うまいコーヒーとダルジールシリーズ『ベウラの頂』

おとといアマゾンに注文したコーヒードリップポットが早くも今朝届いた。よく洗って何度もお湯を沸かしてから乾かし、さっきはじめてコーヒーを淹れた。精神的にもうまいコーヒー(笑)。
このコーヒーを飲みながら読むのに合った本を見つけた。レジナルド・ヒル「ベウラの頂」。P・D・ジェイムズもいいが最近まとめて読み終わったところだから、それ以前に熱中したヒルにした。ジェイムズと同じように全作品をそれぞれ好きだが、いちばん好きなのはこれだと思う。いやいや「武器と女たち」だとも思うが、いま読みたいのは「ベウラの頂」だ。シリーズ外だけど「異人館」も読みたいが、いまは「亡き子を偲ぶ歌」を歌うところを。

〈第4日 亡き子を偲ぶ歌〉の章の最初にマーラーの歌曲の全訳が載っている。ソプラノ歌手エリザベス・ウルフスタン本人が訳したもの。歌っているCDのケースのイラストもあって、これが事件に関わってくる。ドイツ歌曲はふつうドイツ語で歌われるが、エリザベスは歌詞を重視してイギリス人に理解してもらおうと英語で歌うことにした。
夏季音楽祭の朝、ウルフスタン家の主人は朝早く出かけ、エリザベスが起きたときはピアニストのインガーがいた。二人の会話、それから義母のクローイとの会話、いっしょに舞台に出るアーナとの会話があり、エリザベス以外はプログラムを変えたほうがいいと意見だ。しかし、エリザベスは「亡き子を偲ぶ歌」にこだわる。
そして夕方、コンサートがはじまる。
(秋津知子訳 ハヤカワポケットミステリ 1800円+税)

長雨で物憂いけど読書

今年は雨が多い。雨が降っていちばん困るのは洗濯物が乾かないこと。湿度が高いと室内干しではなかなか乾かない。まだガスファンヒーターをつけているので、その前20センチくらい離して台を置いてその上に小物を積んでいるが、冬場のように温度をあげないから乾きが遅い。オイルヒーターをつけている間はいいが、そのうち暑くなる。まあ、かっこ悪くとも長時間室内干しとともに暮らす。カーテンレールに洗濯物のハンガーをかけるのだけはしたくないが(笑)。

さっき今日3杯目のコーヒーを飲んだ。二人でなんか物憂いなあと言っている。雨のせいやろと言いながら乾しイチジクをつまむ。コーヒーはほんまにうまくて、ちょっと気分があがってきた。本を読もう。

読みかけの本。
川端康成の「古都」(新潮文庫 490円+税)はすでに20回くらいは読んでいるが、何度読んでもしーんとした気分になる。川端康成の作品でいちばん好きかもしれない。
おととい買ってきた「現代思想」4月臨時増刊号【総特集 菅原文太 反骨の肖像】(青土社 1300円+税)。読みやすい記事から読み始めて半分くらい読んだかな。編集後記は狭いスペースに細かい文字でびっしりと入っているのを文太さんへの愛に惹かれて虫眼鏡を出してきて読んだ。
ローズ・ピアシー著 柿沼瑛子訳「わが愛しのホームズ」(モノクローム・ロマンス文庫 900円+税)はBLものだけど堂々とした作品で楽しめた。
藤枝静男「或る年の冬 或る年の夏」(講談社文芸文庫 1300円+税)は数ページしか読んでないが良さそう。
ようけあるなあ、物憂いと言うておられへんな。以上は読みかけの本で、まだ開かずに置いてある本もあるのだ。

