田村隆一『詩人のノート』

先週の木曜日に頼まれていた買い物をして姉の家に行った。お土産に持っていった花束を見て花の名前を聞かれた。フリージャともういっこなんやったっけ・・・全然思い出せない。思い出したら電話するわと言ったら、あの本があればすぐわかるのにと、すらすらと口にしたのが田村隆一『詩人のノート』である。わたしは全然知らんかった。田村さんの詩は読んだことがないし。あ、でもミステリの翻訳をたくさんしてはったからけっこう読んでるな。
姉はその本をとても大事にしていたのに、人に貸してあげたんだそうだ。絶対返してやというたのにと20年も前のことを残念がっている。それで帰ってからアマゾンを見たら中古本が出品されていたので即注文したのが月曜日に届いた。また木曜日に行くのでそれまでに読み終えることにした。
装丁がとてもおしゃれな本だ。それに目に優しいたいへん読みやすい本である。柔らかい内容で文章が優しくて読みながらにっこりしていた。でもどうも姉の覚え間違いらしく、花の名前は出てくるけど鎌倉の家の庭に咲いているのとかで、花屋で1本いくらというような花は出てこない。きっと朝日新聞に連載していた大岡信さんの『折々のうた』の思い違いではなかろうか。明日この本を持って行って聞いてみよう。
その花の名はデルフューム。

田村隆一『詩人のノート』をアマゾン中古本で買った

先週姉の家に行ったとき買って行った花の名前をド忘れして、なんやったかなと悩んでいたら、姉が『詩人のノート』に出てたのにと言った。「その本知らんわ、見せて」と言ったら、20年くらい前に人に貸したままとのこと。「最近あの本ものすごく読みたいねん。古本屋に行ったってすぐにあるわけないしな」と続けて言うので、ネットで調べるからと本のタイトルと筆者をメモして帰った。
田村隆一『詩人のノート』(1977 朝日新聞社)はすぐに出てきたので即買ったのが今日届いた。あさって持って行くのでそれまでに読んでしまうつもり。
先週の木曜日に話題になったのが、次の木曜日行くのに間に合ったんだからすごいわ。

わたしがネットやってていちばんありがたいと思うのは古本を買うとき(笑)。1円の本に送料をプラスして手に入った喜びはなにものにも代えがたい。
P・D・ジェイムズのダルグリッシュ警視長ものの2/3はアマゾン中古本である。段ボール一箱に収まっていて、昨日も押入れから取り出し好きなところを拾い読みしていた。
ダルグリッシュがエマとはじめて会うところや、ケイト・ミスキン警部とピアース警部のメールのやりとりとか、すぐに出てくるところが我ながらすごい。

今日は中原淳一先生の誕生日

今朝ツイッターを開いたら中原淳一先生のうるわしい姿が目についた。1913年の今日2月16日が誕生日だそうだ。
わたしが「先生」とよぶのは中原淳一先生だけである。

わたしの一家が住んでいた大阪市内の家は第二次大戦のアメリカ軍の空爆で焼けてしまった。命からがら逃げた家族がのちに郊外の小さな文化住宅にまとまって住むようになった。どんなときでも本を忘れない父親が、知り合いや古本屋や屑屋とかいろんなところで本を手に入れてきて、その中に戦前の『少女の友』があった。
『少女の友』には中原淳一先生の絵がたくさん載っていて、わたしはその絵の上に薄紙をのせてなぞり便箋をつくったりした。
川端康成の『乙女の港』の淳一描く表紙と挿絵が大好きだった。主人公の大河原三千子とお姉さまの八木洋子が大好きだった。
吉屋信子の本もたくさん読んだ。『花物語』の挿絵も淳一先生だった。
ここからわたしの「百合」趣味が生まれたのだから筋金が入っている。
その後は姉が買い始めた『ひまわり』、その後は『それいゆ』『ジュニアそれいゆ』を引き継いでずっと読んでいた。

いまも、本や絵葉書やメモ用紙やハンカチなんぞの小物を持っていてときどき出して眺めている。

クライム・スリラーのあとには乙女もの

昨日はハラハラドキドキのクライム・スリラーを読み終えて感想を書いたが、納得できないところがあったので読み返した。ちゃんと理屈にあっている。ハイスピードで適当に読み終えた自分が悪いのだが、はじめての作品でよくこれだけの物語を仕上げたものだ。三部作のあと2冊も訳してほしいなあ。寝るまで読んでいたのに夢を見ることなく眠れたのはなんでかな。

