成瀬巳喜男監督『稲妻』

「ユリイカ」4月号(高峰秀子特集)を読んでいたら高峰秀子が出ている映画を見たくなった。わたしが見たのを思い出すとごくわずか。「細雪」(1950)「女の園」(1954)「浮雲」(1955)「女が階段を上る時」(1960 映画館で見た)くらいである。これから少し気を入れて見ていかねば。
成瀬巳喜男監督作品のリストを見ていくとかなり見ているのがわかったが、全体からするとわずかなのでこちらも見ていかねば。

子どものころ映画館には連れて行ってもらわなかったが(行く場合は洋画だった)、家にあった映画雑誌でたくさん高峰秀子(でこちゃん)の写真と記事を読んだ。その次には姉の雑誌「それいゆ」でパリ旅行記を読んで憧れた。
その後は洋画一辺倒できたので気にしていなかったけど、最近になってその生涯が気になりはじめた。

「稲妻」(1952)は林芙美子の小説の映画化で、それぞれ父親が違う4人きょうだいの長女(村田知英子)、次女(三浦充子)、バスガイドの三女清子(高峰秀子)と息子の丸山修。母親が浦辺粂子で、父親がそれぞれ違う家族が東京の下町で暮らす姿が描かれている。
4人は不和ではないが、清子以外はみんな連れ合いがいてややこしい。清子に求婚している綱吉が姉たちにも手を出したので、最初からこの話に嫌気がさしている清子は家を出て静かな住宅地に下宿する。たまたま隣家には音楽を学ぶ娘と真面目な兄が住んでいてつきあいがはじまる。

下宿に母が訪ねてきて口喧嘩から二人が泣き出すシーンがすごい。
「産まなきゃよかった」と母親、「産んでくれなきゃよかった」と娘。
でも、泣き止んだ清子は「お母さん、今夜は泊まっていったら」という。
帰る母を送って暗い道を歩く二人。お母さんがくれた指輪は本物のルビーだったと清子がいい、「あの人は偽物をくれるような人ではないよ」と母親。

東京の下町の裏通りのセットが切ないような懐かしいような感じで迫ってきてやるせない。

フランク・ロダム監督『さらば青春の光』を36年ぶりに見た

今日の日記ネタはと考えていたら、相方がこれから映画を見たいからTSUTAYAに借りに行くというので、その映画の感想を書いたらいいやと一安心。しかし10時過ぎているから遅くなるなあ。
DVDとともに腹減っているからとビールにウィンナーソーセージがくっついてきたので炒めて、それに常備のアボカドとチーズでサラダをつくった。
ここまでは映画を見る前に書いた。

さて、映画を見たあと。
1979年に映画館で見たフランク・ロダム監督「さらば青春の光」のDVDを借りてきたのだが、36年の間、一度もテレビとかビデオなんかで見ていなかった。でも、すごくよく覚えていた。印象に残っている映画10本に入るくらいに。スティングがすごく印象的だったし。

昼間のジムは郵便局の雑用係で両親と姉と同居している。週末の夜は改造したスクーターで出かけ、ドラッグをいつものルートで手に入れパーティで踊る。彼はモッズで大物になろうと思っている。軍隊で知り合ったケビンと出会って旧交を温めるが、ケビンはモッズの反対勢力ロッカーズの一員だった。
ジムはステフというスーパーで働く女性が好きになる。
街中の薬局でドラッグを盗んだり、大人を騙したり、暴れたりしていたが、ブライトンへ行くことになり、新しいモッズスーツでモッズ仲間とオートバイの隊列を組んで出かける。

美しい海岸のブライトンは一般市民が保養にくる風光明媚な場所である。そこで若者たちは荒れる。
モッズの中のヒーロー、エース(スティング)がかっこいい。モッズとロッカーズが暴れて、警察が踏み込むが騎馬警官まで動員され、ジムもエースも逮捕され裁判にかけられる。

