体重を減らす

若いときは45キロ、それから47キロくらいが長かった。当時の写真を見るとほんまにすっきりしている。それが堺筋本町にある会社に転職して職場の近くに有名なスイーツの店があったのがいけなかった。毎日午後に夏はアイスクリーム、涼しくなったらコーヒーとシュークリーム。おいしいかったのは確かだが、サボりたかったのが真実(笑)。
その会社を半年後に辞めたのだが、それから少しの間主婦業をしているうちに50キロをオーバーした。なんせ背が低いので45〜47キロが順当なところを52キロで30年間くらい過ごしてきた。
膝を悪くしたとき、体重を減らしたほうがいいと思ったが、思うだけでは1キロだって減りはしない。とにかく食べるのが好きなんで。

それが一日二食にしたらたちまち50キロを切って49キロに。美容院でほっぺたの贅肉がなくなったと褒められてうれしかった。お腹の肉はとれないけど、腰のまわりにずっしりついていた肉はとれた。菜食にしてまた痩せて48キロに。今年になってから47キロ台である。昨夜みたいに食べ過ぎると47.6になり、夜食をしないと47.2にさがる。
目標は45キロなのでまだだいぶかかりそうだが楽しみだ。

細野ビル66(rokuroku)展 XI  オープニングイベント

Opening Act 出演者
Art Live:小澄源太×豊田奈千甫(音楽)
Music Live:AZ CATALPA、MOHIKAN FAMILY’S、デミ
Art Live: 今川咲恵、わたなべゆう(guitar)、池田安友子(percussion)
Music Live:KING COLUMBIA
Final Act「素敵なあなた」:鞍掛綾子 × 樋口洋子 × ふじたゆかり(song)、 KING COLUMBIA

去年10回目を迎えた66展、今年は11回目になる。
今日のオープニングライブは6時6分から始まって11時10分頃まで5時間を越える長丁場だった。
去年、道路の縁石に座って窓から見ていたのが涼しくてよかったので、今年は最初からそのつもりでゆっくり行った。水とお菓子を持参したのを食べながら、ときどき窓に近づいてライブペインティングの様子を見ながら、時間がゆっくりと経っていくのを感じていた。

建物の横の庭に用意されたテーブルにはワインのコップが用意され、食べ物がいろいろと並んでいる。
ワインを飲みながら1年ぶりに顔を合わせた絵描きの友だちとしゃべった。七夕さんみたいにずっと年に一度細野ビルで会っている。ミクシィで知り合ったのが先か、細野ビルで話したのが先か。ご近所さんのアーティストとも会った。会期中に彼の作品を見に行かなければ。(展示は12日まで)
そういえば、去年までずっと来ていたのに今年来てない子がいる。そう思って見渡せば、知らない人がけっこう多い。こうして新陳代謝していくんやな。

ずっとボランティアで細野さんのお手伝いをしているNさんは、細野ビルはこの日が新年だという。それで新しい年もよろしくと挨拶をしあった。毎年この日は着物に袴をつけて接待にあたる怪傑男子。

寒くなってきたので一度家に帰ってパーカを着てきた。
そろそろ帰る人がいて椅子が空いたので座ったら、KING COLUMBIAがはじまるところだった。わたしがスイングジャズを聞くのはこのバンドだけだけど、今年はすごくいい演奏であっという間に45分が経った。管楽器が5人そろうと景気がいい(笑)。
そして最後にお定まりのダンス「素敵なあなた」なのだが、今日は鞍掛さんが出られなくて、樋口洋子さんがモダンガールって感じで踊った。ふじたゆかりさんが歌で入ってKING COLUMBIAと盛り上げていた。

キャメロン・クロウ監督『あの頃ペニー・レインと』

キャメロン・クロウ監督は15歳でロック評論家としてデビュー、16歳のときには「ローリング・ストーン」誌で最年少のライターとして活躍していた。「あの頃ペニー・レインと」(2000)は、レッド・ツェッペリンのツアーに同行取材した自身の実体験を元にした映画だ。