そんなもんで今日は目が疲れているし呑気に過ごした。とはいえやっぱり本を読んでいた。きちんと活字を追わなくてもわかっているジーン・ポーターの『そばかすの少年』は大好きな同じ作家の『リンバロストの乙女』の前の作品である。孤児院で育った少年はリンバロストの森の番人に雇われ、木々や花々や鳥たちや虫たちと友だちになる。森で知り合った少女の気働きと行動で彼の高貴な出自がわかりめでたしめでたしなのだが、愛し合う二人の姿や、死に物ぐるいで森の盗賊をやっつけるシーンとか何度読んでも楽しい。
少年少女だった二人が『リンバロストの乙女』では、立派な大人になってでてきて、悩める乙女を支える。
というわけで今日は殺人事件からちょっと遠ざかっておりました。

タンポポのサラダと堀井和子さんの本

野菜の市に行った相方の買い物の中にイタリアン・タンポポが入っていた。濃い緑の大きな葉っぱ。泉北に住んでいたころによく田んぼのへりとかで摘んできて食べたのを思い出した。30数年前のはなし。
どうやって食べたかなと考えて、ベーコンを炒めたのとゆで卵を崩したのと合わせたのだと思い出した。緑、黄、赤が混ざってきれいな彩りが食欲を誘う。のちにはタンポポの代わりに春菊でやっていたが、なぜか最近忘れてた。

たしか本にあったんやでと探した。『堀井和子の気ままな朝食の本』があった。螺旋綴じの同じ装丁で4冊ある。タンポポのサラダはちゃんとあったが堀井さんのはタンポポとベーコンだ。ゆで卵を使っているのは別の本だったみたい。でも、懐かしい本4冊のページをめくって楽しいひととき。

わたしは昔「歩く植物図鑑」と言われていたくらい雑草の知識があった。ハイキングなんか行くとあれは○○、これは○○とうるさくいうので敬遠された(笑)。食べられる雑草を採って帰ったが母親に却下されたっけ。「戦争中でもないのにこんなもん食べへん」だって(笑)。
最近は野にも山にもご無沙汰で草の名前も忘却の彼方に行ってしまった。

本棚から久しぶりに出してきたので記しておく。すべて白馬出版発行。
『堀井和子の気ままなパンの本』(1987)
『堀井和子の気ままな朝食の本』(1988)
堀井和子『ヴァーモントへの本』(1988)
堀井和子『おいしいサンフランシスコの本』(1989)

本の虫

さっき『太陽がいっぱい』を読んでいたら、「本の虫」という言葉そのままの人間がここにいると言われた。「本の虫」ってでっかい虫やなぁ、気持ちわるう。
本から体を離してコーヒーを淹れたが、コーヒーカップを手にしてまた読んでいる。おもしろいんだから虫と言われても平気。コーヒー淹れながら体操のつもりで肩をまわして伸びをした。

活字中毒者でもある。老眼の進み方がいちじるしく、肩こりもまたひどい。でもよく眠れるから睡眠中に修理できているようで、目覚めはけっこう爽やか。
いちばんのくすりはお風呂だ。熱めのお風呂にゆったり入って長風呂、ときどき半身浴、ときどき塩湯やハーブ湯。

本さえあれば生きていける。物語の中に真実があると信じている。
今夜はちょっと気取りました(笑)。

物語の力

読みかけで置いてある新刊本がたくさんあるのにiPad miniを出して「ジェーン・エア」(シャーロット・ブロンテ)をまず拾い読みし、「秘密の花園」(フランシス・ホジソン・バーネット)の花園シーンを読み、つぎに文庫本で「抱擁」(A・S・バイアット)を読む。読むページはだいたい決まっている。何度読んでも気持ちが落ち着くのに変わりはない。
物語はわたしには精神安定剤みたいなもの。眠れなかったりするほどの悩みごとがそんなにあるわけではないが、なんとなく先のことが気になってユーウツになったり、お金の心配でどないしょと思うことがたまーにある。そんなときは物語に逃げるのがいちばん。主人公たちはそれぞれの悩みを抱えながら妥協せずに生きている。本を読んで励まされ、この苦境どうにかなるやろと思わすのが物語の力だ。
「秘密の花園」を検索して映画の写真を眺めている。花園のシーンを見始めると飽きない。コーヒーカップを手にしていつまでも眺めている。