アン・ペリー『偽証裁判 上下』

いま当ブログの〈アン・ペリー アーカイブ〉を開いて、アン・ペリーの翻訳されている本を全部読んでいるのを確認した。全部といっても彼女が書いたものの中の一部に過ぎないが。
トーマス・ビット警部と妻のシャーロット・ビットもの「十六歳の闇」と「娼婦殺し」。
ウィリアム・モンク(元警部の私立探偵)と看護婦へスター・ラターリィとオリヴァ・ラスボーン弁護士が活躍するシリーズ「見知らぬ顔」「災いの黒衣」「護りと裏切り 上下」、今回の「偽証裁判 上下」。
その他に「青い蠍」(アン・ベリー編著「ホロスコープは死を招く」)と「人質」(エド・マクベイン編「十の罪業 Black」)の短編2篇を読んでいる。

クリミヤ戦争でナイチンゲールとともに働いた独立心の強いへスターだが、平和な時代の病院に就職するとひどい男女差別や職業差別にあって落ち着かない。それで広告やつてで家のベッドにいる病人の世話を仕事にするようになった。今回世話をしていた病人が思ったより早く回復し、次の仕事にはまだ間があったので、新聞広告で日にちがあう仕事を見つけて応募した。まだ知らぬスコットランドにも行ってみたい。仕事はエディンバラの名家の女主人メアリ・ファラリンがロンドンへ行く往復の付き添いである。メアリは病気を持っていたので薬や体調の管理が必要だった。二人は気があって夜汽車で楽しく語り合った。そのあとロンドンに到着する前にメアリの体は冷たくなっていた。
ロンドンに着いて友人で後援者のレディ・キャランドラの家に行ったへスターの荷物にメアリの黒真珠のブローチが入っており驚く。そこへ警察が来てへスターは宝石を盗んだ罪で逮捕され、その上にメアリを殺したと殺人罪で起訴される。

ロンドンで逮捕されたのだが、裁判はスコットランドで行われることになり、弁護士のラスボーンは弁護できない。レディ・キャランドラはモンクに真犯人を見つけるよう捜査を頼み、そしてスコットランドの実力ある弁護士アーガイルを雇う。
「護りと裏切り」の裁判シーンでのラスボーンの弁護がすごかったが、今回はアーガイルの後ろに座って、いらついたり、指示したり。ラスボーンの父ヘンリーも駆けつけて裁判を見守る。
真犯人が見つかってさえいればとモンクは必死だが、知らない町で手がかりがつかめない。
アーガイル弁護士とラスボーンは法廷闘争でへスターの無罪を勝ち取るしかない。弁護士側の証人としてナイチンゲールが出てきてへスターの人柄と戦場における仕事ぶりを話す。またともに戦場にいた医師モンクリーフも証言する。そこでの検察官の問いへのへスター及び証人の答えが素晴らしい。
最後はもちろんモンクとへスターが真犯人を見つける。
(吉澤康子訳 創元推理文庫 上下とも1000円+税)

エドワード・D・ホック『怪盗ニック全仕事 1』

エドワード・D・ホックの人気シリーズ、全仕事というタイトルの「1」だから続きがあると思うとうれしい。木村さんの訳した本はていねいな解説があって楽しい。今回も巻末に87篇のタイトルがずらりと並んで解説あり。「改訳」「新訳」「初訳」とあるんだけど、もちろんすべて順番に従って読んでいくつもり。

エドワード・D・ホックのシリーズは「怪盗ニック」「サム・ホーソーンの事件簿」「サイモン・アークの事件簿」と三つあって、それぞれがおもしろくて好きだ。ホックは生涯に950篇以上書いている短編小説の名手である。
当ブログに三つのシリーズの感想を書いています。

