iPad miniがほしい

さっきツイッターを読んでいたら「アップル、大型iPadの量産開始延期を請負業者に指示」という記事の見出しが目についた。下半期に遅らせるようだ。すぐに大型iPadが欲しいと言っている相方に教えてやった。
いま相方が持っているiPadは2011年5月に買ったもので、わたしが買ったにもかかわらず相方のものになっている。なのでわたしの読書用に2014年にKindleを買った。Kindleではほとんど青空文庫の漱石など古典を読んでいたが、いま長い冬休み中である。やっぱり持ってみたらアップルがおしゃれやなというのが実感。iPad miniがほしい。
で、いまアップルのサイトで寸法とか値段とかを調べている。高いけど買えない値段ではない。なにか節約して買うてまえと心の叫び。来週買おうと決意した。

iPad miniを買った

こどものように欲しい欲しい来週買おうかななんて言っていたら、iPadを使っている相方が「気晴らしにアップルに行ってきたら」とのたまわったので、その声が終わらぬうちに出かけてiPad miniを買ってきた。
買うものが決まっていてお店の対応がテキパキしているから往復1時間ちょっとだったな。午後のいちばん空いている時間のようで、店に入るなりなにがいるか聞かれ「iPad miniが欲しい」というと係りの人を呼んでくれた。すぐに現物を出してくれ、カバーも買うというと、各色の見本をさらりと見せてくれたので、本体は白、カバーは赤に決めた。合計税込33,048円。iPadのいろんな種類の中でいちばん安い。
久しぶりにアップルストアのビニール袋を下げて気持ち良く帰宅。
相方に設定を手伝ってもらって夕方には本が読める状態になった。大きさと重さがちょうどわたしの手に良いと思う。
これから日本文学をまた読んでいくつもりなので、1冊目は「我輩は猫である」にした。久しぶりに読んだら楽しかったしKindleで読むより操作性が良くて読みやすい。お金は3倍以上かかったが。Mac、iPad、iPhoneと三拍子揃っていい気分。
布袋に入れたままでずっと触ってなかったKindleくんがかわいそうだが、Kindleの中に買った本が入っているのでそのうち充電しよう。

ジャン・コクトー「美女と野獣 ある映画の日記」をまだ読んでいる

1週間前に本書をアオツキ書店で見つけたときはすごくうれしかったが、こんなに虜になるとは思わなかった。ただコクトーが好きで、彼の映画の中でも「美女と野獣」が好きなだけだが、こんなにおもしろくて惹かれる日記は滅多にない。
「美女と野獣」の映画をつくるために集まった人たちは、それぞれの分野で1940年代に活躍した素晴らしい人たちだ。わたしは少しだけそのあたりのことをかじっているから、すごくおもしろい。
本文の日記がおもしろいのはもちろんで、用事の合間にちょっと開いて読んで閉じて、また次の機会に開いているが、同じところを読んでいても気にならない。
こんなことは初めてだが、この本は注釈がおもしろいのだ。たいていが人間のことになるが、フランス語で名前があってたまに読めるのもあるのは有名俳優や監督である。読めないのは日本語だけ読んでいると、あっそうか彼のことかとわかってくる。そしたらフランス語にもどって納得(笑)。
もやもやとした知識はいっぱいあるのだが、整理して書くところまでいたらない。またそのうちに。今日は確定申告でアタマを使ったからここまでで終わり。

マイケル・ウィンターボトム監督『スティーヴとロブのグルメトリップ』

「スティーヴとロブのグルメトリップ」(2010)は、とても変わっていておもしろい映画だった。イギリスの人気コメディ俳優のスティーブ・クーガンとロブ・ブライドンが本人の役で出ている。イギリスBBCで放映されたTVシリーズを再編集した映画化なんだって。

スティーブが受けた仕事は1週間北に向けて旅をし毎日その地の有名レストランで食事を味わうというものだった。
二人は四駆でロンドンを出発し湖水地方の美しい景色の中を美味を味わいながら1週間の旅をする。美しい景色の中を車は走っていく。二人がとにかくよくしゃべるので最初はなにを言ってるのかわからない。字幕を追って理解しようとがんばってせっかくの景色を楽しむ暇なし。途中からは諦めてわかる範囲でええわいという心境になった。マイケル・ケインの真似が多かったのはそれだけイギリスで人気がある俳優だからだろう。
イギリスの田舎を車は走り、ワーズワースやコールリッジの詩を暗唱することもありケイト・ブッシュの「嵐が丘」を歌うところもあった。この近くが嵐が丘だというセリフにここがヨークシャーかと感極まったわたし(笑)。

車を降りて岩山に登るところ、携帯電話は湖のそばでなら通じると言われて美しい湖水まで行くとかよいシーンがいっぱい。
帰りにマンチェスターのスティーブの両親の家に寄るところもよかった。
ずいぶんと変わったおもしろい映画だった。