ウィリアム(パトリック・フュジット)は父が亡くなってから教師の母と姉との3人暮らし。勉強がよくでき飛び級で2年上のクラスにいる15歳。母親はこども達に厳しい。反抗した姉が家を出て行くときにベッドの下にたくさんのレコードを置いていってくれる。
姉の「蝋燭をつけて聞きなさい」とメモのついたレコードを聞くウィリアムの幸せな表情。彼は演奏ではなく〈書く〉ことでロックミュージックシーンの中で生きるようになる。

バンドの取り巻きの少女たちの中でも特に美しいペニー・レイン(ケイト・ハドソン)がウィリアムを引き回してくれて、彼は原稿を書く許可を得る。
バスで演奏旅行を続けるバンドメンバーとの交流、ライブシーンや終了後のミュージシャンたちとのやりとりがさもありなんという感じで楽しい。

ギタリストのラッセルとペニーはつきあっていたが、ニューヨークには彼女がくるからとペニーは捨てられる。睡眠薬を飲んだ彼女につきそうウィリアムは愛していると告白。
実家にもどったウィリアムは母もものわかりがよくなり、姉も母と仲直りする。
ペニーはずっと行きたいと話していたモロッコへ一人で行く。

見終わって思った。ラッセルは〈ロックをやり〉ウィリアムは〈ロックを書き〉ペニーは〈ロックのように生きた〉のだと。

美術館「えき」KYOTOにて『加藤まさをの乙女デザイン展』

京都駅のギャラリーは一度だけ行ったことがある。あそこなら迷わずに行けるなと考えていたところへ、Yさんが招待券を送ってくださった。いざ、伊勢丹7階へ、元気よくJR京都行き普通車で出発。

加藤まさを(1897-1977)は童謡「月の砂漠」の歌詞で知られる、大正中期から昭和初期にかけて活躍した画家で詩人である。先日から1930年代の英国や上海を描いた映画を見てため息をついているが、日本の加藤まさをが生きた時代と重なっていろいろと考えさせられる。

わたしの育った家にはたくさんのこども向けの本があって、えらく古い児童書もたくさんあった。代々こどもたちに買った本が溜まって5番目のわたしには上4人の本が読み放題だった。だから加藤まさをと聞いて名前を思い出したのだが、読んだはずの「消えゆく虹」「二つの虹」の内容が思い出せない。ここでもういっこ思い出したのは「吹けよ春風」という作品で検索したら加藤武雄の少女小説だった。加藤さんだけいっしょだ(笑)。

ギャラリーにはたくさんの作品が展示されていた。楽譜の表紙は「夢二デザイン」という本で見て、その美しさにおどろいたが、加藤まさをの作品もよかった。
絵はがきが多い。ほとんどが淡い色彩の乙女というよりこどものような少女の姿が描かれている。バラなどの花の真ん中に妖精のように少女の顔がある。幼く清潔な感じがする。
竹久夢二、蕗谷虹児、高畠華宵らと並ぶと説明してあって、最後の展示室には、彼らの絵と並んで展示されていた。中原淳一もけっこういろいろあった。淳一作品をいくら見ても飽きないわたしは淳一ファン(笑)。
わたしの好みは加藤まさをよりは他の方々だとわかった。そういうこともわかって、加藤まさをと名前しかわからなかった人の作品もわかってよかった。
グッズ売り場では夢二デザインのレターセットや淳一のひまわりハンカチなどを買った。

今日は若い人たちが多かった。同時代の人はもう来られないだろうし、ちょっと下の人だったら関心ないだろう。若い人たちが夢二だけでなくいろんな人たちに関心を持っているのはいいな。

ギャラリーを出たら駅、さっとエスカレータで運ばれて、また普通電車に乗った。行きは景色を眺めながら、帰りは川端康成の「古都」を読みながら。4時間足らずの短い旅、終了(笑)。

