スーザン・カンデル『E・S・ガードナーへの手紙』続き

娘のアニーは21歳でヴィンセントとの間に小さい子どもがいるが別れたいという。アニーの家に行っての会話はこれが親子かって思うあけすけさ。「ママは何人の男と寝た?」「九人」なんて。
翌朝は有罪判決を受けた殺人者との面会に出かける。いつもなにを着るかが大問題である。この日は白の縁取りのある茶のシャネルスーツ。シシーはこれを着ると白い砂糖で縁取りされたチョコレート・カップケーキと自分で思うところがなんともかわゆい(笑)。
軽く読んでいるとチョコレート菓子のような甘い物語なのに、突然、深刻な内容になるのでおどろく。

1957年ジョゼフ・アルバッコは妻のジーンを殺害したとして逮捕された。第一級殺人罪で終身刑を受け現在も服役中。ジョゼフは椅子にかけると笑顔を向けてきた。シシーはその瞬間、今日は生涯でもっとも奇妙な面会になると気づく。
ジョゼフは警察がまるで捜査をしなかったので、教誨師と話したあとにアール・スタンリー・ガードナーに手紙を書いた。ミステリが好きだったから勝手にあの人なら無罪を証明してくれると思ったからだ。シシーはここにきたらガードナーについて知ることができると思ったのだが、目を合わせると、ひょっとするとお力になれるかもしれませんと言ってしまう。
教誨師に会いにいくとジョゼフは無実の罪で苦しんできた、あと3週間で流れを変えねばならぬという。
そこで奮闘するシシーだがいつもおしゃれを忘れない。おっちょこちょいで美味いもの好きで、男好き。今回は(これからもずっと出てくるのかな)ピーター・ガンビーノ刑事が元恋人として出てきていい感じだ。
(青木純子訳 創元推理文庫 900円+税)

スーザン・カンデル『E・S・ガードナーへの手紙』

横浜在住の妹とは去年の義兄の入院と死去があってから電話し合うようになった。それ以来、果物や海苔を歳暮と中元その他のときに送ってくれる。こちらから読み終わった軽いミステリ本を入れた荷物をたまに送る。
今回は反対に向こうからミステリがとどいた。スーザン・カンデル「E・S・ガードナーへの手紙」と「少女探偵の肖像」の2冊。全然知らない作家なので、タイトルと表紙のイラストからなんやコージーかなんて思ったが、1冊読んでみたらおもしろかった。これから2册目を読み始めるところ。

主人公のシシーはライターでミステリ作家の伝記を専門にしている。元ミスコンで優勝したことがあるおしゃれな女性。離婚してウエストハリウッドのバンガローに住んでおり、若くして生んだ娘アニーは結婚しているので、目下は一人暮らし。
仲の良い女友だちラエルは焼き菓子作りの名人で奇抜な菓子を焼く。いま焼いているのはストライキ決行中の港湾労働者とかをかたどったジンジャーブレッドを焼いているはずなんだって。
もうひとりのブリジットはヴィンテージファッション・ショップのオーナーで、往年のハリウッド女優風のドレスとかを扱っている。シシーは40年代の衣装をここで調達してパーティに出かける。

いまの仕事はE・S・ガードナーの伝記で、編集者にせっつかれながら資料を調べているところだ。わたしの最初のガードナー体験は家にあった「義眼殺人事件」の背表紙だった。ミステリが並んだ本棚の中でも目立っていた。それからだいぶ経ってペリー・メイスンものを読み始めた。思い込みで自分なりのペリー・メイスンとデラ・ストリートの姿があったので、テレビドラマを見たときはおどろいた。二人とも全然イメージがあわんやん。それでもけっこう見ていたけど。
風邪引いちゃって頭がまわらん。今日はここまで。
(青木純子訳 創元推理文庫 900円+税)

ルース・レンデル「ひとたび人を殺さば」続き

物語がおもしろく推理の過程もなるほどと感心するのだが、とっとと読んでしまったらもったいない。ロンドンの街の様子がよくわかるのだ。観光的には甥の妻がどこどこに行ってらっしゃればと、散歩と観光に適したところを教えてくれる。はじめはその言葉に従って名所を訪ねていたが、甥のハワードが関わっている事件を新聞で知ると、居ても立っても居られずという感じで下町の墓所まで行ってしまう。そこでハワードと鉢合わせし、バツが悪い思いをするが、ハワードはいっしょに捜査にあたってほしいと言ってくれる。