ニック・ヴェルベットは、イタリア系アメリカ人がグリニッジ・ヴィレッジでまだ優位を占めていた頃に生まれた。チーズの名前のような本名を縮めて、他の多くの高校中退者と一緒に朝鮮戦争に行った。40歳近い今はある分野での自他ともに認める専門家(特殊な泥棒)である。お金や宝石には手を出さない。自分のためにも盗まない。一度は、監督やコーチや野球用具一式を含めた大リーグのチームをそっくり盗んだことがある。
報酬は充分(一件2万ドル、動物なら3万ドル)で年に四・五回働くだけだし、一仕事するのに一週間もかからない。ガールフレンドのグロリアと仲良く静かに暮らしている。グロリアはニックが泥棒であることを知らない。旅行していろんな会社の新しい用地を見つける仕事だというのを信じている。
そういう説明のある最初の仕事(泥棒)は「斑(まだら)の虎を盗め」で、動物園で虎を盗む。次の依頼はプールの水で、その後は真鍮の文字、湖の怪獣、囚人のカレンダーといろいろ。
(木村二郎訳 創元推理文庫 1160円+税)

ディケンズ『大いなる遺産 上下』

めちゃくちゃおもしろい小説だった。19世紀のイギリスのことがよくわかる。小説で脇を固めておいてエンゲルスを読めば資本主義が生まれて発展する過程が目の前に映画のように現れるだろう。19世紀の裁判や監獄の描写も詳しい。村の鍛冶屋の義兄は清廉な男で主人公のピップの過ちを許し助ける。その力を借りてピップは自分の力で生きて行く人間になれた。

両親と死別して村の鍛冶屋のジョーと結婚している姉の世話になっているピップ。やかましい姉と違ってジョーは静かでピップに優しい。こうるさい妻の小言を避けてピップに目配せし〈相棒〉と呼んで可愛がる。
ピップは目はしの効いた子どもである。ある日誰もいない湿地で逃亡してきた犯罪者にヤスリと食べ物を持ってくるように言われてジョーのヤスリと姉から食べ物を失敬して渡す。
お屋敷のミス・ハヴィシャムは古いウェディングドレスを着たまま暮らしている変わった中年女性だが、ピップを屋敷に呼んで散歩やトランプの相手をさせる。その養女エステラは美貌の少女でピップは一目惚れ。彼女と同等に付き合うためにジェントルマンになりたいと切望する。
ピップはジョーの鍛冶屋で年季奉公することになった。静かな生活にすっかり満足しているジョーが歯がゆい。渡り職人のオーリックは悪い奴でピップの姉であるジョーのおかみさんを襲って致命的な怪我をさす。
そんなことがあって日々が過ぎたある日、ロンドンから弁護士が来てピップに匿名の人から遺産があるという。
衣装を誂えてロンドンに行きポケット先生にジェントルマンとしての行儀作法を習う。ポケット先生の息子ハーバートと知り合い終生の親友となる。彼といっしょに無駄遣いも覚えたピップだが読書は続けている。

久しぶりに読んだディケンズはおもしろくてためになる。
「荒涼館」が大好きなのだが最近読んでない。いまの積ん読を早く読み終えてまた読もう。
(石塚裕子訳 岩波文庫 上1140円+税 下1080円+税)

ディケンズ『大いなる遺産』とアン・ペリー『偽証裁判』

「偽証裁判」は読み終わっているのだが、もう一度ていねいに読んでから感想を書こうと思っているうちに、数日前からiPad miniで夏目漱石を3冊続けて読んでしまった。
ヴィクトリア時代のロンドンが薄れて、もう少し後の東京が姿を現している。この調子ではいつまで経っても漱石から抜けられぬ。
積ん読本が増え続けているのをどうしよう。Kindleにも入っているけど・・・。まあ1冊ずつ片付けていくしかない。
悩みつつも今年早々に買った岩波文庫のディケンズ「大いなる遺産」を読みかけている。ディケンズはかなり読んでいるけど本書ははじめて。映画はグウィネス・パルトロウが出ている1988年版を見たがよく覚えていない。あんまり後味のよくない映画だった。

いま「偽証裁判」と「大いなる遺産」は同時代でないかとふと気がついた。「偽証裁判」はクリミヤ戦争が終わってすぐのことで、解説を読んだら1857年のこととあった。「大いなる遺産」は1861年に発表されている。
ヴィクトリア時代のイギリスだが、同時代に書いているのと、後世になって時代小説として書いているのと違いはあるが、同じロンドンを馬車が走っていると思うとなんだか興奮してしまう(笑)。
「大いなる遺産」を読んでしまうか、「偽証裁判」再読を先にするかまだ悩んでいるが、ストーリーに引っ張られてディケンズだろうな。
(「大いなる遺産」岩波文庫 「偽証裁判」創元推理文庫)