仕事を辞め、親からも見放され、オートバイは事故でダメになり、ジムはブライトンに向かう。そこで知ったエースの素顔。エースのオートバイに乗って崖っぷちを走るジムの姿。
いままで、ここでジムはオートバイに乗ったまま海に飛び込んだと思い込んでいた。今日しっかり見たら写っているのはオートバイの残骸だけだった。

細野ビル 13回目の「66展」

66展はいつも晴れているような気がしていたが、去年は直前に大雨が降ったと日記に書いてあった。それでビルの外にいたら座るところがなくてナンギしたのだ。いつも植え込みの周りの石に座るのがびしょ濡れだったから。
今日は梅雨入りはしたけどいい天気だった。だけど夕方になると寒くなった。晩ご飯を食べて出たら6時6分のスタートだからえらい遅刻だ。

ここ3年ほどわたしの66展は社交の場になっている。中庭のテーブルに飲み物と食べ物の用意ができていて、けっこうな人数が談笑している。絵描きのペリさんとすぐに出会って、彼女が作ってきたオードブルをいただいた。お酒の種類はいろいろあるけどわたしはウーロン茶をニワくんからもらった。ニワくんは毎年和服でしかも袴姿でホスト役を受け持っている。
細野さんに挨拶したり、またうろうろしてたら七夕のように年に一度会う女友だちと出会った。今日の目的の一つはこの出会いなのである。
友だちを探しながら道に面した窓からライブを見ると知り合いが座っている。うんよしよし、これで66展の知り合いみんなに会ったな。

監督・脚本レオナール・ケーゲル「どしゃ降り」を思い出して

昨日若い友人がツイッターでマイルス・デイヴィスの誕生日なのでと「死刑台のエレベーター」(1957)を紹介していた。わたしはこの映画をリアルタイムで見たので懐かしかった。マイルスの音楽がすごくしっくりしていて、ジャンヌ・モローとモーリス・ロネがすごくよかったのを思い出した。ジャンヌ・モローはしょっちゅう気にしてるけど、モーリス・ロネの他の映画ってなんだったっけ。「太陽がいっぱい」はアラン・ドロンの映画だからおいといて、「マンハッタンの哀愁」(1965)は同じ映画館に2回見に行ったくらい気に入ってモーリス・ロネの名前を覚えた。「ペルーの鳥」(1968)は見たけどジーン・セバーク以外は忘れてる。
大好きな「鬼火」(1963)があるのを忘れたらあかん。「鬼火」は映画館で見て、その後レーザーディスクを買って何度も見た。代表作だと思う。

ロネを検索していたら「どしゃ降り」(1970)が出てきた。今日のテーマはこれっ!て思った(笑)。今年はどしゃ降りの雨が多かったし。
70年か〜 新世界の映画館でこの映画を見た夜は雨降りだった。その頃は南海線岸ノ里の線路脇に住んでいた。雨が降ると湿気がひどい家だった。
映画「どしゃ降り」は男女の愛と憎しみを描いたサスペンス映画だ。(ストーリーを明かしてしまうと)ようやく憎しみの世界から抜け出したとほっとして、明るい海でボートに乗っているロミー・シュナイダーのところへ警官たちがやってくる。どしゃ降りの雨で庭に埋めた男の死体が浮き上がったのだ。

木下恵介監督『大曽根家の朝』

1946年、木下恵介監督の5作目の映画で戦後第1作。
資産家で自由な家風の大曽根家は父が亡くなったあと母の房子(杉村春子)と3人の息子と娘1人が暮らしている。
クリスマスの夜、一家と娘悠子の恋人も交えてのパーティが盛り上がっているところへ、警察がきて長男が治安維持法違反容疑で逮捕される。
悠子の恋人にも召集令状が来ていた。これから出征するのでと別れの手紙を渡す。
房子の義理の弟一誠は陸軍大佐で、房子を中心とした自由な家風が気に入らず、なにかと横から口を出す。
次男の画家は招集され、三男は一誠の口にまどわされて志願する。
悠子は挺身隊に徴収されるところを一誠はコネで楽な仕事にまわしてやって恩着せがましい。
隣組の作業など生真面目に出る房子は過労で倒れてしまう。次男と三男は戦死。
戦争が終わって、闇物資を運び込む一誠と口論になって悠子は家を出て行く。ついに房子は一誠に家を出て行くように強く言う。
そこへ悠子の婚約者が復員して訪ねてくる。
長男が刑務所からもどり新しい時代を築いていこうというところで終わり。