娘の死体が見つかった墓地に面した建物は1870年頃に建てられた醜悪なものだ。娘の住んでいたガーミッシュ・テラスは不潔で耐えられないところだが、管理人は若いころの美貌の面影が残り、今回ロンドンへ来ていちばん美しい女性に会ったと思う。ウェクスフォードの美女とはハリウッド女優のキャロル・ロンバートやロレッタ・ヤングというのに微笑を誘われた。ガーミッシュ・テラスはいずれも不潔な部屋ばかりなのに、上階に住むゲイの男の部屋を訪ねると清潔で素晴らしいインテリアである。そして上流階級の言葉遣い。こんなことも実際ありそうで興味を持って読めた。

ウェクスフォードの滞在中はいつも雨でさむざむとした感じがロンドンって感じ。帰る日にようやく晴れる。それとパブの描写がいい。食べ物や酒やそこに居る人たち。
(深町真理子訳 角川文庫 544円+税)

ルース・レンデル『ひとたび人を殺さば』

ウェクスフォード警部ものが18冊も翻訳されているのにおどろいた。本書は7作目だがなぜか最初に訳されている。ウェクスフォード警部が病気休暇して転地療養の要ありということで甥のいるロンドンへ行く話である。次に訳されたのが、第一作で先日読んだ「薔薇の殺意」。
医師のクロッカーはウェクスフォードの目に血栓症の兆候を見て、転地療養するようにすすめる。「田舎に行くってわけにもいかん。げんに田舎に住んでいるのだからな」。そしてロンドンに住まう甥のハワードのところへ妻のドーラとともに行って世話になる。

ハワードはスコットランドヤードの警視で、管轄地のケンボーン・ベールはロンドンでもひどいところらしい。そこで甥御さんと商売の話をするのではないぞとクロッカーに釘をさされる。しかもクロッカーは甥宛に手紙を書いていた。そのため甥夫妻は病人として叔父を扱い、犯罪の話はせずに文学についてなど堅苦しい話題でもてなす。
ウェクスフォードは病院にいるような手厚い介護と食事生活でまいってしまう。散歩の帰りに買った夕刊を見ると第一面の写真が目をひいた。若い女性の死体発見現場の墓地に立つ甥のハワード・フォーチューン警視の痩せた姿である。しかし帰宅したハワードは相変わらず「ユートピア」の話をしている。そこへ部下から電話がかかるがウェクスフォードには関係のない話。
もんもんとした彼は翌朝家族に黙って墓地へ出かける。
その墓地でハワードに会い話をすると一転、ウェクスフォードは甥に協力して捜査を手伝うことになる。狭いながら事務室もあてがわれる。当然甥の部下たちにはけむたがられ、田舎者がという態度であしらわれたりする。そして一度は見込み違いで恥をかき、そして立ち直る。地道な聞き込みと老練な推理で犯人を割り出す。
(深町真理子訳 角川文庫 544円+税)

ルース・レンデル「薔薇の殺意」

ルース・レンデルを読んだことがないなんてミステリファンと言われへんね。
「ミステリマガジン」に載った短編を読んで、肌に合わないというかいけずっぽい人だという印象を持った。今回、ディケンズをお貸しした友人がイギリスつながりということで、5冊どばっと貸してくださった。彼女はちょっと前にP・D・ジェイムズの新刊を貸してくれた人だ。わたしはダルグリッシュ警視に夢中になって図書館へ行き、全部で6冊読んだ。まだ読んでない本をいつか読むつもり。

さて、ルース・レンデル、まず「薔薇の殺意」(1964)を読んだ。タイトルが気に入ったのとレジナルド・ウェクスフォード警部ものの最初の作品なので、ちょうどいいと思って。「薔薇の殺意」というタイトルは原題とはかけはなれているが、中に出てくるスウィンバーンの詩「愛が薔薇の花ならば」にしたら恋愛小説みたいなので、こういうことになったと解説にあった。たいていは原題のほうがいいと思うけど、今回はこれがいい。

