ジャズ屋台、アラトーリさんのソロ、有音モバイル

5月20日午後に、京都の地下鉄(京都市役所前駅)の改札横と夕方から三条大橋東詰南でアラトーリ歳森彰さんの無音ストリートを楽しんだ。もう一度行きたいと言ってるうちに12月になって、あっという間に年末、ぎりぎり大晦日になって実現した。
【31(土)12pm正午-,1pm-,2pm-,4pm-,5pm-, ゼスト御池、御幸町広場でジャズ屋台、アラトーリのソロ、有音モバイル】
JRの普通電車で本を読んだり窓の外を眺めたりしながら京都着。2回目なので地下鉄に乗るのもさっさといけた。商店街ゼスト御池を歩いて行くといちばん奥の広場からピアノの音が聞こえる。地下広場には布を張ったパイプの小さなベンチが10個ほど置いてあり、道行く人はそこに座って聞いたり、待ち合わせに使ったりできる。
今日はヘッドフォンなしの演奏で「有音ストリート」。半年ぶりに聞く演奏はすごく自信に満ちていてわが道を往っているのを感じた。3歳くらいの子どもが気にするので親もしょうことなしに一緒に見ていたりでおもしろい。杖を持った高齢者のかたが座って足でリズムをとっておられたのがいい景色だった。

30分ほどで休憩になり、奥のレストランでアラトーリさんは定食をたのみ、わたしはコーヒーとケーキでおしゃべりした。ここのご主人が理解者だそうで、道具の置き場所を使わせてもらったりしているそうだ。
即興演奏のこと、ジャズは足が肝心だということ、わたしが行った昨日のライブのこと、原発事故のこと、吉本隆明の原発推進発言が「週刊新潮」に載っていること、ジャズ界のこと、などなど楽しい会話だった。

4時から今年の最終演奏はのりのりで始まり、ピアノを弾きながら口ずさむというか独り言というか、声を出しながら足で調子をとってピアノを弾く。足が肝心なんだ。
立ってピアノの前で見たらいいと言われてそうしたが、ピアノを弾いている前から見るって普通ないよね。おおいに楽しんだ。
子ども連れが楽しんで帰った後に、熟年の男性がひとり体で聞いている。声をかけたらときどき来ているとのこと。大阪からここだけに来たと言ったら、そういうひとがいると帰って妻に話すと言ってた(笑)。弾いているひとも聞いているひとも狂(笑)。

商店街が閉まりはじめた5時に終了。
京都の空気を吸うこともなく地下鉄で京都駅へ。帰りのJR普通車はロマンスカー(笑)新しい車両で気持ちよかった。大阪駅のイカリスーパーで買い物して帰宅。大晦日の夜は更けて行く。

PINE BROOKLYNにて PRHYTHM – AMAZON FUNK –

福島区のギャラリーPINE BROOKLYNでYOSHITAKEさんのライブがあった。ひと月近く前から前売り券を買って楽しみにしていたが、期待どおりに楽しかった。いま軽食を食べてお風呂に入ったところ。書けるところまで書く。

【ブラジルよりパンデイロの革命家マルコス・スザーノを迎えての年末スペシャルプログラム。変拍子+ポリリズムをテーマに、ギャラリースペースならではのインスタレーション、スペシャルなマーケット出店、屋上のTIPIやガーデンバー、新感覚な楽しい要素がいっぱい<前売りチケット購入の方には、YA△MA特製RAWチョコレート付き>】

出演者は、Marcos Suzano (Pandeiro) from Brazil、Numazawa Takashi (Drums) , Yoshitake EXPE (Space Guitar)、Takahashi Minoru (Drums) from nutron、Ieguti Shigeki (Synthesizer) from Para。そしてDJがYA△MA。

6時に着いて会場の2階へ上がると椅子がなくてだだっ広い部屋。横の部屋が雑貨や食べ物を商うコーナーになっている。階上は屋上だがいろんなおもしろいコーナーがあり、テントで飲み物を売っている。三日月が見えて、まわりの超高層ビルの明かりがまばゆい。