ジャン・コクトー『美女と野獣 ある映画の日記』を読みながら

昨日アオツキ書店で買った本を他の本をおいて読んでいる。全部読むつむりはなく気がすむところまで読むつもり。そしたら読みかけのミステリにもどることにして読み続ける。
好きな映画の中でも飛び抜けて好きな映画の製作日記だ。どんな「美女と野獣」の映画が作られてもこれ以上の「美女と野獣」(1945)はないと思っているくらいに好きだから、どのようにして撮ったのか興味がわく。

ベル(美女)役のジョゼット・デーのことなんだけど、この映画でほれぼれしたのだけれど、他の映画に出ているのか気にしてなかった。いまわかったことは、コクトーの「美女と野獣」と「恐るべき親たち」に出演後、マルセル・パニョルと結婚して離婚。その後ベルギー人の実業家と結婚して映画・演劇界から去ったとのこと。それで以後の彼女の映画はないのだといまごろわかった。
もひとつわかってうれしかったのは、写真がたくさん収録されているんだけど、ベルが家にいて女中のように働いているところは、フェルメールの絵の中の少女にそっくりだ。コクトーが意識してフェルメールの感じにしたって書いてある。いまごろわかったんだけど、なんか楽しい。

はじめてテレビで見たときの感動を思い出す。それからだいぶ経ってからレーザーディスクを買い何度も何度も見ている。いまはDVDがあるんだけどちょっとご無沙汰している。いろんなシーンを覚えていて、本に入っている写真を見ると懐かしい。
スタッフの名前を見ると、ルネ・クレマンが技術助言〔技術顧問〕、美術指導がクリスチャン・ベラール、撮影指揮〔撮影技師〕アンリ・アルカンと知ってる名前があるので、本文を読み進めばいろんなことを知ることができるだろう。

エラリイ・クイーン『災厄の町』〔新訳版〕

4月に予定されている関西翻訳ミステリ読書会の課題本の告知を見てちょっとおどろいた。エラリイ・クイーン「災厄の町」は1942年の作品の新訳版である。なんでこんな古い本をやるの? そのわけは巻末にある訳者のあとがきでわかった。そして、本書はいま読んでもおもしろい。読み出したら手放せず二回読んだ。本の中のエラリーがステキ。

この本をわたしは半世紀以上前に読んでいる。こどものときに家にあったミステリ本の中にあった。本棚に並べてあった父親の本をずいぶん読んだものだ。戦災で焼き出されてすべてを失ってから古本屋や屑屋で買い集めた本である。狭い部屋にぎっしりと本が並べてあり、ほとんどが探偵小説なので暗くなってから本を見るのが怖かったものだ。その上に二番目の姉とその次の兄が買ってきて加えたから増えるいっぽうだった。
「災厄の町」(妹尾アキ夫訳 雑誌「宝石」掲載)は我が家のミステリファンの間では好評だった。それからかなり経ってから「Xの悲劇」「Yの悲劇」「Zの悲劇」「ドルリー・レーン最後の事件」の4冊が話題に上ったのだった。喧々諤々という言葉があたっていたと思う。エラリー・クイーン熱はここまでだった。
「オランダ靴の謎」その他を読んでもピンとこなかったのは、「災厄の町」で植えつけられた静かな中年にさしかかったエラリイ・クイーンのイメージのせいである。そして、もうええやんとエラリーの姿を消した。ハードボイルドが目の前にあった。

エラリーがライツヴィルに着いたときの描写ははっきりと覚えている。だけどライツヴィルの場所がニューイングランドだとはじめて知った。それで今回は舞台になる町がイメージできた。
町はいま景気が良くてホテルは満員だし泊まる場所を見つけられない。エラリーは不動産屋にまっすぐ入っていき、月極めで借りられる家具付きの家がないかと尋ねる。勧められたのは町一番の旧家で銀行頭取のライト家のものである一軒家だった。その家は曰くつきだという。
旧家であり資産家であり町民の指導者のような一家には娘が3人いる。長女のローラは巡業にきた役者と駆け落ちしたが一人で戻ってきてよそで一人住まいしている。次女のノーラはジムと結婚が決まり両親は喜んで家を建ててやった。結婚式の前日に二人は大げんかしジムは町を出て行ってしまった。結婚式は取りやめになり家は住む人がいなくなった。
三女のパトリシアは未婚だが、以前から郡検事のカーターと付き合っている。
その家に住むことにしたエラリーは作家エラリー・スミスと名乗って落ち着いて仕事をはじめる。
(越前敏弥訳 ハヤカワ文庫 1200円+税)

ノーラ・エフロン監督『ユー・ガット・メール』

何回も見ている大好きな映画。好きな映画の20番目くらいにはいるかも。ラブ・コメディ大好きだが押し付けがましいのに当たるとがっかりする。なかなか難しいところをクリアしている映画を見るとうれしくなる。そういう映画である。