ロンドン近郊の町に住む人妻マーガレットが行方不明になる。〈ヒールの低い靴、お化粧っ気なし、きちんとパーマをかけて、ボビーピンで髪を留めて〉という平凡な女性である。ウェクスフォード警部とバーデン刑事が捜査にあたり地味な聞き込みを続けているとき、森の中でマーガレットの死体が見つかる。調べていくうちに上流家庭間の不倫が浮かび上がったりする。
マーガレットの家を調べると立派な装丁の本が何冊もあった。本にはドゥーンという署名があり活字体でミナ宛に献辞が書いてある。彼と彼女と想定して、学校時代の仲間たちから過去の事情を聞き出していくとおどろくべき事実が・・・。
(深町真理子訳 角川文庫 420円)

ヘニング・マンケル「五番目の女 上下」(2)

二つの殺人は残忍さからいって男だと思い込んでいたが、もしかして女かもしれないとルーンフェルドが会話のなかでいう。
その後すぐに第三の殺人事件が起こる。大学の研究助手ブロムベリが袋に入れられて海に浮かんでいるのが発見される。妻はヴァランダーの質問に答えて私は殺していないという。殺す理由があるのかと問うとブラウスを破って虐待された肌を見せる。「あの人はこういうことをした人です」そして「あなたがたの力になることはできません」と答えるのだが、ヴァランダーはすでに力を貸してくれたと思う。犯人は女だ。そして殺人はまだ終わっていない。

捜査中に自警団の動きがある。自警団のメンバーが道で迷った運転者を泥棒と決めつけて暴行する事件が起こり、ヴァランダーは強い態度で捜査に当る。その事件の連鎖反応のようにマーティンソン刑事の娘が中学生たちに襲われ、マーティンソンは警察官を辞めようと悩む。

ヴァランダーはリガにいる恋人バイバに電話で話しているとき、詰問されて受話器を電話台に叩きつけてしまう。彼は殺された男たちのことを思った。自分のまわりを囲む残酷性が彼の中にも潜んでいる。程度がちがうだけだ。

警官たちそれぞれの資質を生かした緻密な捜査が続く。最初の被害者エリクソンについての調査でポーランド女性ハーベルマンを殺して埋めたと推理して、警官たちは庭を掘り26年前に埋められた骨を見つける。これで被害者は女性を虐待してきた男たちだとはっきりする。
犯人はまだまだ沢山の男を殺す計画を立てていた。警官たちはこれ以上の犠牲者を出さないように必死の捜査で犯人に追いつく。
犯人の彼女の言葉は「そして夜になると壕を掘った」。

アルジェリアでイスラム原理主義者が起こした事件に母親が巻き込まれ、抹殺されていた真相が女性捜査官によってスウェーデンにいる娘に知らされる。今回もいま現在の広い世界のどこかで起きた悲劇がスウェーデンの地方都市で働くヴァランダー警部の事件となる。

【「もしかすると、われわれはいま永遠に続く連続殺人に立ち会っているのではないか? 動機が女をひどい目に遭わせる男たちに復習をすることなら、これは永遠に終わらないのでないかと自分は思います」ヴァランダーはスヴェードベリの言うことは正しいという気がした。彼自身、この間ずっとその思いに悩まされてきた。】
男性の攻撃性についてこんなに深く切り込んだ小説は読んだことがない。しかもヴァランダー自身が恋人への怒りを表すのに受話器を投げつけるという暴力行為をしてしまう。

読み終わったら脱力してしまった。この暴力に満ちた世界はどうなっていくんだろう。でも深く自省するヴァランダー、部下の女性刑事に重傷を負わせた自責の念にかられて嘆くヴァランダー、彼の存在に力をもらった。
(柳沢由美子訳 創元推理文庫 上下とも1160円+税)

気遣いのブックカバー

西梅田のシャーロック・ホームズには月に一度は必ず行く。おとといの土曜日は久しぶりにジュンク堂で本を買ってから行った。最近は図書館の本と友だちが貸してくれる本で足りている。ここにはまだわたしが1冊も読んだことのないルース・レンデルの本が積み重なっている。ディケンズを貸していた友人がイギリスつながりということで貸してくれたもの。