ジャン・コクトー監督『美女と野獣』

偶然古書アオツキ書店で手にしたジャン・コクトー「美女と野獣 ある映画の日記」を読んだらおもしろくて映画を見たくなった。たしかDVDを持っているはずと探したらお気に入りの数枚といっしょに大切にしまってあった。最初に見たのはかなり昔でNHKのテレビ画面に震え上がるほどに感動したのだった。いまもその場面は脳裏に焼き付いている。
ずっと後になってからレーザーディスクを買ったときはうれしかった。そしていまはDVDがある。

「美女と野獣」は大好きなおとぎ話である。「ろばの皮」とともにこどものころから大好きで、いま持っているのは澁澤龍彦が訳した本で美しい日本語で読めてしあわせだ。

土曜日の深夜にひとりウィスキーを手にパソコンの前に座り、70年の歳月を経た映画を山ほどの製作中の苦心を思いつつ見ていた。人間が美しく、風景が美しく、光と影が美しい。
美女ジョゼット・デーがなんともいえず美しい。野獣で王子そしてベルを愛する近所の男を演じるジャン・マレーは美しくて声が独特。
野獣の城で壁から突き出た人間の腕が支える燭台の数ある蠟燭のゆらめき、部屋のあちこちに置かれた胸像は向きを変えたり微笑んだりする。ドゥドゥ扮する狩りの女神ディアーヌの像は矢を射る。美しくてファンタスティック。
日記を読み映画を見たあとで検索したら、いろんな記事や解釈が出てきて勉強になった。
「La Belle et La Be^te」1946年フランス映画
監督・脚本;ジャン・コクトー 原作:ボーモン夫人 撮影:アンリ・アルカン 音楽:ジョルジュ・オーリック

ジャン・コクトー「美女と野獣 ある映画の日記」をまだ読んでいる

1週間前に本書をアオツキ書店で見つけたときはすごくうれしかったが、こんなに虜になるとは思わなかった。ただコクトーが好きで、彼の映画の中でも「美女と野獣」が好きなだけだが、こんなにおもしろくて惹かれる日記は滅多にない。
「美女と野獣」の映画をつくるために集まった人たちは、それぞれの分野で1940年代に活躍した素晴らしい人たちだ。わたしは少しだけそのあたりのことをかじっているから、すごくおもしろい。
本文の日記がおもしろいのはもちろんで、用事の合間にちょっと開いて読んで閉じて、また次の機会に開いているが、同じところを読んでいても気にならない。
こんなことは初めてだが、この本は注釈がおもしろいのだ。たいていが人間のことになるが、フランス語で名前があってたまに読めるのもあるのは有名俳優や監督である。読めないのは日本語だけ読んでいると、あっそうか彼のことかとわかってくる。そしたらフランス語にもどって納得(笑)。
もやもやとした知識はいっぱいあるのだが、整理して書くところまでいたらない。またそのうちに。今日は確定申告でアタマを使ったからここまでで終わり。

ジャン・コクトー『美女と野獣 ある映画の日記』を読みながら

昨日アオツキ書店で買った本を他の本をおいて読んでいる。全部読むつむりはなく気がすむところまで読むつもり。そしたら読みかけのミステリにもどることにして読み続ける。
好きな映画の中でも飛び抜けて好きな映画の製作日記だ。どんな「美女と野獣」の映画が作られてもこれ以上の「美女と野獣」(1945)はないと思っているくらいに好きだから、どのようにして撮ったのか興味がわく。

