デビッド・フィンチャー監督『ドラゴン・タトゥーの女』

評判になった本も読んでないし、映画はどっちも見てなかった。ただデヴィット・フィンチャー監督が好きなのでいつか見たいなと思っていた。「セブン」と「エイリアン3」を映画館で見たときから気になる監督だったから。その系列の映画だったのですごく満足。
ダニエル・クレイグは犯人に捕まってあやういところを天才ハッカーのリスベットに助けられるなど007と違った演技力を見せていた。ドラゴンのタトゥーをいれたルーニー・マーラは「ソーシャルネットワーク」の学生だったのがわからない激しい演技力を発揮していた。昔ちょっとインテリ好みの映画に出ていて大好きだったロビン・ライト(そのころはロビン・ライト・ペンだった)が出ていた。

あまり評判なので敬遠していたが、これから原作小説スティーグ・ラーソン「ミレニアム」第1部「ドラゴン・タトゥーの女」第2部「火と戯れる女」第3部「眠れる女と狂卓の騎士」の三部作を買って読む。それからスウェーデン映画「ミレニアム」を見る。

ダウンコートで気持ちも暖かい

金曜日の夜にL・L・ビーンのバーゲンに行って念願のダウンのコートを買った。背が低いから合うのを探すのが一苦労なのである。普通の人の膝上くらいのががあればいいのだが、滅多に出合わない。しかもシンプルなのを探すのは容易でない。
今回はなぜか出合いがあるような予感がしていた。冬になる前に買ったのは薄く綿が入っていてわたしが着ると膝丈だが、普通の人が着れば半コートっぽいものだと思う。でもちょうどいいと気に入っている。初冬にぴったりで真冬にはちょっと寒い。
今回はお店に入ったらコートが呼んでいた。着てみたら膝を隠す長さで黒で超シンプル、しかもバーゲン価格だからありがたい。袖がちょっと長いけど寒いから手を引っ込めておけばよい(笑)。
このところ4年間は姪が買ってくれた福袋の2着のダウンを着ていた。若い人向けというのか流行の形なのかもう一つ似合わなかったので、いまはやたらとうれしい。
帰りに今年最初のシャーロック・ホームズでギネスを飲んで新年の挨拶をして、ぶらぶらと帰った。

帰って片付けしてから「33年後のなんとなく、クリスタル」のことを書いた。金・土と連載。
昨日の夜にツイッターで「田中さんの本の感想を書きました」と告知したら、田中さんが当ブログを読んでくださり、リツイートしてお気に入りに入れてダイレクトメッセージをくださった。超うれしい。

今日はヴィク・ファン・クラブの会報の最後のところをやっつけたので、これから封筒入れする。明日送ったら、今度は〈VFC会員サイト〉のことを考える。風邪が抜けたせいか積極的になってきた。

P・D・ジェイムズ『殺人展示室』再読と「百合」

図書館で借りて最初に読んだのは2010年4月、今回約5年ぶりに自分の本で読んだ。
本書の翻訳発行は10年前なので、その間こんなおもしろい小説を読まなかったことを悔やむ。偏った読書をしていたものだ。イギリスの警察小説はレジナルド・ヒルのダルジール警視に夢中になったがずいぶん遅かった。翻訳されるのを最初から読んできたのはイアン・ランキンだ。ピーター・ラヴゼイもコリン・デクスターもジョセフィン・テイも読み出したのは遅かったが、夢中になって翻訳されたほとんどの作品を読んでいる。
まあ、大先輩のドロシー・L・セイヤーズはずっと昔から読んでいるからいいとするか。

お正月に川端康成の作品を何冊か読んで美しい日本語に魅了されたのだけれど、その後に本書を読んで今度は論理的な英語(翻訳されたものであっても)にほとほと感心した。
並行して雑誌「ユリイカ」の「百合」特集を読んで自分なりにわかった気がした。
百合:レズビアン=川端康成:P・D・ジェイムズ
吉屋信子や川端康成の作品は麗しい「百合」であって文句のつけようがない美しさ。だが、ダルグリッシュ警視長と特別捜査班の論理はレズビアンとしての堂々たる態度みたいなもの。
あくまでも勝手な想いである。
「殺人展示室」のアダム・ダルグリッシュ警視長、ケイト・ミスキン警部、ピアーズ・タラント警部、読み返して懐かしかった。シリーズ最後まで読んで結末わかっているから気分良い。
(青木久恵訳 ハヤカワポケットミステリ 2005年2月発行 1800円+税)