杉村春子熱演、三浦光子可憐、小沢栄太郎巧演、キネマ旬報ベスト1

YouTubeで見たのだが、監督作品の表を見てタイトルは知っているけど作品を見ていないので我ながらおどろいた。やっぱりYouTubeで見た「女の園」しか見ていない。タイトル名と内容は知っているのでぼつぼつ見ていこう。

木下恵介監督『不死鳥』

昨日に続いて木下恵介監督作品を見た。8作目で製作は1947年。1945年だけは1作もなく、その前後は半年に1本という早さだ。
昨日の「大曽根家の朝」に比べて「不死鳥」は完成度が高くて見応えがあった。

小夜子(田中絹代)は、戦地で亡くなった夫の真一(佐田啓二)との間に生まれた息子を育てつつ、夫の生家で両親や弟や妹とも折り合いがよく自分の居場所を確立している。
学生時代に出会った二人は内密の交際を続けてきた。真一は小夜子を父親に紹介するが許されない。
招集された真一が出発するまで二人は片時も離れないで過ごす。出征シーンや千人針を街頭で頼むシーンもあり、緊迫した雰囲気の中で恋人たちは自分たちの時間を持つ。
小夜子は弟と軽井沢に疎開して学校の先生をしながら農作業にも励む。
真一は1週間の休暇が決まった。小夜子のところへ真一の父親がやってきて息子とは結婚させないというが、結局小夜子の純情にほだされて帰国中に結婚ということになった。
そして真一は戦死し、小夜子は思い出を胸に秘め、子どもを胸に抱いて生きている。次男が結婚して家を継ぎ息子がもう少し大きくなったら、ミシンができるからどこかで店を持ちたいと将来も見据えている。

田中絹代は女学生から恋する女へ、そして子持ちの戦争未亡人の役を自然に演じていてすばらしい。佐田啓二はこれがデビュー作だそうですごく初々しい。

ディアーヌ・キュリス監督『ア・マン・イン・ラブ』

ひどい画面ではあったが「ア・マン・イン・ラブ」(1987)を見ることができた。最初見たときから13年経っているが、やっぱりすごい映画だった。ディアーヌ・キュリス監督のそれから21年経っての「サガン ー悲しみよ こんにちはー」と両方見ることができてよかった。両方ともよかったので満足感いっぱい。

以前見たときに書いてなかったので忘れていたが、グレタ・スカッキ演じるパヴェーゼの恋人役ジェーンがパヴェーゼを演じるピーター・コヨーテと別れて、母が亡くなった実家で恋の経験を書き出す。実らないとわかっているからよけいに激しく燃えた恋。結末を知っているのに心配しながら見ていたから、書くことで乗り越えていく彼女にほっとした。

いい映画だったなあ。ハリウッド俳優がパヴェーゼになりきって神経を張り詰めていて、恋人役女優に惹かれていくところがなんともいえずよかった。その妻の元ハリウッド女優が突然やってきて嫉妬に燃えるところもすごくよかった。

監督・脚本:ディアーヌ・キュリス『サガン ー悲しみよ こんにちはー』

昨日ネットでこの映画があるのを相方が見つけて今日レンタル屋で借りてきてくれた。2008年のフランス映画である。わたしはサガンを描いた映画があることを知らなかった。もうちょっとアンテナを張らなくては・・・

見た後で監督・脚本のディアーヌ・キュリスの名前は知っている、なにか書いているはずと古い日記を探したら出てきた。イタリア、トリノ出身の作家チェザーレ・パヴェーゼを描いた「ア・マン・イン・ラブ」(1987)の製作・原案・監督・脚本の人だった。この映画はなにもかも大好きで二度見たように思うが記憶にしか残ってない。もう一度見たい映画10本に入る。