メグ・ライアンほどラブコメディに向いた女優はいない。美女ぶらない好ましい美人。相手役のトム・ハンクスは男前とは言えないが好ましい男ナンバーワン。二人がインターネットでメールを交わす。実際にも会っている仲だがお互いがわからないところから話がはじまり、だんだん惹かれあっていく。

要するに「高慢と偏見」現代ニューヨーク版である。実際にメグ・ライアン扮するキャスリーンはいつも「高慢と偏見」を抱えていて、待ち合わせのカフェで読んでいる。ちょうど映画が封切られたころ、わたしも「高慢と偏見」を20回くらい読んでいると言ってた。ここ数年はなぜか読んでなくて、コリン・ファース演じるダーシーさんのDVDもしまい込んだままである。暖かくなったら出番がくる予感がする。

アン・ペリー『偽証裁判』を早く読みたい

積ん読になるほど本を買わないほうで、買った本はわりとすぐに読んでしまうのだが、P・D・ジェイムズにはまってから積ん読家になった。ダルグリッシュ警視長以外に目がいかなくなって何度も読んだから。
さっきツイッターを読んでいたら、アン・ペリー『偽証裁判 上・下』(創元推理文庫) についての書き込みが並んでいる。「迫真の歴史法廷ミステリ」なんて書いてあると煽られる。モンクとヘクターのシリーズが大好きなんで、いま読んでるのをおいて読もうかと思う。いま読んでいるのはエラリー・クイーン「災厄の町」で一度読み通したのをもう一度読んでいる。半世紀前に読んだ本だけどこんなにおもしろいとは思わなかった。読書会で取り上げなければ買わなかっただろうから儲けもの。読書会は4月なので日にちはあるのだが読み出してしまった。ダニエル・フリードマン「もう年はとれない」は、最初の5ページほど読んでみたが、これは積んどく。
ということで、今夜と明日は『災厄の町』で、あさってから『偽証裁判』かな。目下、ヴィク・ファン・クラブの会報づくりが終わりにかかっている。水・木で仕上げて金曜日に送りたい。その後がアン・ペリーと決めておこう。

ジョン・ マクティアナン監督『プレデター』

知人のブログを読んでいたら今日は映画の話だった。アーノルド・シュワルツェネッガーの「プレデター」が好きで100回くらい観ていると書いてあったのでびっくりした。わたしはその題名は知っていたけどどんな映画か知らないのだから。
1987年のアメリカ映画ということは28年前か、ブログの人は少年時代から見て感激しっぱなしだそうだから、どんなのか気になる。これは見なくては。

わたしが「エイリアン」を最初に見たのはまだ泉ヶ丘に住んでいたときで(35・6年前の話)、通勤電車が難波駅に入るときに看板が目の前にあった。毎日看板を見ているうちにだんだん見に行く気になったのを思い出す。終わってからうなぎを食べに行こうと言っていたが、うなぎの気分にならなかったことが忘れられない。

検索しているうちに〈映画『プロメテウス』『エイリアン』『プレデター』『エイリアンVSプレデター』のストーリー時系列まとめ〉というのがあって勉強になった。次は「プレデターズ」を見ることになりそうだ(笑)。そのあとにも続々とあるじゃん。あっ、「プロメテウス」は見ていたっけ。

アーノルド・シュワルツェネッガーは好きではないが、寡黙で強い軍人を演じてぐんぐん引き込むところはやっぱりすごい俳優だ。高度な技術を持つ地球外生命体・プレデターに襲われて戦う。腕の太さ、首のたくましさ、そして走り泳ぐ肉体の強さは好きではないがすごい。

しっとりとバレンタインデー

バレンタインデーというとちょっと斜めに構えて、聖バレンタインデーの虐殺を思い出していたのだが、最近はさっぱりアル・カポネの名前が記憶から抜けている。カポネの話をはじめたら止まらなかった父親の影響から抜けたのかしらね。
チョコをもらう日というほうが優先してる。あげるのではなくもうらうっていうのが身勝手だけど(笑)。
いま、いただいたチョコを食べながらマイルス・デイヴィスの「マイ・ファニー・バレンタイン」を聞いている。しあわせだなあと思うひととき。ほんまに今年もこうやって静かに暖かく冬を過ごせて、ほんまにしあわせとしかいいようがない。生きてるし。

先日、1月28日に音楽評論家の中山康樹さんが62歳で悪性リンパ腫で亡くなられた。一度だけ難波のジャズスポット845でトークを聞いたことがある。黒の長袖Tシャツがとても似合ったシャープなひとだった。うちには「マイルスを聴け」ほかたくさん中山さんの本がある。相方のものでわたしは1冊しか読んでないが。

今日はシーナ&ロケッツのシーナさんが61歳で亡くなられた。わたしは1978年くらいに御堂会館でライブを見た。エルビス・コステロの前座だったけど、デビューしたときだったのね。わたしにはパンク初体験だった。それから37年!!

お二人のご冥福を祈ります。