ジェームズ・アイヴォリー監督『日の名残り』

カズオ・イシグロの原作は翻訳されたときに買って読んだ。それからすでに訳されている本を数冊読んだ。なんと!この日記には1冊もカズオ・イシグロの本の感想が出てこない。いま調べたら「女たちの遠い夏」(1982) 「浮世の画家」(1986)「日の名残り」(1989)「充たされざる者」(1995)を読んでいる。このブログを書く前だ。

映画が公開されたときは行きたいと思ったのだが、映画を見る習慣がなくなっていたのでやっぱり見に行かなかった。レンタルビデオも借りないままに今回のご好意DVDの登場となった。昨日のもだが、こういう映画を見ることができた幸運に感謝。

小説と映画は違うと検索したブログで読んだが、小説を読んだのは昔のことなので、いつか読み返してみたいということで映画のことを書く。

イギリスのお屋敷ダーリントン・パレス、その建物にいたる緑の中をくねくねと続く道をぴかぴかの自動車が走ってくる。運転手がさっとドアを開け、屋敷の前には執事が迎えに立っている。

持ち主のダーリントンが死んで譲られた跡継ぎは屋敷を維持できず競売にかける。屋敷はアメリカ人ルイスの手に渡り、執事のスティーブンス(アンソニー・ホプキンス)もいっしょに引き取られる。
昔ここで働いていた女中頭のサリー(エマ・トンプソン)からの、また働きたいという手紙を読んだスティーブンスは、新しい主人のためにサリーを推薦する。主人はサリーに会いに行くというと自動車を貸してくれる。

スティーブンスは出発する。そこから回想がはじまる。
1930年代、ナチスが台頭してきたころ、英、独、仏、米の代表がダーリントン・パレスに集まって国際会議を開く。
完璧な執事の彼は主人の命を受けて主人のために働いてきた。副執事の父親が倒れても仕事のほうが大事だった。
ダーリントンはイギリス人として誤った方向へ進んでいたが、スティーブンスは会議の内容など気にするゆとりも頭脳もなく仕事に没頭する。楽しみは安っぽい恋愛小説を読むことだった。

ガソリンがなくなって世話になった酒場での会話で、村人たちに政界の要人と面識があったなどと話してしまう。ガソリンを譲ってくれた医師は彼が雇われる側の人間だと理解した。翌朝ふたりでいるときに、スティーブンスはダーリントン卿のもとで働いていたことを話す。医師に「君自身の気持ちは?」と訊ねられ「わたしも過ちを犯した、それをただすための旅をしている」と答える。サリーをほんとは愛していたのにどうしていいかわからなかったのが彼の過ちだったのだ。

サリーとレストランで20年ぶりに会って屋敷にもどってくるように頼む。サリーは娘にこどもが生まれたと聞いたばかりで、こちらにいたいと思い返したという。
「もう会うことはないでしょう」とバスに乗るサリーを見送って、スティーブンスはダーリントンに帰る。
ダーリントンでは主人の家族がアメリカから来るので従業員一同大忙しである。女中頭も新しく採用し、村の娘たちを女中として雇うことが決まった。

ジェームズ・アイヴォリー監督『シャンヌのパリ、そしてアメリカ』

ジェームズ・アイヴォリーの映画3本目は予告編を見て気になった「シャンヌのパリ、そしてアメリカ」(1998)。原作はケイリー・ジョーンズの小説。

冒頭のシーン、お腹の大きい少女がお腹を慈しみつつ日記を書いている。
やがて生まれた子ブノワは縁あってパリに住むアメリカ人、夫は作家(クリス・クリストファーソン)、美しい妻(バーバラ・ハーシー)と娘シャンヌ(成長後をリーリー・ソビエスキー)の家族の養子になる。
ブノワ(成長後ジェシー・ブラッドフォード)は生まれてから里子に出され、受け入れた養母が死んで孤児院にいたのをこの家庭が受け入れた。
父と母に愛されて育つ息子を実の母は見て、いつか息子に読ませてほしいと日記を託す。

