お正月だから『夜の梅』

だいぶ前に東京の友人が本といっしょに「夜の梅」の竹皮包羊羹を送ってくれた。おいしいものはすぐに食べてしまう我が家だが、これはお正月に食べようと大事にしまい込んだ。忘れっぽいわたしがしまったのを忘れてなかったのは大好きな羊羹だから(笑)。
土佐鶴の冷酒と相方が用意したうどんすきの晩御飯を食べたあと、ずっしりと重い羊羹の厚切りを煎茶でいただいた。控えめな甘さで上品、切り口の小豆が夜の闇の中に咲く梅をあらわしているという文学的なところも好き。

夕方から雪みぞれが降ってすごく冷える。
今日は元旦、このあとも暖かくして静かに本を読むことにしよう。
そうそう漱石の「草枕」を出してきて羊羹の場面をちょこっと読んで楽しもう。

春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やは隠るる(『古今集』)
(とらやホームページより)

アルバート・ヒューズ、アレン・ヒューズ監督『ザ・ウォーカー』

戦争で破壊され文明が崩壊した地球を一人の男イーライ(デンゼル・ワシントン)が世界にただ1冊残った本を抱えて30年ひたすら歩いて西へ向かう。ちょっと変わった近未来SF映画。
すごい武器を持っていて強盗くらいなら軽いもの、本に手を出そうとする者は即座に殺してしまう。
旅の途中で立ち寄った町は独裁者カーネギー(ゲイリー・オールドマン)によって支配されている。カーネギーは辺り一帯の支配拡大のために異常にその本を欲しがり、あの手この手で本を取り上げようとする。情婦の娘ソラーラ(ミラ・クニス)が誘惑しようとしても手を出さないイーライだが、ソラーラは本の内容の一端を聞き取りカーネギーに告げる。それはカーネギーが探している本だった。
出発したイーライを追いかけるソラーラ、二人をカーネギーの屈強な子分たちが追いかける。応戦するも多勢に無勢でイーライは最後に本を取り上がられ半殺しにされる。それでも起き上がって西を目指すイーライとソラーラは目的地に辿り着く。本の内容は何度も読んで覚えているから大丈夫。

西へ西へと歩いて30年、着いた先は〈西方浄土〉ではなくて、生き残った人たちが未来に届けようと人類の文化を伝えるために頑張っている場所だった。
デンゼル・ワシントンを久しぶりに見たが汚れっぱなしにも関わらず清潔な印象。
なつかしや、マルコム・マクダウェルが最後のほうで出てきた。

田中康夫『なんとなく、クリスタル』をKindleで購入

「33年後のなんとなく、クリスタル」を買ってもう1カ月近いんじゃないかな。とうに読み終わっているのだがまだ感想を書けてない。33年前のを読んでからにしたいのと、長いあいだ読んでいるP・D・ジェイムズから抜け出さないとどうもならない。ようやく大作「原罪」を2回読んで納得できたので手放せそう。

さっき、ツイッターで「なんとなく、クリスタル」(河出文庫)が値下がりとのツイートを読んで、タイミングのよいことに驚ききつすぐに購入した。わたしのKindleはずっと寝てたので、起こしてご飯を食べさせてやったらようやく動き出した。片付けがすめば即読み出すつもり。
昔読んだことがあるけど、33年後の物語を読んでいたら、昔はどんなだったかしらと思うこと多しで、やっぱりまた読みたくなった。

阪神大震災の2年後、「週末ボランティア」のメンバーだったわたしは、田中康夫さんといっしょに仮設住宅に住む被災者のお宅を訪問した。一回目は暑いときで二度目はめちゃくちゃ寒い日だった。歩きながらや車中やいろんな話をしたが、わたしが「仮設住宅訪問では決して女性をおばさんと呼んだらいけません」と東条さん(リーダー)が言うてるのに、同僚のボランティアのわたしにおばさんと呼ぶ人がいるとぼやいたら、それではとS嬢と呼んでくれた。当時の「噂の真相」連載の「ペログリ日記」にS嬢とあるのはわたしです(笑)。

アレハンドロ・アメナーバル監督・脚本『アザーズ』

ようやく映画DVDを見る余裕ができた。T氏にお借りした中から選んだのはトム・クルーズが製作総指揮に加わっているアレハンドロ・アメナーバル監督・脚本「アザーズ」(2001)。
検索したら原作が「ねじの回転」で、原作者が アレハンドロ・アメナーバルとヘンリー・ジェイムズとなっている。「ねじの回転」が原作では見ないわけにはいかない。お屋敷にこどもたちの幽霊が現れるのかしら。ニコール・キッドマンは家庭教師かなと期待に胸がはずむ。さすが彼女は世間ずれしていない家庭教師ではなく、その屋敷に住むことになった美しい母親の役だった。