でも、この1冊(上下)はすぐに買って読まねばならぬ。ヘニング・マンケルのヴァランダー警部シリーズの新刊「五番目の女」。ヴィク・ファン・クラブ会報で「期待をこえるおもしろさで一気読みしてしまった」そして「早く読んで感想を聞かせてください」とも言われた。
さすがジュンク堂には平積みしてあった。カバーが嫌いなのでいつもカバーをとってむき出しで読む。シャーロック・ホームズの女主人はわたしが本を読みつつ食べるので、汚さないかと気になってたみたいだ。いいものをあげると言って出してくれたのは合成皮革のブックカバーだった。I.W.HARPERと刻印が入っている。使いやすい栞もついている。さっそく買いたての「五番目の女」につけて読み出した。読書がはかどって土日で上巻を読み終わった。最近にない密度の濃い読書だった。今日は下巻を読み出した。これからシャーロック・ホームズには必ずこのカバーをした本を持参する。

ヘニング・マンケル『五番目の女 上下』(1)

ヴァランダー警部シリーズ5作目の「目くらましの道」のあとの「タンゴ・ステップ」は単独の作品だったので3年半ぶりの再会だった。待ちかねてたにもかかわらず気持ちがのらずに(サラ・パレツキーさん来日があったからね)遅くなり、ヴァランダーファンにいいから早く読めとせかされてしまった。

物語のはじめは1993年5月、アルジェリアでフランス国籍の4人の尼僧が侵入した原理主義者の男たちによって喉を切り裂かれて殺された。
そのときにスウェーデンから来ていた五番目の女アンナがいたのだが、アンナが単独の旅行者だったので警察はアルジェリアに来たことも抹殺した。埋葬されたあと捜査官ベルトランが呼ばれ、アンナの痕跡を完全に始末するよう言われる。彼女はもうひとつのバッグを発見する。そしてアンナに娘がいるのを知り、すべてを手紙に書いて出した。アンナの娘は手紙を読んで、もうためらわないと決心する。悲しみを鎮めるため、そして準備するための1年の猶予期間をおこう。

19994年9月、認知症と診断された父親と二人でローマを旅してきたヴァランダーが自宅へもどってきた。同僚たちに暖かく迎えられて書類仕事に取りかかろうとしていると、知り合いが失踪したのではないかと心配した男が訪ねてきた。燃料オイルの配達人でいつも配達しているエリクソンの家がずっと留守だという。ヴァランダーは配達人と家に入る。エリクソンは自動車販売業で財をなし、いまは広い庭園のある邸宅に住み、バードウォッチャーであり鳥をテーマの詩集を出している。失踪と判断して応援を頼み、庭に出ると鴉がたくさん目につき、壕に差し込まれた8本の竹串に刺された死体が目に入る。

次いで花屋を営むルーンフェルトが蘭の研究のためにアフリカへ行っているはずが、空港へ姿を見せなかったことがわかる。
エリクソンとルーンフェルトともに、以前に家に侵入者がいたが盗まれた物はないと届けを出していた。調べていくと二人とも暴力をふるったいた過去があるのがわかってきた。
そしてルーンフェルトが森で殺されているのが発見される。首を絞められ木に縛りつけられて死んでいた。
二人とも死に至るまでに長時間の苦しみを与えられていて、調べていくとその憎しみの原因がわかってくるが、痛めつけられた当事者は虐待の末に死んでいるのだ。女性刑事のフーグルンドは「なぜか見せびらかすような犯行の手口」と感じる。
(柳沢由美子訳 創元推理文庫 上下とも1160円+税)

レイモンド・チャンドラー『かわいい女』

わたしは日本でチャンドラーが紹介された最初のころの読者だと思う。家には「別冊宝石」が山ほどあった。チャンドラーの他にもウイリアム・アイリッシュ、エラリー・クイン、クレイグ・ライスなど子どもながらにおもしろくてしかたなかった。父が亡くなったときに10册ほどもらってきて置いてあるが、触るとぼろぼろと破れ落ちそうだ。

