせるし、お屋敷は「秘密の花園」だし、1900年代のロンドンの場面はディケンズを思い起こさす。すごく楽しんで読んだ。
途中に挟まるイライザによって書かれたお伽噺の章が飾り罫で縁取られ、書体も古風でルビつき。まるで元の本から写したよう。
(青木純子訳 東京創元社 上下とも1700円+税)

ケイト・モートン『忘れられた花園 上下』(1)

東京創元社のメルマガで本書の紹介を読んだときピピッときて、書店に並ぶのを楽しみに待っていた。単行本2冊だし勘が当たらなかったらどうしようと思ったが買って正解だった。すごく楽しく熱中して読んだ。あまりにも先を急いで読んだので、またはじめから読み直す始末だ。

1900年と1913年のロンドンとオーストラリアのメアリーバラ、1930年のブリスベンからずっと後の1975年、2005年のロンドンと物語は時代と場所を超えて進んでいく。

オーストラリアの港に着いた船に乗っていた引き取り手のいない女の子を、税関で働くヒューが家に連れて帰る。ネルと名付けて妻のリルともども我が子として可愛がって育てるが、ネルが21歳になったときに真実を打ち明ける。ネルは長女として年の離れた妹たちを可愛がっていたが、そのときからだんだん家族と気持ちが離れていき恋人とも離れていく。

1900年代初頭のロンドンでイライザはこきつかわれ、食べるものも満足に与えられない生活をしていた。イライザの母は船乗りと恋をして家を捨てた。夫が死んだあと働きながら双子を育てていたが結核で死ぬ。双子のサミーは霧の中で馬車にはねられ死ぬ。イライザは髪を切りサミーの服を着たままで働いている。ディケンズの作品を思わす描写。わたしは「荒涼館」を思い出していた。

コーンウォールの邸宅で暮らす伯父が探偵を雇ってイライザを探し出し屋敷に引き取る。この邸宅と伯父さんがバーネットの「秘密の花園」の邸宅と庭園そして主人のモデルだろうと思わせる巧妙な書き方である。
叔父の妻は地位の低いところからの出身ゆえに、常に金持ちらしく上品に振る舞うように心がけている。そして病弱な娘ローズをいかに地位のある男性と結びつけるかばかりを考えている。そこへ引き取られたイライザは叔母からは疎まれるがローザと仲良くなり、物語を書く才能を伸ばしはじめる。

1975年、ネルはイギリスへ渡り自分の過去を調べ始める。コーンウォールでコテージを手に入れ、すぐにもどると言ってオーストラリアへ帰るが、たった一人の娘が孫カサンドラを連れてきて置いていったのでイギリスへの移住を諦める。

そして2005年、ネルが亡くなり、カサンドラにはコーンウォールのコテージが遺される。カサンドラはまずロンドンへ飛ぶ。
(青木純子訳 東京創元社 上下とも1700円+税)