ボビー・ファレリー/ピーター・ファレリー監督『愛しのローズマリー』

寒さと会報疲れで午後の2時間を爆睡。野菜料理4品と湯割りと温かい雑炊で復活した。
おもろそうなラブコメディないかなとお借りしているDVDから吟味したのが、グウィネス・パルトロウ主演の「愛しのローズマリー」(2001)。なんかよさそう。
実はファレリー兄弟の名前もどういう映画を撮っているかも知らなかった。大好きなグウィネスのロマンティック・コメディとして見たのだが、骨のある異色の映画監督の作品だったからよかった。

ハル(ジャック・ブラック)は仕事のできるビジネスマン。子どものときに父親が亡くなり、ヘンな遺言がトラウマになって、外見が美しい女性ばかりに目がいく。ある日、エレベーターが故障して乗り合わせたテレビに出ているカウンセラーと意気投合して、トラウマから逃れるよう催眠術をかけられる。それからは内面の美しい女性が外見も美しく見える。街でみかけたローズマリー(グウィネス・パルトロウ)に声をかけるがスリムな美女に見えた彼女は体重300ポンド(136キロ)もある。レストランの椅子が体重で壊れたのに椅子がやわだからとモンクをつけるハル。
気がついた友人がカウンセラーに催眠術を外してもらうと、ローズマリーの300ポンドの巨体のまま見えてげんなり。
ずいぶん逃げ回ったけど、障害者の友人や小児病棟の子どもたちの善意にも気づき、ハルはローズマリーへ真実の愛を告白。

飽きずに笑って見られてよかった。グウィネス・パルトロウがすっごくきれい。ファレリー監督のことも検索してにわか勉強した。

荒俣宏編著『大都会隠居術』から宇野浩二、その連想で久保田万太郎

本書にはふだんは忘れている作家の作品が入っていてうれしい。永井荷風、谷崎潤一郎、内田百閒はわりと最近もなにかと読み返しているが、宇野浩二、里見弴あたりは忘れている。大岡昇平、稲垣足穂、江戸川乱歩も長いこと読んでいない。だから短編であろうと懐かしく読んだ。短編だから読めたわけだけど。

さっき今日はだれの作品のことを書こうかと見ていて、宇野浩二の名前を見たら突然、久保田万太郎という名前が浮かんだ。本書には登場しないし、それにまず、わたしは久保田万太郎の作品を読んだことがあるのかなぁ。
こどものころに家にあった文芸雑誌や日本文学全集の類いで読んだかもしれない。
で、こういうときの青空文庫だ。
タイトルが気に入った「三の酉」を読んでみる。男と女の会話がすごく気に入った。

わたしと女の会話。女は「十五の春から四十台の今日が日まで、三十年、ずッと芸妓をして」きた。
【五(章の最後のところ)
――一日だけ、あなたの奥さんになって上げるのよ。
――あなたの奥さんに? ……
――あなた、いま、いったじゃァありませんか、女のほうでマスクをかけてると、ちゃんとした夫婦として、人が彼これいわない……
――あゝ、それか……
――その代り、帰りの金田の勘定は、りッぱにあなたが払うのよ……

六(第六章はこれだけである)

……おさわは、しかし、その年の酉の市の来るのをまたずに死んだ。……二三年まえのはなしである。

たか/″\とあはれは三の酉の月

というぼくの句に、おさわへのぼくの思慕のかげがさしているという人があっても、ぼくは、決して、それを否(いな)まないだろう……】

ドロシー・L・セイヤーズ『学寮祭の夜』をまた読んだ

今週は会報仕事以外はずっと「学寮祭の夜」を読んでいた。今回は最初から最後まできっちり読んだ。この厚い文庫本になってからは何回目かな。ふだんは好きなところだけの拾い読みで全体を通しては読んでない。
昔から持っていた抄訳の「大学祭の夜」(黒沼健訳)こそは何十回何百回と言うほど読んでいる。引っ越しを何度もしているし、門外不出にするまでは友だちに貸していたのに、奇跡的にここにある。亡くなった姉にもよく寄越せと言われたっけ。妹が「なんで姉ちゃんが金盞花が好きかわかったわ」と文庫が出たときに読んで言った。関東にいるので読みたいと言っても貸してやらなかったから(笑)。こどものときから、わたしは金盞花が好きと言って、母親に「仏さんの花のどこがええんや」と言われていたのだ。妹はそれを小耳にはさんでいたみたいね。VFCサイト掲示板(いまはありません)で話題にしたときは何人かにコピーしてあげた。まただいぶ経ってから浅羽莢子さんの訳が創元推理文庫で出た。