第二次大戦が終わりかけたころ、英国海峡に浮かぶチャンネル諸島のジャージー島を舞台にした物語。
広大なお屋敷に美しい母(ニコール・キッドマン)と二人のこども(女の子と男の子)が住んでいる。こどもたちは色素性乾皮症という難病を患っており、光があたると大変なことになるので、いつもカーテンを閉めっぱなしで明かりもランプである。
そこへ家政婦と女中と庭男の3人が面接にやってきて雇われ、常にドアに鍵を閉めておくようにきつく言われる。
閉ざされた暗い屋敷と、エキセントリックな母とこどもたちに優しい家政婦は救いのようだが、実は彼らも謎の存在だった。
雇人を信じられなくなった主人公は神父に会いに行くと門を出たが歩いているうちに霧に囲まれてしまう。そこへ戦争に行っていた夫が現れる。

ヘンリー・ジェイムズの世界をアメナーバル監督が映像で表現しているなあとため息して見終わった。

『オリーブ』を読んでPHSを買った

最近ツイッターで「オリーブ」(雑誌名)という文字をよく目にする。わたしは当時でさえ「オリーブ少女」の年齢をはるかに超えていたが、楽しい雑誌なのでよく買って読んでいた。いま本棚に2冊残してあったのを開いたのだが、1冊は1999年4月発行の超特大号で中原淳一の紹介ページがある。やっぱり「ひまわり少女」から「オリーブ少女」につながっていたんだ。
もう1冊は携帯電話のページに熟読の跡がある。2000年の7月発行で表紙に「今の時点でベストはどれだ? ケータイ、ピッチ大研究」。これを読んでわたしはPHSを買いました(笑)。お薦めのデザインがよかったから。ねばってお店の奥から出してもらったっけ。

ほんまに携帯電話を買うのが遅れていて、なにを買っていいか悩んでいた。神戸へボランティアに行ってたときは相方の黒くて重いのを持って行ってた。小グループに分かれたときの連絡用に携帯電話持ってるよと言うと、高い電話料を個人経営の女性に払わすわけにいかないと律儀に使ってくれなかったっけ。阪神大震災が1995年だからこのときは97年か。
それでもって、わたしが最初の携帯電話を持ったのが2000年なのね。乙女ちっくなオリーブ少女の話から携帯電話の話になるなんてさすがだな(笑)。

P・D・ジェイムズ『原罪 上下 』(4)4年ぶりの再読

先日アマゾンの中古本で買ったP・D・ジェイムズ「原罪 上下」を、読みはじめたらおしまいやからあかんと気持ちを引き締めていたのに、つい忙しいとき手にしてしまった。ジェイムズ作品の中でも特に読み応えの作品である。当ブログ「P・D・ジェイムズ アーカイブ」には4年前に熱っぽく3回にわたって書いているが、いま読んでいてこんがらがる登場人物たちの立ち位置がわかって助かる(笑)。
アダム・ダルグリッシュ警視長、ケイト・ミスキン警部、そしてダニエル・アーロン警部のチームが捜査にあたる。アーロン警部がユダヤ人であることが今回の事件に厚みを与えている。ここまで話が遡るのか、ここまでの怨念を持って生きてきた人がいるのかと胸が痛む。

ダルグリッシュが選ぶ特捜班員は、貴族の肩書きを持っているマシンガム、女性のケイト・ミスキン、ユダヤ系のダニエル・アーロン、オクスフォード大学神学部出身のピアース・タラント、そしてインド系のフランシス・ベントン・スミスと多彩。彼らの生い立ちを知るのも、会話を読むのも、心理状態を知るのも楽しみ。

P・D・ジェイムズ『神学校の死』を購入して再読

P・D・ジェイムズの本を初めて読んだ「秘密」の最後にダルグリッシュとエマが結婚する。出会ったときのことを知りたくて「神学校の死」を読んだのが4年8カ月前のこと。そのときは図書館にあった本だけ読んで満足していた。
P・D・ジェイムズは先日お亡くなりになったので、新刊で買った唯一の本が「高慢と偏見、そして殺人」である。
(このあたり、同じようなことばかり書いているような気がする。)

今年の9月に「皮膚の下の頭蓋骨」を読んで再び熱が上がり、ダルグリッシュのシリーズを全部読もうと思った。そして読んでしまったのだが熱は下がらず、図書館で読んだ本を中古本で買って読んでいる。
いま「正義 上下」「原罪 上下」をアマゾン中古本で注文した。次のお楽しみに「灯台」を置いてある。

アダム・ダルグリッシュとエマ・ラヴェンナムが出会う「神学校の死」を再読した。
経済界の大物から依頼された彼の息子の死の真相を探るために、アダムが少年時代に三度の夏休みを過ごしたサフォークの神学校を訪ねる。物語に入る前に少年時代のアダムの姿が描かれる。健康な体と暖かい心と論理的な頭脳そして詩ごころが、美しい海と空の下で育ったのがわかる。

エマはケンブリッジ大学で文学の講師を務める28歳の才媛でケンブリッジに恋人が一応いるんだけど、結婚に踏み切れない。
エマとアダムは神学校の客として出会いおたがいに惹かれるものを感じる。