丁寧に学校生活が描かれる。男友だちもできるがボーイソプラノが素晴らしい子でその母(ジェーン・パーキン)も風変わりで美しい。
やがて父親が体調を崩したのをきっかけにアメリカへもどることになる。1970年代のアメリカの高校生活になじめない姉と弟。だが、父の愛はこどもたちに伝わる。

父親亡き後、なにもせずにテレビを見ている弟に実母の日記を母が手渡す。冒頭のシーンをここで納得。

バーバラ・ハーシーは「ライトスタッフ」「ナチュラル」の大好きな女優。髪型をいままでに見たことのないボブにして、会話の中で「夫がリタ・ヘイワースが好きだと言ったのでわたしが紹介されたのよ」と言っていた。

ジェームズ・アイヴォリー監督『上海の伯爵夫人』

2005年の英米独中の映画、カズオ・イシグロの脚本で、1936年の上海の夜の世界が舞台。重要な日本人役マツダを真田広之が演じている。撮影がクリストファー・ドイル。

ヒロインのロシアから亡命してきた元伯爵夫人ソフィアをナターシャ・リチャードソン(ヴァネッサ・レッドグレイヴと映画監督トニー・リチャードソンの娘、2009年没)が演じている。そしてヴァネッサ・レッドグレイヴとその妹リン・レッドグレイヴがソフィアの家族の役で出演している。

ソフィアは娘や家族を養うためにクラブで働いている。夜中働いて朝帰り、椅子で仮眠していると朝になりベッドが空いてようやく横になれる。出勤の準備をしていると家族から化粧しているところを娘に見せないようにと言われる。

ジャクソン(レイフ・ファインズ)は元外交官で、事故で娘を失い自分は失明してあてのない毎日を送っていたが、クラブでソフィアに親切にされて彼女を気にするようになる。競馬で当てた彼はクラブ「The White Countess」を開店し、ソフィアを店の中心に据える。
毎夜ジャズやシャンソンやダンスで享楽の上海の夜が続くが、なにかが欠けているように思い、ジャクソンは客のマツダに打ち明ける。マツダはこの店に足りないものは政治的緊迫感だと言い、その後は共産党、国民党、日本人が遊びにくるようになる。マツダの不気味さを真田広之がよく出している。

ようやく昔の知り合いと連絡がつき、ソフィアの一家は香港へ行けるようになるが、その費用はソフィアがジャクソンに出してもらったお金である。そして、金額不足としてソフィアひとりが取り残される。泣き叫ぶ娘を発見してソフィアは抱きしめる。

戦火のちまたになった上海の町を人々は逃げまどっている。自動車で出かけたジャクソンは行き詰まり人力車に乗り換え、そして歩いて杖をなくす。
なんとか会えたジャクソンとソフィアと娘は寄り添って上海を脱出する。

わたしもがんばらなくっちゃ、SUBにて

昨日に引き続き歯が浮いた状態が続いているが、昨日より先が見えてきたようにも感じる。でもご飯を食べるのがうっとおしい。お腹が減っているのに食べたくないって、そんな状況になった記憶がない。でもSUBへ行くと決めているので行ってこよう。「肩こり、歯痛がジャズを聞いて治るか試してくる(笑)。」とツイッターにつぶやいて一路SUBへ(笑)。

竹田一彦さんのギター、長谷川朗さんのサックス、 井上幸祐さんのベース、中道みさきさんのドラムの一夜は楽しかった。いつも金曜日は竹田さんのギターにベースが入ったりする日だが、今日はベースの井上さんの他に、店主の長谷川さんのテナーサックス、中道さんのドラムが入った。
長谷川さんのサックスは誰かの演奏の最後の2曲に入ったのを何度か聞いて、いいなと思っていた。先月初めて一晩演奏を聞いたのだが、お客さんの関係もありスタンダードが多かった。いい響きだったけど、いまの音楽を聞きたいと切実に思いながら帰った。そんなことを帰りがけにちょっと話した。

今日はとても好みの演奏で満足だった。
聞きながら彼らは演奏している、彼らの人生が演奏に反映していると感じた。聞いている者はそれを感じ、受け止めたからそれでいいのだけど、なんかそれだけでいいのかとも思った。
聞いてるだけじゃつまらない。なにかしなくちゃね。
わたしにできるのは文章を書くことである。へたっぴんでも書くことがあり発表の手段もある。がんばる。