いつまでも読まない本を置いておいてもしょうがないので、不要な本は整理しようとぼつぼつ出している。わりと新しいのは妹や友だちに送っているが、汚くても手放せない本がナンギだ。読みたい本は買う主義だったが最近は図書館で借りて読むことが多い。物を持たないという考えが本にはおよんでいなかったのが、ようやくおよんできた。

さて、本書、レイモンド・チャンドラー「かわいい女」だが、古い(1959年発行)創元推理文庫だ。紙は茶色く変色し小さな文字は読みにくい。それでも持っていたのは愛着があったからだが、もういいか。チャンドラーの作品中でいちばん好きなので捨てられなかったのだが。
ドロレス・ゴンザレスというハリウッド女優が好きでずっと名前を覚えているくらいだ。ドロレス・ゴンザレス、これからも忘れないだろう。燃えるようなブラウス以外は男が着るようなスタイルの黒ずくめの服装。「女には、いくら恋人があったとしても、どうしても他の女にゆずれない恋人があるのよ」「でも、私が愛した男は死んでしまったわ。私が殺したんだわ。他の女に奪られないように・・・」おお。

その他にも「濡れた手袋で顔を殴ってやったらいいわ」「誰がいったんだ」「壁よ。ものを言うのよ。地獄へ行く時に通り抜けた死んだ人の声よ」という受付の女。

サラ・パレツキー「サマータイム・ブルース」[新版](2)

2カ月ほど前にヴィクシリーズを友人に貸してあげることになったときに、「サマータイム・ブルース」だけがなくてごめんねと言って2巻からお貸しした。だれかに貸したままなんだけど、25年間に何冊か買っているのよね。それも最後になくなっていた。今回、[新版]が出てよかった。読み終わればやっぱり第1作はういういしい。

シカゴはいま7月。V・I・ウォーショースキー(ヴィク)はミシガン湖沿いに車を走らせている。レイク・ショア・ドライヴから離れサウス・ループへ出てモンロー通りの煙草屋の隣にあるプルトニー・ビルに入る。エレベーターが動かないので4階まで階段を上がる。薄暗い照明の下のドアの文字は〈V・I・ウォーショースキー、私立探偵〉
部屋に入りエアコンのスイッチを〈強〉にすると、ヒューズが切れて照明の電気も消えてしまう。窓を開けると通りの反対側にある〈アーニーのステーキ店〉のネオンがまたたいている。
そして依頼人が訪ねてくる。横柄な男で職業別電話帳で見つけたと言い、一人の女子学生の居場所を探るように依頼し、現金で500ドルを支払って去る。
何度読んでもハードボイルド私立探偵小説の出だしとして最強。

25年前のわたしは、幼少時から読んでいたのに離れてしまったミステリの世界にもどってきて数年後だった。数年間古本屋でポケミスを買いあさり、ハードボイルドミステリが自分にぴったりくることに気がついた。ハメットやチャンドラーは昔ある程度読んでいたので、その後継者たちの本をたくさん読んだ。そして出合ったのがロバート・B・パーカーのスペンサー・シリーズだった。最初の数冊を読んだときの熱狂はすごかった。そしてサラ・パレツキーのヴィク・シリーズが出て並ぶことになった。
二人ともインテリの作家で、第1作はハードボイルドミステリを研究し尽くして書いており、すごくうまいけどちょっとパターンどおりかなと思うところがあった。でもところどころはみ出している部分があっておもしろかった、2作目からそれぞれの個性ある作風になっていったと思う。

女子学生を探して大学に行き、先鋭な女性たちのグループに接近する。依頼人は怯えきっている14歳の少女とヴィクが言うと、やっぱりおまわりじゃないのと返される。その返事「わたしに命令できるのは、警官、市会議員、局長といった階級組織ではなくて、わたし自身だけよ」。そしてピーター卿なら気の利いた会話でなんでも聞き出し、そのあとレズビアン自由基金へ200ポンド寄付するだろうと続くのがおかしい。本書ではもう一カ所ピーター卿の名前が出てくるので、サラ・パレツキーによってドロシー・L・セイヤーズを知った人も多いと思う。
(山本やよい訳 ハヤカワ文庫 940円+税)