そんなもんで分厚い全訳の文庫本を読みながらも、ハリエットとピーターの会話は古い本のその部分を思い出して口ずさむように読んでいる。ものすっごく憧れていた。貴族で金持ちで秀才でスポーツマンで、背がちょっと低めだけど。欲しいものはなんでも手に入っていたのに、ハリエットだけがノーと言った。
この物語を書いたドロシー・L・セイヤーズは、お金に困っていたから小説の主人公はお金持ちにしたとなにかに書いてあった。
ほんまに憧れのピーター卿なんだけど、ハリエットと知り合ってからは女性に対する見方が変わった。「学寮祭の夜」はピーターが変わっていき、ハリエットも意地を張るのをやめて、お互いに愛し合っているのを確認するとても素敵な物語なのだ。
(浅羽莢子訳 創元推理文庫 1320円+税)

荒俣宏編著『大都会隠居術』から内田百閒『特別阿呆列車』

さっきまでいろいろと用事をしていたら夜半を過ぎた。スタートが遅いからしかたがないが、この日記になにを書くかが決まらない。毎日のことだけど、テーマさえ決まればちゃっちゃと書けるのに。
それで、なんべんも読んだ内田百閒にしようと決めたのだが、今回は「百閒」の文字がちゃんと出るようになっていた。以前は百間と打ってから「間の中の日が月」と注釈をつけたものだ。

こどものころ家の本棚に「阿呆列車」が何冊かあった。父親が百閒先生のファンだったので他にもあったと思うが、そのころ読んだ本ではこの本しか覚えていない。
用事がないのに汽車に乗るが一等車でないといけない理由がある。食堂車で酒を飲む。大阪まで行くが一泊して翌日の昼の汽車で戻ってくる。お供はこども心にも楽しいヒマラヤ山系くん。編集者が見送りに来るので、百閒先生ってえらいんやと気がついた。

おとなになってからの話だが、阿呆列車の真似をしたいがお金がない。百閒先生のように錬金術をするほどえらくない。
その心持ちで京都とか奈良に行って、観光ではなくうろついて帰ってきた。その心は阿呆列車。これだけでも若いのに隠居生活やってたのがわかる(笑)。

最近はもう読まないが、猫と暮らしているときは「ノラや」「クルやお前か」を再読、三読した。そばに猫がいると、ノラやクルのことが他人事ではなくなっていた。
(光文社 〔光る話〕の花束5 1262円+税)

大都会“女”隠居術

荒俣宏編著「大都会隠居術」がおもしろくてたまらない。
一度読んだのをまた読み返している。次にだれの作品を紹介しようかなと考えていたら、その前にわたしが女隠居やんかと気がついた。というのは、昨日も今日も部屋から一歩も出ずに、パソコン前とテーブル前を往復している。昨日はまだ掃除機をかけたり洗濯したりしたが、今日は雨だし、食事の支度は相方がやり、わたしは食器洗いだけした。
ほんまにご隠居さんやなと自分ながら感心。それならそれでご隠居道をまっしぐらに進むべし。

去年の暮れに「立ち止まって考えている」とヴィク・ファン・クラブの会報に想いを書いた。去年の正月そうそうのマイコプラズマ肺炎から体力が落ち気力が萎え、春夏になってもデモに行く元気がない。〈元気〉という自分の取り柄がなくなって、これからどないしょうかと立ち止まって考えてるということ。

いま、ふと考えがついた。ご隠居さんや。
ここに座っていたら隠居と無駄話にくるひともおるやろ。
さいわいに阪神大震災のときにお話伺いボランティアでの経験がある。ひとの話を聞くのが得意であったし評価もされておった。
直接でもネットでもご隠居さんと話したいひとはいると思う。振り返れば、過去にも現在にもおるやんか。隠居道まっしぐら(笑)。

オタール・イオセリアーニ監督・脚本・編集・主演『素敵な歌と舟は行く』

ほんわかした映画が見たくてT氏のDVDの中からタイトルで選んで見た。1999年のフランス映画で、監督・脚本・編集・出演(主人公の父親役)のオタール・イオセリアーニはグルジア出身。

パリ郊外の広い森を持つ館に住む、酒飲みで鉄道模型愛好家であり妻がいないと広い庭に出てクレー射撃に興じる父親、館の中でコウノトリを放し飼いしている支配的な実業家の母親、年頃の息子と年の離れた娘が3人いる一家。
母は仕事で出かけるときは自家用ヘリコプターで飛び立つ。父は母がいないと射撃と酒で楽しむ。息子はスーツ姿で出て行き途中でカジュアルな服に着替えて街中へ。