土地のことや少年時代のこと、神父たちの立場や考えの描写が長い。イギリスという国のこと、国教会など宗教のことなどについて知識が得られる。食事の説明とか日常生活のこともよくわかって、じたばたと過ごしている身としては羨ましい。

半分くらいいってから新たな殺人が起こり、ダルグリッシュ班の警官たちが招集される。
さて、これから「殺人展示室」をもう一度読む。
(青木久恵訳 ハヤカワポケットミステリ 2005年2月発行 1800円+税)

インクジェットプリンタ・複合機を買った

先日ゼロックスのコピー機がリース切れになり返却した。リースとはさよなら。
代わりにプリンタ複合機を買うことにした。いろいろと人の話を聞いていて、いまのうちにはちょうどよかろうと判断した。もちろんトナーのが欲しいが、図体が大きくなるし高価だなあ。
ごちゃごちゃ言ってる間に、ずっと使ってきたトナープリンターがおかしくなった。トナーを替えたばかりの黒色がまだらになる。解決法をいろいろと試みたが、他の色はちゃんと出るのに黒色だけがあかん。トナーが全色残っているので使えるところだけ使って最後まで使い切ることにした。

あちこち探したあとでアマゾンで見つけたのがEPSONのA4インクジェットプリンタ・複合機。安いし翌日配達である。びっくりするほど小さい箱で届いた。たちまち、これでよかったと思った。
わたしのデスクの後ろ側に低い台を並べた上に大きな天板を敷いて、そこにゼロックスのと2台並べてまだまだ余る。当然のように本がもう20冊ほど積み上がった(笑)。
ガラスの花瓶に花を入れたし、これでええやん。

昨夜さっそくプリントしてみたら安い用紙だと写真が裏に影響する。それではと文房具店で裏写りしない紙を買ってきた。
試行錯誤しながら人生は進む。へへ。

金井美恵子『お勝手太平記』

ブログ内検索したら金井美恵子の名前はごく最近のものしか出てこなかった。本棚の奥から出てきた映画の本のこと。そして本書を読みたくなって買いに行ったこと。
映画の本「映画、柔らかい肌」「愉しみはTVの彼方に」がすごくおもしろく勉強になったので、つい新刊が出ているのを知って読みたくなった。
買ってすぐに読み出したらおもしろくてたまらない。しかし、半分くらいまで読むとだんだん自分の世界と離れていることがわかってきて、そうだ、以前にもこの感覚があって、それで金井美恵子の新刊を買うのをやめたんだっけと思い出した。
東京と大阪の違いともいえるし、中産階級意識と貧乏人意識の違いともいえる。中産階級を描いても貴族を描いてもいいんだけど、どっぷり中産階級の中にいると思えるところにひっかかった。つい先だって読んだ川端康成には感じなかったし、イギリスのミステリにも感じなかった感覚。

ツイッターで読んだ書評に、村上春樹批判がおもしろいとあったが、そこはたしかにおもしろかった。わたしの感覚とはちょっと違うが。
わたしがおもしろいと思ったのは少女時代の読み物として、「小公女」と「秘密の花園」を良しとして「赤毛のアン」を批判しているところ。ここには引用しないが、すっきりした考えだと思う。わたしの思うところと近いけど、世代の違いとか読んだときの年齢とかいろいろあると思うのでわたしは言い切れないが。

まあそんなわけで、けっこう手紙好きの登場人物の手書き手紙に笑いを誘われつつ、最後にはもうお腹いっぱいの心境になってしまった。せっかく買ったんだけど。
(文藝春秋 2000円+税)

すごくうれしかった夜

先日ミクシィのマイミクYさんから大阪へ行くので会いたいとメールがあった。東京在住のYさんの日記やつぶやきを読んで好意を感じていたからもちろんオーケー。会う場所はもちろんシャーロック・ホームズにした。チビの茶髪と自己紹介したら、大柄な赤髪と返信があって、すごく期待しちゃった(東京弁-笑)。サラ・パレツキーの本を手に持っているとのこと。
相方に話すと「本を持つまでもなくわかるやろ。店に入ってくるなりわかって爆笑している様子が目に見えるようや」ですと。

ほんまにその通りで、わたしはいつもの入り口が見える席にいて、入ってきはる姿でおおっと立ち上がった。あ、座ったまんまやったか、立ち上がったつもりね。アイリッシュ系の感じがする美女であった。
お土産をくださって、今夜の新幹線に乗るからあまり時間がないと言いつつ、しゃべるしゃべる。なにも食べる間がない。しゃべりと笑いの連続であった。

サラ・パレツキーの本をきっちりと読んでおられ、3年前の東京でのサラさんの講演会にも行かれたそうだ。最近サラさんの本の読み返しもしていなかったわたしは焦った(笑)。
そんな人がファンクラブに入ってないなんてね。抜け目なく(笑)会報バッグナンバーを持っていったわたし。
新幹線からご入会のメールが来てうれしい。