ベル(美女)役のジョゼット・デーのことなんだけど、この映画でほれぼれしたのだけれど、他の映画に出ているのか気にしてなかった。いまわかったことは、コクトーの「美女と野獣」と「恐るべき親たち」に出演後、マルセル・パニョルと結婚して離婚。その後ベルギー人の実業家と結婚して映画・演劇界から去ったとのこと。それで以後の彼女の映画はないのだといまごろわかった。
もひとつわかってうれしかったのは、写真がたくさん収録されているんだけど、ベルが家にいて女中のように働いているところは、フェルメールの絵の中の少女にそっくりだ。コクトーが意識してフェルメールの感じにしたって書いてある。いまごろわかったんだけど、なんか楽しい。

はじめてテレビで見たときの感動を思い出す。それからだいぶ経ってからレーザーディスクを買い何度も何度も見ている。いまはDVDがあるんだけどちょっとご無沙汰している。いろんなシーンを覚えていて、本に入っている写真を見ると懐かしい。
スタッフの名前を見ると、ルネ・クレマンが技術助言〔技術顧問〕、美術指導がクリスチャン・ベラール、撮影指揮〔撮影技師〕アンリ・アルカンと知ってる名前があるので、本文を読み進めばいろんなことを知ることができるだろう。

エラリイ・クイーン『災厄の町』〔新訳版〕

4月に予定されている関西翻訳ミステリ読書会の課題本の告知を見てちょっとおどろいた。エラリイ・クイーン「災厄の町」は1942年の作品の新訳版である。なんでこんな古い本をやるの? そのわけは巻末にある訳者のあとがきでわかった。そして、本書はいま読んでもおもしろい。読み出したら手放せず二回読んだ。本の中のエラリーがステキ。

この本をわたしは半世紀以上前に読んでいる。こどものときに家にあったミステリ本の中にあった。本棚に並べてあった父親の本をずいぶん読んだものだ。戦災で焼き出されてすべてを失ってから古本屋や屑屋で買い集めた本である。狭い部屋にぎっしりと本が並べてあり、ほとんどが探偵小説なので暗くなってから本を見るのが怖かったものだ。その上に二番目の姉とその次の兄が買ってきて加えたから増えるいっぽうだった。
「災厄の町」(妹尾アキ夫訳 雑誌「宝石」掲載)は我が家のミステリファンの間では好評だった。それからかなり経ってから「Xの悲劇」「Yの悲劇」「Zの悲劇」「ドルリー・レーン最後の事件」の4冊が話題に上ったのだった。喧々諤々という言葉があたっていたと思う。エラリー・クイーン熱はここまでだった。
「オランダ靴の謎」その他を読んでもピンとこなかったのは、「災厄の町」で植えつけられた静かな中年にさしかかったエラリイ・クイーンのイメージのせいである。そして、もうええやんとエラリーの姿を消した。ハードボイルドが目の前にあった。

エラリーがライツヴィルに着いたときの描写ははっきりと覚えている。だけどライツヴィルの場所がニューイングランドだとはじめて知った。それで今回は舞台になる町がイメージできた。
町はいま景気が良くてホテルは満員だし泊まる場所を見つけられない。エラリーは不動産屋にまっすぐ入っていき、月極めで借りられる家具付きの家がないかと尋ねる。勧められたのは町一番の旧家で銀行頭取のライト家のものである一軒家だった。その家は曰くつきだという。
旧家であり資産家であり町民の指導者のような一家には娘が3人いる。長女のローラは巡業にきた役者と駆け落ちしたが一人で戻ってきてよそで一人住まいしている。次女のノーラはジムと結婚が決まり両親は喜んで家を建ててやった。結婚式の前日に二人は大げんかしジムは町を出て行ってしまった。結婚式は取りやめになり家は住む人がいなくなった。
三女のパトリシアは未婚だが、以前から郡検事のカーターと付き合っている。
その家に住むことにしたエラリーは作家エラリー・スミスと名乗って落ち着いて仕事をはじめる。
(越前敏弥訳 ハヤカワ文庫 1200円+税)