もう一人の主人公である鉄道清掃員の青年は、タタミ半分くらいの空間に住んでいる。仕事着をスーツに着替えて知り合いにオートバイを借りて街を走り、カフェで働いている娘と仲良くなる。
青年ふたりが街で交差する。ぼっちゃんは家にナイショで浮浪者仲間を連れて帰り酒を飲ます。地下の酒蔵がすごい。浮浪者の中で年輩の一人が父親と飲んで仲良くなる。母が帰ってくると必死で逃がす。

ぼっちゃんのほうは身分を明かさずに不良仲間と銀行強盗グループの中に入りぱくられる。刑期が終ると刑務所に召使いがクルマで出迎える。家に帰る前にパリの街を走ると、あのカフェで娘さんがガラスを拭いている。出てきた夫は鉄道清掃員の青年だった。

館にもどると父親と浮浪者が酒びんを手に仲良く出て行く。帆船で館の側を流れるセーヌ川を下ってやがて海に出る。

見た映画は褒めたいけれど、この映画はわたしはあまり感心しなかった。よかったとだれもが言うやろと思うけど。どこか、なにか、ちゃうねん。

荒俣宏編著『大都会隠居術』から永井荷風『短夜』

1989年発行の本が本箱の隅にひっそりと入っていた。若くして隠居指向だったわたしが(笑)、当時人気の荒俣宏氏が編集した本ということで買ったのだった。
いま読んですごい本である。序「老いて成りたや巷なる妻子泣かせの放蕩児」からはじまって第1ステップ「都会隠居術事始め」、第2ステップ「都会に潜む悦楽」、第3ステップ「それぞれの隠居たち」、第4ステップ「そして、死との対面」となっていて、それぞれに荒俣氏が選び抜いた、有名無名の作家による文章がある。作品の前に荒俣氏の短い紹介文があるのがとてもよいのだ。

今回読んでしみじみ好きになった永井荷風の「短夜」(みじかよ)の紹介文から。
【「短夜」は現世の波にもまれるばかりで、真の男女の情交を味わえずにいる男たちへの、最大の慰めといえる。編者はこれを読み返すたびに全身がわななく。涙があふれてくる。(中略)都会隠居にぜひとも必要なのは、肉体の交わりを忘れさせるほど心打つ物語を、果てしなく語ってくれる伴侶なのである。】
「短夜」では、男の言葉と女の言葉が交互に語られる。無粋な電灯の灯を消して、小窓の外の夜の光に照らされた女の横顔の輪郭だけを四畳半の闇の中から区別している。【繊細な然し鋭いお前の爪先で弛んでしまった私の心の絲を弾け。】

この掌編ひとつでこの本を長年置いていた元が取れた気持ち。もちろんこれだけでなく他にも心惹かれる物語があるので、折々に紹介していこうと思う。
(光文社 〔光る話〕の花束5 1262円+税)

正月二日の朝から

姉とは毎日晩ご飯がすんだころに電話で話しているが、昨日は夕方早く電話がかかった。枯れた声で風邪引いて熱があるねんという。元旦そうそうなんやねんな。どうやら体調が良かったので大晦日にいろいろと動きすぎたのがこたえたようだ。おせちなどどうでもいいのに、だから切ればすむかまぼことか買って行ったのに。3日の来客(わたしらも入る)に備えてぜんざいやら海老やら煮炊きものをして、玄関の戸も洗ったとか。
かかりつけの医者に電話したら明日来てくださるそうだ。
3日の宴会はキャンセル。かわりに明日様子を見に行くと言ったらご機嫌がよくなった。

今朝、お昼の弁当と明朝のパンと見舞いのお菓子を持って行った。お医者さんは診療カバンを携えてお昼前に来てくださった。普通の風邪だった。姉は何年も前から毎日朝晩の体温と血圧をノートにつけている。わたしはつけるどろか測ったこともない。けったいな姉妹である。

NHKテレビで桂文枝さんの両親の物語をやっていた。その後はサンテレビで「鬼平犯科帳」を見た。テレビかけっぱなしでないと淋しいというけど、ふだんテレビがない生活をしていると、いっしょけんめい見てしまう(笑)。ラグビー、「相棒」と見たら帰る時間。

福袋を買いに行ってた姪一家が昼過ぎにやってきた。
ブラウス、トートバッグ、お菓子などお土産をたくさんもらって、ぜんざいやらお菓子やら食べて、準宴会(笑)。
本宴会は1月後半に延期になった。中止はしない。

