積んである本をなんとかしなきゃ

先日ミクシィの日記のコメントにイアン・ランキンの『寝た犬を起こすな』を一晩で読了し寝不足と書いている人がいた。ええっ!イアン・ランキンの新作出てたん?知らんかったと慌ててアマゾンの中古本を買った。今年5月に出た本で新刊と変わらないきれいな本である。リーバス警部もの、いつものようにハヤカワポケミスは字が細かい。いつ読めるのかな。今回は人のコメントで出版されているのを知った。ちょっとリーバス警部ファンとして情けない。彼の本は全部持っていようと決めているのに。しかもいつ読み終えるかわからない。

サラ・ウォルターズの『夜愁 上下』(創元推理文庫)も買ったばかり。これは10年ほど前に図書館で借りて読んだのだが、自分の本で読みたくて中古本を買った。用事の合間にぼつぼつ読んでいるが、新しい作品もよし。10年前のもよしである。先日は『荊の城』を買って読んだところ。もうじき映画『お嬢さん』のBlu-rayが発売されるのでその前に勉強と原作を読んだというわけ。『夜愁 上下』も読んでおかなくちゃ。

いますぐにでも読みたい本はプレイディみかこ『いまモリッシーを聴くということ』(P ヴァイン)なのだが、買ってから1週間経っているのにまだ手をつけられないでいる。iMacでばたばたしたのと、VFC会報づくりと、Blu-rayで映画を見るせいである。外歩きするとしんどくて帰ると何もする気が起きないということもある。
早く本を読める日常にもどしたい。まだ積んである本があるのを片付けたい。

月を眺める 室生犀星『山吹』を思い出しつつ

こどものときから月を見るのが好きだった。夕暮れどきよそで遊んでいて、兄がそろそろ帰る時間だぞといい出すと空には月があった。泣き止まない弟か妹をおぶった母親が暗くなりかけた外に出てあやしているときも月が出ていた。十五夜お月さんの歌をうたっていた姉の姿も月とともに思い出す。子沢山の一家だから上の子が下の子の世話をした。姉は早くから働いて弟の学費の補助をした。母親はいつも内職をしていた。

両親はいくら家計がしんどくても季節の行事を欠かさなかったし誕生日とクリスマスにはプレゼントがあった。アメリカの少女小説をよくくれたがこどもに渡す前に自分が楽しんでからくれたようだ。わたしが読み終わると「よかっただろ」と東京弁で聞いたものだ。中年過ぎて大阪暮らしになったから東京訛りがとれなかったのだ。反対に妹はハタチで東京へ行ったからいまだに大阪弁が抜けない。

月で思い出すのは室生犀星の『山吹』。病が重くなった男がつきそっている山吹にいう。「後の世にもこうして月を見る恋人たちがいるだろうか」「いますとも」。ここが好きで何度も読んだし、こうして覚えていて何度も思い出している。
月を眺めるのが好き。

折口信夫について勉強する

昨夜はずいぶんと読書で遅くなった。アマゾンで買った3冊ではなくて、雑誌『現代思想』の「神道を考える」のほう。これをまずおさえておいて、それから鎌田さんの本にかかる。
わたしは少女時代から折口信夫ファンだったが、もっぱら短歌「葛の花 踏みしだかれて 色あたらし この山道を 行きし人あり」のほうだった。その後に『死者の書』を読んだが、もともと当麻寺が大好きだった。幼いときは絵本『中将姫』を愛読していたから、奈良を歩くようになってからは当然、竹内峠から当麻寺へ歩いた。『死者の書』を読んでからは、当麻寺と中将姫への愛着がますます深まった。

そんなことでの折口ファンだったのだが、今回「神道を考える」を読んだらこれはもうえらいこっちゃなのであった。折口についていろんな学者が書いておられるのをぼちぼち読んで勉強する。

昨夜はえらく遅くなったのに、今日は姉のところに行くので早起きした。帰りは気晴らしに心斎橋界隈をちょっと歩いてタクシーで帰宅。
お風呂に入ってから晩ご飯にビールをコップ一杯飲んだだけで眠くて〜椅子にかけたままうとうとしていたらコーヒーが出てきた。チョコレートをひとかけら食べてコーヒー飲んだら目が覚めてきた。
それでツイッター読んでこれを書いている。コーヒー効く〜

吉野を思い出した

本の包みが二つ郵便受けに入っていた。『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』と『神界のフィールドワーク 霊学と民俗学の生成』。どっちも届くのが早い。
先に頼んだのは伊藤野枝伝だが野枝さんがどういう人かは推察できるから、未知の方向の神界のほうを先に読むことにした。ちょこっと読み出したらおもしろい。途中でやめずに最後まで読めそう。