関西翻訳ミステリ読書会で感じたこと

会場が西梅田の大阪駅前第2ビルなのでシャーロック・ホームズで夕ご飯を食べてから行った。
今日の課題書は昨日の日記に書いたロバート・B・パーカーの「初秋」だった。主催者のKさんがこの本が大好きでずっと前からやりたかったんだって。先日お会いしたときに話したので、最初の3冊を持っていった。「ゴッドウルフの行方」(ハヤカワポケミス)「誘拐」「失投」(2冊とも立風書房)で、どれも汚れていて外れているページもある。昨日書いたけど33年前の本だから。
みなさんの手を一周したがどなたも初見だったので持って行ってよかった。
読書家の集まりだから鋭い指摘があって、そうなのかとうなづいたり、言葉にならないけどちょっと違うなというところもあった。
一人ぐらいはスペンサー大好きな人がいるかと思ったらいなかった。ほんまに時代は変わってしもたんやな。

いろんなことをしゃべったのだが、あの時代の空気を伝えるのは無理だ。
帰りの地下鉄で思い出したんだけど「初秋」が出たころ、つまり33年くらい前のこと、千日前の飲み屋「中野」で、わたしは相方にいかに「初秋」がいかに面白いかをしゃべっていた。そしたら横にいた見知らぬ男性が「僕も読んだところです。ものすごくよかった」と声をかけてきて、1時間くらいスペンサーとスーザンとホーク大好きで盛り上がった。他にも得意先の編集者などロバート・B・パーカーがちょっとインテリぽい人の間で大受けしていた。

われながらいろんなシーンを生きぬいてきたものだが、いまはいまの時代の空気があるのだからそれでいいのだな。老婆心はいらんな。

ロバート・B・パーカー「初秋」を33年ぶりに読んでいる

明日開かれる〈関西翻訳ミステリ読書会〉の課題書ロバート・B・パーカー「初秋」をいまごろ読んでいる。明日ということは1カ月以上も前からわかっていたが、33年も前に読んだ本をようやく探したら安心して読んだ気になっていた。こりゃいかんわと昨日から慌てて読み出したのだが、内容を覚えていないのにおどろいた。もちろんストーリーやスペンサーとスーザンの言い合いのところなんかは覚えているけど細かいところは全然忘れてた。

この本が出版された1982年にわたしはなにをしていたろう。
我が家の最初のアップル社製品であるMacplusを買ったのが1987年だから、それより5年前だ。Macがなかった時代なんやな。
いま思い出していたら、78年ごろから夢中になったパンク・ニューウェーブもそろそろわたし的には終わりごろで、やっぱりわたしには読書とか思って翻訳ミステリにはまりこんだんだった。そのころ買った新本も古本も押入れの中で眠っている。
そうだ、スペンサーに入れあげているときにヴィク(V・I・ウォーショースキー)が現れたのだ。1985年に早川ミステリ文庫で発行されて次々と翻訳された。1991年にはヴィク・ファン・クラブ発足。1998年に「VIC FAN CLUB SITE」発足。最初のMacを手にいれてから11年目にウェブ時代に突入したんやな。スペンサーから話が飛んだ。これをアップしたら明日に備えて「初秋」にもどる。
「VIC FAN CLUB SITE」にある「わたしのサラ・パレツキー論」はスペンサーからヴィクへとわたしの視点が変わっていったことが書いてあってなかなかいいので読んでみてください。古いサイトなのでちょっとリンクがややこしいけど3章まであります。)

篠田桃紅「一〇三歳になってわかったことー人生は一人でも面白い」

先に自叙伝を読んだので理解しやすかった。
本書は大きく4章に分かれ、4章が40項目に分かれたわかりやすい構成になっていて楽しく読めた。
高齢者の文章によくある青汁を毎日飲んでいるとか体操しているとかの健康法などいっさいなく、楽しく一人暮らししていることが伝わってくる。自然体なんだけど大きな声で自然体でやってますというところがない。
ずっと着物でとおしてはるそうだが、自慢するでなく人に勧めるでなく、自然に着物を着ておられる。ふと、剣豪 塚原卜伝が歳をとって静かに暮らしている食事中に斬りこまれ、卜伝は鍋の蓋を盾にして刀を止めたところを思い出した。ほんま、名人の暮らしをされていると感じた。
各章の終りにはまとめの言葉が入っていて、おっ!と思うところ何カ所もあり。
これ↓気に入った。

なんとなく過ごす。
なんとなくお金を遣う。
無駄には、
次のなにかが兆している。
必要なものだけを買っていても、
お金は生きてこない。

すごくおしゃれで楽しい人だ。
あと、恋の話を聞きたかったと思うのは野暮かなあ。
(幻冬社 1000円+税)