田中康夫『33年後のなんとなく、クリスタル』の感想を書く前に

11月の終わりに買ってすぐに読んだ。いろいろと考えることが多い作品で、感想を書こうと思っているうちに年を越えてしまった。お正月にと思っていたら風邪をひいてアタマが冴えず今日にいたる。
その間にKindleで「なんとなく、クリスタル」を購入して読んだ。最初に読んだのは33年前で、おもしろがって読んだのを覚えている。その次は18年前に阪神大震災のボランティアで田中さんと知り合ったときに読んだ。

田中康夫さんとお会いしたのは阪神大震災から1〜2年あとの〈週末ボランティア=週ボラ〉だった。代表の東條さんが活動後の集会時に田中さんに話をしてもらうことにした。〈週ボラ〉メンバーはもひとつ気が乗らないようで、わたしだけが田中さん好きと言ったのを覚えている。そんなことで、その後に田中さんが〈週ボラ〉の活動に参加されたときは東條さんが、わたしといっしょに行動するように配慮された。暑いときで汗を拭き拭きわたしと男子2人と4人で仮設住宅を訪問した。その道すがら、わたしがそのころ腹が立っていた〈おばさん〉という呼び方にモンクを言ったら、「では、ぼくはS嬢と呼びましょう」と言われて、それ以来わたしはS嬢と呼ばれることになった。当時の雑誌「噂の真相」連載の「ペログリ日記」にS嬢とあるのはわたしです。よっぽどうれしかったとみえていまだに言っている(笑)。

二度目は震災から2年目の記念訪問日だった。西神駅に集合した〈週ボラ〉メンバーたちは、これから出かける仮設住宅訪問についてレクチャーを受ける。初めての人がいるから「必ず女性の名前を呼ぶこと、おばさんと言うたらいけません」という注意もある。
そのとき田中さんとW嬢(「33年後のなんとなく、クリスタル」のメグミさん)がいて、わたしと3人で出かけるようにと指示があった。集団から少し離れて3人で雑談しるとき、わたしは田中さんにヨイショするつもりで、「ご本読みました」と言ったまではいいが、続けて「されどわれらが日々」と口から出てしまって、大笑いして大謝り。真面目な場での大笑いで真面目な人たちから顰蹙を買った。「されどわれらが日々」は読んだけれどあまり好きでなく、なんでそのとき出てきたかわからない。
その日は3人で神戸ワインの工場の横を通ってずっと奥にある仮設住宅を訪問して、年取った独り住まいの女性の話を聞いた。田中さんたちはきちんと座って、その女性の言葉に相槌を打っておられた。車の中でもらったチョコレートがうまかった。

今日は前書きだけでおしまいです。

田中康夫『33年後のなんとなく、クリスタル』

「おもしろくってためになる」、本書を読んだ感想はこの一言につきる。
自分が読み終わってから数人の女性に勧めたのだが、全員がすぐに買って読んで「良かった、面白かった」と言っていた。33年前に「なんとなく、クリスタル」を読んで東京に憧れていたという人は、もったいなくて何日もかけてゆっくり読み、ついで33年前の物語を読み返したそうだ。わかるぅ、わたしもKindleで買って3度目を読んだもの。

田中康夫さんとメグミさんと犬のロッタちゃんの生活が楽しく描かれている。わたしはメグミさんがW嬢だったときに一度お目にかかっているので、その生活ぶりを想像して楽しんだ。
33年前に「なんとなく、クリスタル」の主人公だった由利さんと食事しながらの会話が楽しいし、彼女の悩みや相談に誠実に応える康夫さんがかっこいい。ワイン談義のうんちくも鼻につかない。たいていの小説なら鼻持ちならないところだが、すいすい読めてしまう。なんの嫉妬心もわかないのが不思議(笑)。
江美子が幹事役の女子会はIT関連の会社幹部の妻が自宅を提供して催される。建物に入っていくところの描写から、ケータリングを頼んだ食事と飲み物についての成金趣味へのちょっと毒のある感想にはふーんとうなずくだけですが(笑)。でも、そういうクラスの女性たちが生真面目にいまの政治のやり方について語っているのが気持ちよい。