7時頃にはかなりの人が集まってきたので、いちばん前にショールを折り畳んでぺちゃんと座った。同じように座った女性としゃべりながら待つ。結局はじまったのは8時だった。演奏がはじまって座っているのはわたしだけ(笑)。

※1月2日に続く。

「聴く」と「聞く」ことについて

この話題はピアニストのアラトーリ(歳森彰)さんのツイートからはじまった。
引用させていただく。
【私は「音楽をきく」が1980年頃は主に「聞く」だったのに「聴く」に変わってきたのを批判する。ぼんやりと「きく」時こそ、本当に音楽は「きこえて」くるからだ。 最近は「聞く:聴く」の関係が「男:男性」(その使い分けも批判する)みたいになってきている。(12月18日) Twitterから】

わたしが会報その他やネットなど人の目にふれる文章を書くようになってから20年くらい経つ。それまでは読むいっぽうで書くのは覚え書きくらいのものと手紙(これはたくさん書いたな)だった。うんと若いときは文学仲間と同人誌出していて評論(?)みたいなものを書いてたのと、登山仲間の会報に登山記録(?)を書いていた。
そういうことはご破算にして、ブログをやりだしてからは自分の考えていることを真剣に文字にしている。

本を読むことの次には音楽を「きく」ことがずっとあった。そういえば、1980年頃はパンク一辺倒の時代で、耳で「きく」というより体で聞いていて、ホールでは体をゆらし狭いところでは踊ったこともあった。ほとんどライブで音楽と自分がいちばん密着していた時代だ。
その前にはジャズを聞いていた。さきに「聴いていた」と書いてみたが、ジャズ喫茶で神妙な顔をしているときは「聴く」で、行きつけの店でしゃべったり笑ったりしてたときは「聞く」ほうだったな。体験としては「聴く」から「聞く」ほうへ向かっていた。

それから音楽に関しては暗黒の10年があった。公園猫にご飯を運んだ3年のあとにMacに夢中の時代がきてヴィク・ファン・クラブ、そして震災ボランティアと音楽と離れていた。CDでクラシックやアイルランドの音楽をきいてはいたんだけど。

ブログに音楽のことを書こうとすると、演奏者に敬意を表さなあかんと思って(笑)、「聴く」に統一してしまった。そうすると自分でも聴こうと思うようになり真剣な顔して聴いている(笑)。そしてなんかカッチョいいことを書いてやろうなんて思っている(笑)。ほんまここいらへんのことは笑ってごまかします。

今年はいまこうして考えていることの元になる素晴らしい体験をした。アラトーリさんの「無音ストリート」とYOSHITAKE EXPEさんの公開セッションだ。だからアラトーリさんのツイートにすぐに反応できた。

SUBで聞く

前半はギターの竹田一彦さんとベースの財盛紘さんのデュオ、後半はセッションでテナーサックスの長谷川朗さんとドラムの弦牧潔さんが加わった。
11月12日以来のSUBだ。元気な竹田さんと挨拶、今年はいろんなことがありましたねとしみじみと。若いミュージシャンとしゃべって、生の音にひたっていると幸せ感がじわじわとわいてきた。ちょっと聞いてなかったうちに財さんが竹田さんに添った演奏をしているのがわかった。後半では、久しぶりの弦牧さんのドラムと、はじめて聞く長谷川さんのサックスが入って、心地よかった。やっぱり生音が好きなんやな。わたしの最近のテーマソング「朝日のようにさわやかに」をリクエストした。

いままで「聴く」と書いていたのを「聞く」にする。聞くと書こうと思ったら気持ちが解放された。しっかり聴くんでなくて、自由に聞く。
この件今度ゆっくり書くつもり。

リドリー・スコット監督『マッチスティック・メン』

リドリー・スコットの作品を見たいということで相方が借りてきたDVD「マッチスティック・メン」(2003)を見た。わたしはニコラス・ケージが出ているというだけで見たい。長いこと見ていないが実はニコラス・ケージ大好き。「初体験/リッジモント・ハイ」「コットンクラブ 」は見たというだけでどんな役かも知らない。ええなあと思ったのが「月の輝く夜に」で、この作品でケージファンになった。「赤ちゃん泥棒」についで「バンパイア・キス」ではゴキブリを食べるところがあったっけ。あとはテレビで見たので作品名も覚えていないのだが、すいたらしい男の代表みたいなところが好き。