最初の章で、著者は吉野下市口から山道をたどって天川に行く。
むかしのことだが、吉野下市口で電車を降りて春浅い吉野へ行ったことがあるのを思い出した。夕方大阪に帰ってジャズ喫茶マントヒヒにはじめて入った。それで70年代のはじめのことだとわかる。
すごく寒かった。吉野の山をずんずん登って行ったところの小さな茶店に入った。まるで漱石の『草枕』の茶店にいたおばあさんのような人がお茶を淹れてくれた。七輪を抱くようにしてお酒も頼んだっけ。今朝採ったというワラビを買って、七輪から離れて寒さに震えながら帰った。
そのずっと前のこと、下市口からバスでどっかへ行って、それからずいぶん歩きキャンプしたことも思い出した。

名文を暗唱、夏目漱石『虞美人草』

今日は気分が重いというよりからだが重かった。足が重くて散歩に出かけるとかやる気が起こらない。それで掃除をしたり片付けをして少しは体を動かそうと気を使った。食べる元気は衰えないから困る。
昨日の日記を読み返すと精神的疲れがかなりある。『リンバロストの乙女』を読んでも解決できないのなら『秘密の花園』か『ジェーン・エア』を引っ張り出すか(笑)。

もひとつ対策を考えなくっちゃということで、姉への電話を愚痴を聞くばかりでなくこちらから話しかけて少し建設的にできないかなと考えた。
さりげなく本を読む話に持っていったら、いま朝日新聞に漱石の『我輩は猫である』が連載されているという。姉は『猫』よりも『三四郎』のほうがおもしろいと話し出して、『虞美人草』の出だしがすごい名文やでと暗唱したのには驚いた。その調子で『小公女』のセーラが可愛いとか、ミンチン女史が好かんとか、大笑いで今日の電話は大成功。明日は『あしながおじさん』かな(笑)。思いつきはいいがネタがすぐに尽きそう。
本を読めなくなったと最近言い出して、ずっと買っていた芥川賞作品が出ている『文藝春秋』を買わなくなっている。またさりげなく買って行こうかな。

未読本が積んであるのに『リンバロストの乙女』

アマゾンに頼んだ『プルーストと過ごす夏』が届いた。昔よく読んだジュリア・クリステヴァが書いてるからすぐに読みたいが、『流砂』(ヘニング・マンケル)だけは先に読んでしまおう。まだ去年の夏に買って表紙しか見ていない『背信の都 上下』(ジェイムズ・エルロイ)もある。その他、清野栄一さんと四方田犬彦さんの本も複数読みかけたまま置いてある。あせる。

先日なんとなく手に取った『そばかす』(ジーン・ポーター)に魅入られて最初から全部読んだ。そしたら続編というか『そばかす』に登場した少年少女が大人になって物語のバックボーンになっている『リンバロストの乙女 上下』を自然に読み始めて全部読んでしまった。こどもの時からの愛読書で100回以上読んでいるけど、読むたびにこころが生き返る思いがする。
『キャロル』はいいところに付箋を貼ってあるのでそこを中心にあちこち読んだ。

週に一度とはいえ姉の相手をしに行くのが何年も続いているから、行くという行為だけでなく精神的な疲れにもなっている。毎日20〜30分の電話を欠かさずかけているのもしんどい気分になって溜まっている。
楽しい読書という気分転換が必要なのだろう。他になにか気晴らしの方法があれば教えて欲しい。姪は食べ歩きやジム通いでうまく気分転換しているようだ。
もうちょっと時間を上手に使ってもっと映画DVDを見たりしたらいいのだが、夜中前までにこのブログを書こうと思うので時間が途切れ途切れになる。
好きなとき読めておもしろくためになるのがツイッター、だけどツイッター読むのが楽しみというのもちょっとなあ。

C.サレンバーガー『機長、究極の決断「ハドソン川」の奇跡』

クリント・イーストウッド監督の映画『ハドソン川の奇跡』を見て感想(1月30日)を書いたら、yosさんが「原作が大好きです。3回ぐらい読んだ。映画も見て、すごくよかった。」とコメント(ミクシィ日記)をくれた。
わたしは原作があったことも知らずに見ていたので、あわてて本を買って2回読んだ。クリント・イーストウッド監督は映画化にあたって、原作全体でなく事故に焦点をあてている。事故シーンの合間に過去のことや私生活も少しはあるけれど、事故と全員生還にテーマをしぼっている。そして事故対応の必然が見るものを納得させる。

原作ではサリー・サレンバーガー機長の生まれてからいまにいたる生活や仕事のこと、とりわけ「飛ぶこと」への憧れと現実化について詳しく書いていて感銘を受けた。
子供時代に父親から受けた実地の教育は、ワシントン大統領の子供時代のようであるし、ロバート・B・パーカーが書いた私立探偵スペンサーが依頼人の少年と家を建てるシーンを思い出した。
私生活で夫妻にこどもができず、養子を2回もらうところはアメリカだなあと感心した。