そしてここ。何度か出てくるこの言葉「出来る時に出来る事を出来る人が出来る場で出来る限り」に深くうなずいていた。
わたしは若いときから(参加する〉人だった。最初の参加はすべて自腹で仕事を休んで「総労働対総資本」と言われた三池闘争の現場へ女子3人で走って行った。
阪神大震災のときはボランティアに行った。
反原発のデモにも何度も行っている。最初の反原発デモに参加したときは、一歩目を踏み出したとき1968年の御堂筋デモを思い出して足が震えた。
そういうわたしはいま膝が痛い。御堂筋へ出かけても足手まといになるだけだ。だけど、なにかすることはあるだろう。得意の〈おしゃべり〉でも、超得意の〈お話を聞く〉能力もまだ衰えていないと思うし。
「出来る時に出来る事を出来る人が出来る場で出来る限り」ですね。
(河出書房新社 1600円+税)

アニエス・ジャウィ監督『みんな誰かの愛しい人』

今年初めて見る映画(DVDだが)はフランスの女性監督アニエス・ジャウィの「みんな誰かの愛しい人」(2004)にした。70年代までのフランス映画を語らせたらちょっとしたものと自負しているけど、最近はさっぱり見ていないので語るなんてとんでもない。
お借りしているDVDから1枚出して、タイトル見てもわからない。おもむろに検索して、これおもしろそうじゃんと見始めたら大当たりでよかった、よかった。

父親(ジャン=ピエール・バクリ)が有名な作家で、美人の若い奥さんと小さな女の子がいる。前妻の娘ロリータ(マルリー・ベリ)は肉付きがよすぎてコンプレックスいっぱい。若い男の子が側に寄ってきたら父への頼みごとがあるのだと経験からわかっている。いまの彼氏もそうだ。
ロリータは声楽を習っていて父に自分の歌をカセットテープに入れて聞いてもらおうと思うが、父はほったらかしたまま。声楽の先生(アニエス・ジャウィ)はロリータを持て余し気味だが、父親が作家だと知ると目をかける。そして彼女のつれあいの売れない作家を紹介する。
たまたまロリータの足元に酔っ払って倒れた青年セバスチャン(カイン・ボーヒーザ)に自分のコートをかけてやったのがきっかけで、二人はつきあうようになる。セバスチャンはロリータを好きになるが、ロリータの話題は父親のことばかり。
セバスチャンは友人といっしょに仕事をはじめるつもりだったが、父親が知り合いを紹介することになり、それを知ったロリータは「またか」と思う。セバスチャンは去っていく。しかし、セバスチャンが紹介を断ったことを父から聞いて暗闇の中を自転車で走る、走る。
たどり着くとセバスチャンはベンチに座っていた。セバスチャンのひとこと「疲れる子だよ」は実感がこもってた。

アニエス・ジャウィとジャン=ピエール・バクリ、素晴らしいカップルがいるのを今日知った。二人がアラン・レネ監督と組んだ作品「スモーキング / ノースモーキング」(1993)「恋するシャンソン 」(1997)を見たい。

まだまだ、P・D・ジェイムズ

P・D・ジェイムズのアダム・ダルグリッシュ警視長シリーズは全部読んでいるんだけど、買っていなかった本2冊「ナイチンゲールの屍衣」(1971)と「灯台」(2005)を中古本で注文した。明日には届くだろう。
先日来「殺人展示室」を再読・三読してダルグリッシュの理詰めの推理と、部下たちの無駄のない動きにまた魅せられていた。ダルグリッシュはケンブリッジで教える若いエマに恋をして、彼女の心を推しはかって自信をぐらつかせたりもする。最後にイエスと言うエマと向き合って両手をとる。そして高らかに笑う。
お布団の中で最後のページを読み終わって自分を笑ってしまった。おいおい、ミステリを読んでいるのかロマンスを読んでいるのか。こんなんだから安眠確実(笑)。

他に積ん読本がいっぱいあるので、ジェイムズさんの本だって家にないと読まないから買うまいと思っていたのに、そこまで読んだらたまらずにアマゾンのページを開けていた。明日届いたらすぐに読みだすのだろうな。「灯台」ではケイト・ミスキン警部とピアーズ・タラント警部がいい仲になるけど一度壊れたんだっけ。えっ、これで終わりなの?と思ったら「秘密」ではピアーズからメールが届いて・・・この二人らしいいい解決でよかった。