詐欺アーティスト(と自分で称している)のロイ(ニコラス・ケージ)は頭を使ってしっかりと稼ぎ、貸金庫には現金がたくさんしまわれている。しゃれた家に住んでいるが、めちゃくちゃな潔癖性で靴を脱いで床を掃除しまくる。クスリが手放せないで流しにこぼしてしまって半狂乱となる。
格下の相棒フランクは精神分析医クレインを紹介する。クレインは話を聞くうちに14年前に妻が妊娠中に家を出たままなのを聞き、娘に会うことをすすめる。娘とつきあううちにロイの心はほぐれていく。つきまとう娘は詐欺の手伝いもするようになる。
そこへフランクが大きな仕事を持ち込み、ロイは娘も一役買うように仕掛けるのだが・・・詐欺のどんでん返しには「スティング」を思い出してしまった。
愛ある最後がよかった。ニコラス・ケージすてき。

原節子が最後に出演した映画 稲垣浩監督『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』

何度も書いているが「忠臣蔵」が好きといって笑われたり呆れられたりする。新暦だけど12月14日になると、あっ討ち入りの日やと思う。今夜はよく冷えて都市部でも雪が積もると予想されているので、「忠臣蔵」を見るのにぴったりだ。
相方が出かけたついでにレンタルビデオを借りてきてくれた。うちに大事にしまってあるのは溝口健二監督の「元禄忠臣蔵」で大石内蔵助を河原崎長十郎がやっている。ちょっと荘重すぎるので、今夜はこっち。
「忠臣蔵 花の巻・雪の巻」(1962 東宝 稲垣浩監督)大石内蔵助が八代目松本幸四郎、吉良上野介が八代目市川中車、大石りくが原節子、俵星玄蕃が三船敏郎、吉良邸の隣人に池部良、浅野内匠頭が加山雄三という東宝俳優の豪華キャスト。

物語はわかっているから、エピソードのどれを使っているかなと楽しむ。もともとは講談本を愛読したのからはじまっているから、「徳利の別れ」「するが堪忍」「あしたまたるるその宝船」が好きなのになくて残念。好きな人は不破数右衛門、堀部安兵衛・・・

そんなことより、原節子の最後の出演映画というのにびっくり。ツイッターでも話題になっていたが、姉が「安城家の舞踏会」をテレビで見たといい、原節子はきれいやったねと話していたところ。大石内蔵助の妻りくの上品な美しさにうたれた。その他、なつかしい女優がたくさん出ていて顔や声で思い出すのを楽しんだ。新珠三千代(浮雲太夫)がわからなかったがあとで調べてなるほどだった。

デビッド・フィンチャー監督『ソーシャル・ネットワーク』

今年のはじめに劇場公開されたときから見たかったのだがおっくうで(こればっかり笑)、DVD待ちしつつ雑誌「ユリイカ」の「ソーシャル・ネットワーク特集」を読んでいたところへ東日本大震災と原発事故があった。それですっかり忘れていたのをいまようやく思い出した。
この映画は「フェイスブック」創設者のマーク・ザッカーバーグの半生を描いている。わたしのまわりは「フェイスブック」ばやりで、まだやっていないわたしは遅れをとっている感じがいや(笑)。
いまわたしのやっているSNSはミクシィとツイッターだけである。このブログを書くのとで毎日手一杯の上に、手間のかかる紙の会報「ヴィク・ファン・クラブ ニュース」をやっている。来年にはなにかを整理してから「フェイスブック」にいこうと思っている。
そんなものでこの映画をものすごく興味深く見た。雰囲気あるなぁと見ていたら、監督が「セブン」「エイリアン3」のデビッド・フィンチャーだった。「セブン」よかったなぁ。あの暗さ。