映画では事故調査を中心にもってきて、あの判断でよかったのか的を絞ったスリリングな展開だった。本書を読むと軍隊体験も含む飛行経験を重ねていたからこその、事故対応だと納得できる。機長と副操縦士が冷静に判断したこともすごいことだった。客室乗務員3人の冷静な行動も素晴らしい。
yosさんこの本を教えてくれてありがとう。
(十亀 洋訳 静山社文庫 838円+税)

あくびがとまって体力回復

昨夜はネットでペドロ・アルモドバル監督についての記事を探して読みふけった。その後は同監督の最新映画『ジュリエッタ』の原作、アリス・マンローの『ジュリエット』を相方が読んで感動したという話で大盛り上がり。本を貸してくれたのでわたしはこれから読む。

読み終わったサラ・パレツキー『カウンター・ポイント』の物語の25年前の出来事や登場人物のことがシリーズ3作目『レイクサイド・ストーリー』にあると山本やよいさんが「あとがき」に書いていらっしゃるので読み始めた。こうなったら第1作の『サマータイム・ブルース』から読み返すのがいいかなと思うが、いまの未読本の山を見るとそうもいかず、悩むところなり。

昨夜はそんなことで遅くまでしゃべったり読んだりで寝るのがまた遅くなった。寝つきが悪いから朝がしんどい。だけど今日は姉の家で姪一家と宴会だったのでご馳走を買っていった。お酒はひかえたが食べるものはよく食べた。デザートにぜんざいが出たのもしっかり食べた。寝不足プラス食べすぎで帰りはふらふら。
帰ってまずお風呂に入ったら、それからあくびの連発。机に突っ伏してひと寝入りしてようやくあくび回復、食欲回復。晩ご飯をつくってくれたのを食べコーヒーを飲んだら体力も回復した。また今夜も夜更かしか。仮眠したからええか。

大崎善生『聖(さとし)の青春』

わたしの読書範囲にはない本だけど友だちが持っていると聞いて貸してもらった。〈「聖の青春」(2000年・大崎善生著):第13回新潮学芸賞、将棋ペンクラブ大賞を受賞。〉映画にもなって松山ケンイチが村山聖を演じている。

あらゆる勝負事から遠いわたしだが将棋と囲碁には憧れをもっている。子供のときは兄が2人いて家には将棋盤も碁盤もあった。兄たちが少し相手をしてくれようとしたときもあったが、まるでだめだった。なんとなく将棋の駒の文字が好きで並べ方だけは覚えたけど、それだけ。
「ふけばとぶよな将棋の駒を・・・明日は東京にでかけるからに・・・」とお風呂に入ると歌うぐらい好きな歌もある(笑)。

村山聖棋士は広島に生まれ、子供の時にネフローゼにかかって長いこと入院生活を送り、院内学級で過ごした。入院中に父に将棋を教えてもらい熱中し、母に本を買ってきてもらい独習する。10歳で将棋教室に通いアマ四段に認定、中学1年でプロ棋士を目指す。
大阪の森信雄に紹介され弟子入り。病身の村山を親身に世話する森は、寝込んだ村山のために少女漫画雑誌を探して本屋を駆け巡りもした。髪を洗ってやるなど日常の世話、すごい師弟関係である。

29歳で亡くなるまでの将棋に生きた村山聖の人生を描いていて一気に読みきった。
著者 大崎善生さんは元『将棋世界』編集長で東京に出た村山の世話をした。
(角川文庫 640円+税)

今夜は『銭形平次捕物控』を青空文庫で読む

11月に入って寒くなった。ヒーターかエアコンをそのときの気分でつけている。10月の終わりに相方が風邪をひきかけたのを暖房とお風呂と湯たんぽで撃退した。こっちにうつらないでよかった。風邪引きは薬より温めることやと改めて実感。カイロも役に立つ。暖かい下着も。

姉のところへ行くとなんだかんだと疲れる。その上に毎日の電話かけで疲れている。人のケアばかりしないで、自分のケアもせなあかんとつくづく思う今日この頃。
近いうちになにか楽しいものを買いに行こうと思ったが、なにが楽しいねん? 結局本しかないな。

*古本をアマゾンで1冊注文中。
イーヴリン・ウォー 吉田健一訳『ブライヅヘッドふたたび』 ちくま文庫 (古本 送料とも1700円)
*そして相方が近々本屋に行くとき買ってきてもらう本。
ヘニング・マンケル 柳沢由美子訳『流砂』創元社 2592円
ピエール・ルメートル 橘明美訳『傷だらけのカミーユ』文春文庫 907円

いま読みかけの本は置いといて平次親分の物語をひとつ(鈴を慕ふ女)読んでからお風呂に入ろう。