ピーター・キャメロン『最終目的地』

ジェームズ・アイヴォリー監督の作品の中で「最終目的地」がいちばん気に入ったと、DVDを貸してくださったT氏にメールしたら、「それはkumikoさんの腐女子成分の琴線に触れたからかも」と返信があった。それはそうかもと思う部分はあり(笑)。

すぐに原作をアマゾンに注文して、すぐに読んでしまったが、ずいぶんと余韻が残っている。すごーく静かな作品なのだ。400ページを超える長い物語なのに、長さを感じさせない、ただ最後まで静かなのである。

ストーリーは映画とほとんど同じなのでここでは違う箇所だけ。

作家グントの兄アダムの恋人ピートは映画では真田広之がやっていて、徳之島生まれの日本人で15歳のときから知り合って25年ということだったが、原作はタイ人でもっと若い。映画ではここが最終目的地だと言っていたけど、原作は違っていた。どっちもなるほどと思えた。

主人公オマーは小説も映画も同じように静かで考え深い青年。イランのテヘラン生まれの移民で父親は医者で息子も医者にしたいのに、彼は文学を選んだ。彼を主人公にしたのでこの作品が成立したのだと思う。恋人のディアドラはアメリカ女性としてすごくいいひとなのに、すれ違うところがある。

ついにキャロラインから伝記執筆OKが出たが、オマーは書かないと決める。
アメリカに戻ったオマーはディアドラと別れて、アーデンに会いに再びウルグアイに行く。
ウルグアイの屋敷の枯れた湖にアダムとグントの両親がベネチアから運んできた船が置いてあった。蜂に刺される前にオマーとアーデンはその船ではじめて抱き合ったのだった。

キャロラインとグントがウルグアイに住んだわけもわかった。キャロラインの妹が死んでニューヨークのアパートを姉に遺した。キャロラインはニューヨークにもどって暮らすことにする。実は昔ニューヨークに住んでいたとき、妹とグントが恋人どうしだったのをキャロラインが奪い、グントとふたりでウルグアイに逃げたのだ。

物語の終わりは数年後のニューヨーク。オペラ「ホフマン物語」の幕間。観客の中にディアドラはキャロラインを見つける。二人とも男性とともに盛装していて美しい。次の幕ではベネチアの舟歌が歌われる。

オマーが他の南米の作家について書いた本が刊行されているのをディアドラが書店で見つけて買う。著者紹介で、オマーは妻と二人の娘とともにウルグアイ在住と記してあった。

装丁がおしゃれで内容とぴったり。
(岩本正恵訳 新潮クレストブックス 2400円+税)

歳末の大阪、昨日と今日

昨夜は映画を見ていて寝るのがえらく遅くなった。映画の後は感想を書くのににわか勉強したりで時間がかかった。見始める時間が遅かったうえに上映時間が172分(3時間に8分少ない)と長かった。

昨日は朝8時に起きて10時に梅田到着、頼まれていた買い物をした。阪神百貨店は混雑していたが、売り場の配置や商品の置き方に工夫があり、店員も多くて買いやすかった。でも頼まれものだから迷って行きつ戻りつした。姉の家の近くの魚屋と米屋が老齢のために閉店したからだけど、年末になると向こうからあれこれ気を使ってくれたのがなくなった。ということで、かまぼこ、きずし、味噌漬け、大納言小豆、京菓子などを購入した。
それで疲れてしまい花屋などに行く付き添いはご免被って、猫の相手をしながら「相棒」の古いのを見ながら留守番していただけだが。それでも疲れてよれよれで帰ってきた。だから映画で戻そうと思ったんだけど、えらく気力を要求する映画で大変だった(笑)。

今日は心斎橋の大丸へ。食べものの買い物を少々して、先日生地が薄くなっているのに気がついてびっくりした掛け布団のカバーを買いに無印良品へ。しっかりした生成り生地のカバーがあってほっとした。ずっしりと重いので2枚だけ買って来週また2枚買おう。
行きしの地下鉄の長堀鶴見緑地線のドームへ行く電車が超満員、御堂筋線のホームからドーム行きまで人がいっぱい移動している。だれか人気者のコンサートがあるみたいで、若い女性が多い。
これでは帰りの電車を遅らせないと混むやろと心斎橋を少し散歩した。とにかく人が多いがどこへ行くんやろ。クリスタ長堀の本屋で「ユリイカ」を買い、喫茶店に座ってコーヒーを飲んで足を休めた。

晩ご飯を食べながらIWJの中継「岩上安身による火炎瓶テツ氏インタビュー」を見た。以前からテツさんのファンなので、いろいろと個人的なこともわかってよかった。

明日は大晦日、一年経つのは早いなぁ。