ハーバード大学で学ぶマークは、エリカとデートしたのに女子には耐えられない論理的(?)な会話をして席を立たれてしまう。部屋にもどってパソコンに向かった彼はブログにエリカの悪口を書き、次にハーバード中の寮の名簿をハッキングして、女子学生たちの写真を並べたサイトをつくる。それが、たった2時間で22,000アクセス。友人のエドゥアルド・サベリンがサーバー代を出して「フェイスブック」が立ち上がる。彼はのちに共同創業者&CFOとなり、最終的には告訴する立場になった。
もうひとつ資産家の息子で次期オリンピックにボートで出場する立場の双子のウィンクルボス兄弟は、大学での出会いの場としてのインターネットをつくろうとマークに接近する。マークは彼らを無視して独走してしまい、結局は裁判に持ち込む。
二つの裁判のやりとりから、過去のシーンになり、「フェイスブック」がどんどん大きくなっていくにつれての人間関係の悪化や新しい出会いが描かれる。
「ナップスター」創設者のショーン・パーカーと出会うところがおもしろい。若くして偉くなるとああなるのだなと納得。
裁判は大人が仕切ってお金で解決する。
ひとりのおたく青年が世界を動かしている物語だからおもしろい。来年はその「フェイスブック」の隅っこにお邪魔させていただこうと思っている。なんて調子がいいことを書いているが、なんていうか、もうわたしなどにはわからない世界があることを実感させられてへこむ。

ジェイソン・ライトマン監督『マイレージ、マイライフ』

この夏から昔の東映ヤクザ映画にはまっていて、そのあとに英国時代劇「ロビン・フッド」を見たら、いまの映画を見たい! 【自腹で年間100本以上の映画を観る(ぽち)が、映画館で実際に観た映画の感想を書くメールマガジン「Cinemaの王国」】を愛読していて、見たいと思うのは保存してある。3年分くらいたまっているを読んでいったが、見たいと思ってもTSUTAYAにないのもあるし、癖のあるのはやめて、これはどうやとジョージ・クルーニーの「マイレージ、マイライフ」に決めた。大当たり! 楽しかった。

リストラを請け負う会社のベテラン社員ライアン(ジョージ・クルーニー)は、年間322日も出張してリストラ宣告してまわっている。バックパックに入らない人生の荷物はいっさい背負わない主義で、マイレージは1000万マイル近くたまっている。同じように出張で飛び回っているアレックス(ヴェラ・ファミーガ)と出会って意気投合しいっしょに食事をしてホテルで同室する。ここまではすごい早いテンポでライアンの生き方が説明される。彼は講演も頼まれていて、バックパックを置いた演壇で人生哲学を迷いなく語る。
また出張というときに新入社員ナタリーが提案したネットでクビ宣告方式を社長は気に入って、ライアンに教育係を命じる。出張に同行してもめ事やら失敗やらあるなか、ナタリーはメールで恋人にふられて動揺する。
ライアンの妹の結婚式に出身地に帰るときアレックスが同行して、昼は出身校へ忍び込んで楽しみ、結婚パーティの夜を楽しく過ごす。
マイレージは1000万マイルに到達。アレックスに会いにシカゴに行くが、アレックスには出張中と違う生活があった。
ナタリー方式のクビ宣告システムは失敗しナタリーは退職。ライアンは出張生活にもどることになる。ナタリーの再就職先に心のこもった手紙をライアンは書く。
こんなあらすじだ。オトコマエで仕事ができていっしょに飲むのが楽しい男、ジョージ・クルーニーが大好き。ナタリーがアレックスに年齢差別丸出しでしゃべるところもおもしろい。わたしも同じようなことを言われたことがあるわ。

リドリー・スコット監督『ロビン・フッド』

リドリー・スコット監督とラッセル・クロウのファンなのに映画館に行かず、DVDになっても新作のときは敬遠、ようやく普通の棚に置かれて、しかも格安の日に借りた(笑)。
「ロビン・フッド」の物語は子どものころから知っていた。物語を読んだこともあるし、紙芝居も見たような気がする。シャーウッドの森という言葉が血肉化されていて、日常的にシャーウッドのカレーペーストを使っている(笑)。
この映画を見て「ロビン・フッド」のことを実はなにも知らなかったのに気がついた。それだけでなく、イギリス好きにとってはとても勉強になる映画だ。