身にも心にも効くあひるの加湿器

明日はちょっと堀江方面でも行ってくるわと昨夜言っていたのだが、咳と鼻水が少々残っている。人と会って風邪を移したらあかんので外出は取りやめた。思い出したら元旦から冷えを感じていて、2日には大量の水洟に驚いた。3日に出かけてしゃべっているときは元気だったが、帰ったら一日留守にしていた部屋が冷え切っていてどっと疲れが出た。整体で蘇ったがそのあとの大物の買い物、そして気分良くミナミを歩いたのはいいが、これもやっぱり疲れを誘ったみたい。あの日は暖かくて助かったけど。
朝はいつもは気分良く起きるところをもうちょっと寝ていたいなと思いつつ起きている。体はまだ休養を要求しているみたい。やっぱり風邪の回復は10日かかるね。

空気の乾燥が実感される冬。うちは加湿器を使わないで濡れタオルを常に部屋に吊るしてある。めんどくさいし見た目がよくないが体にはいいように思う。
それとは別の話です。↓
相方が今日買ってきたのは「FLOATING DUCK USB HUMIDIFIER」という加湿器。プラスティックのあひるの頭から水蒸気が飛び出して加湿する。テーブルの上に水を入れたボールを置きあひるを浮かべる。あひるのUSBコードをパソコンのUSBボートにつなぐとあひるの頭から水蒸気が放出される。カワイイあひるさんがテーブルの上で働いているのを見るだけでも楽しい。
本を読んでいてふと見やると頭上から水蒸気を飛ばしながらあひるさんが泳いでいる。いとうれし。

千日前、道頓堀、大阪はやっぱりミナミがええな

暮れに冷蔵庫がくたばり、続いて洗濯機もはかなくなっている。ものが壊れるのは同時にやってくるものらしい。お正月をなんとか乗り切ったが(冷凍庫が動いているのでちょっとしたものは氷で冷やし野菜はベランダへ)そろそろ買うかと、今日夕方に千日前のビックカメラに行った。
わたしは入ったのが初めてだったが、明るくきれいな店で買い物しやすかった。買うものは決まっているのですぐにすんだ。
帰りしにパソコン売り場に寄ったらMacのコーナーにいるのは外国人ばっかり。インテリっぽい若者カップルや男性2人連れがそれぞれの言葉でMacを見ながら触りながら話し合っている。向こうは大阪では老カップルがMacを欲しそうにしていると思ったであろう。エスカレータでも聞こえるのは外国語ばかりだった。

ビックカメラを出て千日前界隈をうどん屋でもないかなと探すが、普通のうどん屋はなくて、つけ麺だのなんの店ばかり。難波まで行ったけど見つからない。元にもどって歩いていると知り合いの焼肉屋さんが開店したばかりという感じだが、焼肉を食べる気持ちではないのでスルーして、結局久しぶりに道頓堀の今井へ行った。店の前の柳も健在でほっとして、ビールとおかずと鍋焼きうどんを注文。暖かいゆったりとしたお店で大きな鍋の熱いうどんをふうふう言いながら食べてしあわせ。
ちょっと歩いただけだけどミナミはええわぁ。帰ってから煎茶と夜の梅で、予は満足であるぞ、とつぶやいた。

川端康成『舞姫』

お正月読書は気分を変えて川端康成の「舞姫」を何十年ぶりに。「舞姫」は昭和25年12月から26年3月まで朝日新聞に連載された。こどものときから新聞小説に目を通していたわたしだが、なんぼなんでも覚えているはずなく、きっと姉がのちに単行本を買ったのを読んだのだろう。それにしても40代の夫婦の性生活がわかるはずもなく、主人公のバレエに生きる波子と品子の母娘が波子の夫矢木に精神的に虐待される物語として読んでいた。

いま読み終わって、川端康成はすごいと改めて思っている。
第二次大戦前、波子はお嬢様育ちで矢木は波子の家庭教師だった。矢木は学者を目指していて、波子はバレエで名をなしはじめていた。娘の品子と息子の高男が生まれていまや娘はもう二十歳。真面目な相手だと親のいいなりに結婚したのだが、矢木は実は計算高く、波子名義の預金を黙って自分名義に書き換えている。それを発見したのが父親を尊敬していた高男で、彼は自分の留学費用を黙って引き出す。
波子の恋人竹原はかつて波子の家の離れを借りて住んでいたことがあり、家庭を持っているが波子をずっと想い続けてきた。竹原が波子のために調べてみると家や土地も矢木名義になっているのがわかる。

母娘がバレリーナということで、東京にある稽古場と鎌倉の自宅の稽古場では洋楽のレコードがなり響き、当時のバレエの舞台を見に行く場面も多い。そのころの日本はバレエブームだったらしい。すごい数のバレエ教室があるとマネエジャアの沼田が波子の奮起を促す場面があった。