リチャード・ロンクレイン監督『たった一人のあなたのために』

製作総指揮が俳優のジョージ・ハミルトンで、彼の少年時代の思い出がベースになっている2009年の映画。ロード・ムービー。
タイトルからはどんな映画かさっぱりわからなかったが、見終わったときは親子3人を応援する気持ちになっていた。
1953年のニューヨークが最初のシーン。
一日早く帰ったアン(レニー・ゼルウィガー)が見たのはジャズ・ミュージシャンの夫(ケヴィン・ベーコン)が若い女と浮気している現場だった。そのまま銀行へ行って夫の貸金庫からお金を全部出して、次男に札束を渡し自動車を買ってこさせる。少年がキャデラックを買うシーンがおもしろい。

二人の息子がいるが長男(マーク・レンドール)は父親が違う。いつも刺しゅうしかけのワッコを手放さない女性的なところがある少年。次男(ローガン・ラーマン)は作家志望の賢く目端の利く少年。
3人はキャデラックに乗ってボストンを目指す。アンの目的はいい男と出会って再婚すること。

ボストンからピッツバーグへ、そしてセントルイスへと移動するが、男性のほうが金目当てだったり、ちょっとアタマがおかしかったりと、アンが思ったようにはいかない。バーで声をかけた男が刑事で誤解されて留置所に入れられたり。自動車に人を乗せて料金をもらうことにすると反対に有り金をとられたり。

最後にロスアンゼルスへ出てきて安い部屋を借りて住む。ここにきてほんとに自立心が生まれた。夫が復縁を頼みにくるが、いまのままでやっていくと断る。
ハリウッドでアンと長男が映画のエキストラをしているが、うまく撮影所のえらいさんの目につきチャンス到来。しかし長男は演技がだめで、練習中にやってきた次男が替わってやってみせたら、みんなが注目。次男はハリウッドスターへの道を歩み、長男はもともと好きだった衣装係のほうへ。

スティーブ・ハミルトン『解錠師』

表紙のタイトルのそばにアメリカ探偵作家クラブ賞受賞、英国推理作家協会賞受賞と入っている。米英で評価を受けた本だ。たしか日本でも「このミステリーがすごい!」と「週刊文春ミステリーベスト10」の両方で1位になった。わたしがあまり買わないタイプの本だが、今回は知り合いに勧められて買って読んだ。

マイクルは幼くして父親の暴力を見てしまった。恐怖のあとでようやく助けられたときは声が出なくなっていた。ニューヨークで酒屋を経営している伯父に引き取られて、耳は聞こえるが声が出ないまま成長した。

学校のロッカーを開けて便利がられ、グループで金持ちの邸宅に侵入する。やがてその特技が知られ犯罪に利用されるようになる。

最初は自分の勘と才能でやっていたが、プロの解錠師ゴーストの弟子となり鍛錬する。そして一流の金庫破り(ロック・アーティスト)と認められて師匠のあとを継ぐ。
【結論を言おう。そう、結論だよ。おまえさんは芸術家だ。だから、プリマドンナみたいなふるまいが許される。それこそが求められているんだ。そうしないと、相手は変に思う。そして、なにもかも振り出しにもどす。芸術家を呼んだはずが、とろいやつが来やがった。かまうものか、撤収しようぜ。】

犯罪にからんだ男の娘アメリアと宿命の恋をして、彼女だけに過去を絵にして打ち明ける。
しかし、一度はまった犯罪の世界から足を洗う前に警察に捕まる。長い刑務所生活を支えたのはアメリアとの絵手紙の交換だった。
牢を出てアメリアと会ったときに声は出るだろうという予感。
金庫破りの芸を緻密に描く犯罪小説であり、出会いと別れのあとに再会を予感する青春小説でもある。
(越前敏弥訳 ハヤカワ文庫 940円+税)