「ア・マン・イン・ラブ」から21年目の映画「サガン ー悲しみよ こんにちはー」には、それだけの落ち着きがあるなあと感じ入った。前作ではなにもかも詰め込んでいる感じだったが、今回は描かねばならぬことをしっかりと描いていると思った。

フランソワーズ・サガンはわたしにとっては同時代を生き抜いた人である。「悲しみよこんにちは」では、少し嫉妬気味で読まなかったが、「一年ののち」でとりこになった。主人公のジョゼはお金持ち階級の人で、わたしは無産者階級の人だが、感じがそっくりと友人に言われた。それから10数年は左手にエンゲルス、右手にサガンを持って歩んでいた(笑)。

とにかく破格のお金を稼いでおそろしい無駄遣いをする人で、結婚(2回)や出産も経験している。なのに恋する女性の感情を描いてこんなに鋭く繊細な人はいない。どの作品も何度も読んで主人公の言葉を真似したりしているうちに男性をはぐらかす術に長けるようになった(笑)。

映画のサガン(シルヴィー・テステュー)は実際のサガンがやっていると思うくらいに似ていて、年を取ってくるにつれ見ているのがつらくなった。同時代を駆け抜けて先に逝ってしまったという気持ちがあるから。

ニール・ラビュート監督『抱擁』は何度見ても素晴らしい

2007年に丁寧な紹介&感想を書いているので読んでください。

大切に持っている乙女もの映画DVD10本のうちでも上位に入る。さっきまで見ていたのだが、何度も見ているのにちょっと間が空くとはじめて見たときのような興奮が湧き上がる。ビクトリア時代と現代の恋人たちの姿が美しく描かれていて素晴らしい。

冷たさの中に熱を秘めたモード(グウィネス・パルトロウ)はレズビアン詩人ラモットの研究家で、イギリスに留学しているアメリカ人の学者ローランド(アーロン・エッカート)はアッシュの研究家である。二人の学者のじわじわと育つ恋。ビクトリア時代の詩人アッシュ(ジェレミー・ノーザム)と詩人ラモット(ジェニファー・エール)の激しく燃え上がる恋。

アッシュとラモットが4週間と決めて緑濃いヨークシャーへ列車で旅する。現代の二人は車で同じところへ到着して同じホテルの同じ部屋に泊まる。詩に描かれた滝壺を見つけるシーンがよく、ヨークシャー大好き人としてはたまらない。

原作を図書館で2回借りて読んだのだが、また読みたくなって注文した。
A・S・バイアット「抱擁」〈1〉〈2〉(新潮文庫)

ヴェラ・ヒティロヴァ監督・脚本『ひなぎく』(2)

ウキペディアを読んでわたしがなぜ「ひなぎく」を昨日見ることになったか納得した。日本での公開は1991年だったのだ。60年代はマイナーを含めてすごく映画を見てたから公開されてたら見ていたはずだ。1991年に知らなかったのはあかんけど、そのころは映画は家でレーザーディスクとビデオで見るものになっていた。
検索したら2007年には東京だけでなく全国的に小さな劇場で上映されていた。アンテナを張っていたらわかるはずだった。どれだけ映画館に行かなかったか、行かないから情報も集めなかったかわかる。

二人の少女の常識はずれのいたずら。まじめになろうってセリフがあったように思うが、なれるはずもない。60年代のチェコスロバキアに生きたヴェラ・ヒティロヴァは社会主義社会の息苦しさを、二人の少女の無頼な生きかたに託して描いた。

わたしには70〜80年代に彼女らのようなファッションの女友だちが何人かいた。親の家を出て独り住いしたり、妻子のいる男友だちと駆け落ちしたり、マリエのような水玉のドレスを着て男たちに酒をおごらせていた。我が家がそういう子の溜まり場だったこともあった。
彼女らはさすがに「ひなぎく」のパーティのシーンのようなことまではできなかった。いまは中産階級のいいお母さんになっている。少女の息苦しささえ中途半端やった日本を実感する。
(製作:1966年 日本公開:1991年、リバイバル上映:2014年)