12世紀末のイギリス。十字軍の兵士としてフランスで戦っていたロビン(ラッセル・クロウ)はイングランドの騎士の暗殺現場に遭遇する。そして瀕死の騎士から父に黙って持ってきた剣を返しに行ってほしいと頼まれる。
知恵を働かせて同僚たちとイギリスにもどったロビンは、ノッティンガムへ行く。騎士の妻マリアン(ケイト・ブランシェット)は義父の領主(マックス・フォン・シドー)とともに10年間暮らしてきた。代官による引き締めの苦しい生活の中で村の人々の中心になっている。ロビンを気に入った領主は、このままだと跡継ぎがいないから領地を国に没収されるので息子の身代わりになってくれと提案。ロビンはそれを受ける。それからのロビンのいさぎよい行動がマリアンの気持ちを開いていく。
ロビンの父は石工で革命家だったがロビンが6歳のとき処刑されているのが、領主によって明らかにされる。目をつぶるといままで思い出せなかったことが浮かんでくる。
ロビンがイギリスにもどる船はテームズ川の河口から入りロンドンへ向かう。その風景を見たらなんかうれしくなった。
それからフランス軍がドーバー海峡から押し寄せる。イングランド連合軍は海岸線をずらりと並んで迎え撃つ。弓の名手ロビンは高台から射撃兵を配置してフランス軍めがけて矢を降らす。マリアンは義父の仇を討とうと男装して加わる。手強い相手が馬で逃げるところをロビンが矢を放つと首を貫通して倒れる。
久しぶりに領主役のマックス・フォン・シドーを見られてうれしかった。上品で威厳にあふれている。(1950年から60年にかけてイングマール・ベルイマン監督他の作品を7作見ている)
王の側近役にウィリアム・ハートがなっていて渋い。(「アルタード・ステーツ」から32年経つのか〜それからの9作を見ている)
そして見ながらさわいでいた。馬が走る、走る。

マキノ雅弘監督『昭和残侠伝 唐獅子仁義』

「昭和残侠伝」シリーズの5作目。ここまでの中でこれ1作抜けていたので、これで7作見た。あと2作「昭和残侠伝 吼えろ唐獅子」「昭和残侠伝 破れ傘」が 残っているが、紹介記事を読むと見なくてもいいような。やっぱりみんな見るか悩む。

最初のシーンで花田秀次郎(高倉健)と風間重吉(池部良)は斬りあって重吉は左手をなくす。次は仙台刑務所になって服役する秀次郎のもとへ舎弟が面会に来て、浅草を立ち退き名古屋の親分のところで世話になっているという。
5年経って秀次郎は刑務所から帰郷する汽車で林田親分と出会う。親分は採石場の親方の後ろ盾をしていて、利権を得ようとする樺島一家に狙われている。着くなり二人組に襲われやっつけたものの手首に傷を受けた秀次郎は藤純子扮する芸者に助けられる。それを見ていたのが町田京介(役名を忘れた)。金次第でどっちにもつくやつで密告する。芸者の家の裏口から出た秀次郎は林田親分の子分の家で居候になるが、この家が襲われて子分は死ぬ。

芸者は重吉の妻でもとは東京の一流どころにいたが、流れ流れてふたりしてこの地に住み着いたのだった。秀次郎に惹かれていく妻を見る重吉のやるせないまなざし。この映画の池部良はシリーズでいちばん暗い。他ではわりとエエカッコな役柄だったが、ここでは芸者の女房からお金をせしめて飲んだり賭けたり、それがなんだかすごく似合っていて、わたしだってこんなオトコなら借金してもお金を渡しそう。それに比べて清潔な秀次郎は一途な女の愛をかわす。
そして最後は例のごとくの斬り込み。町田京介がこっちにつきますとピストルで援護する。背中を斬られてもこいつは俺が殺るんだとふらふらになって闘う。最後は警官が多数到着し、秀次郎がよろけながら、重吉は町田京介におぶわれて建物から出てきたところで「終」。