篠田桃紅『百歳の力』

先週の「週刊現代」に篠田桃紅さんのインタビューが載っていてた。今年4月に発行された篠田桃紅「一〇三歳になってわかったことー人生は一人でも面白い」(幻冬社)について語っていてすごく興味を惹かれた。
先週本屋に行ったら新刊書のところに平積みしてあって横にもう一冊「百歳の力」(集英社新書 2014年6月発行)があったので両方買った。
順番に読もうと「百歳の力」(103歳の現役美術家唯一の自伝!)を先に開いた。

桃紅さんは1913年、旧満州・大連生まれ、百歳を過ぎた今も現役で活動を続けている美術家である。5歳から父に墨を習いはじめた。父は「桃紅李白薔薇紫」からとって「桃紅」と号をつけてくれた。
当時は女学校へ行くということはすぐに結婚するということであり、いろいろな友だちの結婚を見ることになる。自分は結婚しないで生きていこうと決心し、お兄さんが結婚するので邪魔にならないように家を出る。書を教える場所を借りると生徒がたくさん集まった。住まう家も借りた。
戦争中は空襲から死を免れ、年老いた両親とお腹の大きい妹とともに疎開する。苦労の末に結核に罹るが女医さんの「治る」という言葉に勇気をもらって闘病する。
40歳代でアメリカに行くチャンスに恵まれた。当時のアメリカ行きの大変な事情が書かれていて勉強になる。

そしていま、103歳になる美術家は「ゲテモノ、という言葉があるけれど、それは当たっているかもね。でも、まがいものではないつもり。」と言い切る。
(集英社新書 700円+税)

関西翻訳ミステリ読書会 エラリー・クイーン『災厄の町』

久しぶりの読書会、西梅田へ出るならジュンク堂へ寄ろうと思っていたが段取りがうまくできず、行けなかった。シャーロック・ホームズで晩ご飯としてタイカレーを食べてコーヒーとチョコレートでデザート、女主人としゃべっていたらちょうど開催時間になった。場所はとなりの駅前第二ビルである。

翻訳者の越前敏弥さんも来られて大盛況。熱心なファンの発言で活気のある会だった。
最初に全員の自己紹介。さきにメールで提出している自己紹介をまとめてプリントしたものが配られているので、それに補足しながらしゃべる。女性16人、男性4人だったかな。
わたしは昔読んだときに理解できなかった作品中の場所がわかってうれしいということを述べた。災厄の町ライツヴィルの場所がニューイングランドにあること、都会と田舎が接する場所であること。言葉足らずでうまく説明できず、だれもわからなかったと思うが。まあ、こどものときに理解できなかったことが大人になってわかっていま幸せな気分になっているということ。

最後まで間が空かずに話が続けられた。みんなよく読み込んでおられる。間が空いたらなにか言おうと思っているうちに終わってしまった。わたしはそのまま帰ったが、二次会があってほとんどの方が行かれたようだ。
(越前敏弥訳 ハヤカワ文庫 1200円+税)

長雨で物憂いけど読書

今年は雨が多い。雨が降っていちばん困るのは洗濯物が乾かないこと。湿度が高いと室内干しではなかなか乾かない。まだガスファンヒーターをつけているので、その前20センチくらい離して台を置いてその上に小物を積んでいるが、冬場のように温度をあげないから乾きが遅い。オイルヒーターをつけている間はいいが、そのうち暑くなる。まあ、かっこ悪くとも長時間室内干しとともに暮らす。カーテンレールに洗濯物のハンガーをかけるのだけはしたくないが(笑)。

さっき今日3杯目のコーヒーを飲んだ。二人でなんか物憂いなあと言っている。雨のせいやろと言いながら乾しイチジクをつまむ。コーヒーはほんまにうまくて、ちょっと気分があがってきた。本を読もう。

読みかけの本。
川端康成の「古都」(新潮文庫 490円+税)はすでに20回くらいは読んでいるが、何度読んでもしーんとした気分になる。川端康成の作品でいちばん好きかもしれない。
おととい買ってきた「現代思想」4月臨時増刊号【総特集 菅原文太 反骨の肖像】(青土社 1300円+税)。読みやすい記事から読み始めて半分くらい読んだかな。編集後記は狭いスペースに細かい文字でびっしりと入っているのを文太さんへの愛に惹かれて虫眼鏡を出してきて読んだ。
ローズ・ピアシー著 柿沼瑛子訳「わが愛しのホームズ」(モノクローム・ロマンス文庫 900円+税)はBLものだけど堂々とした作品で楽しめた。
藤枝静男「或る年の冬 或る年の夏」(講談社文芸文庫 1300円+税)は数ページしか読んでないが良さそう。
ようけあるなあ、物憂いと言うておられへんな。以上は読みかけの本で、まだ開かずに置いてある本もあるのだ。

ジャン・コクトー監督『美女と野獣』

偶然古書アオツキ書店で手にしたジャン・コクトー「美女と野獣 ある映画の日記」を読んだらおもしろくて映画を見たくなった。たしかDVDを持っているはずと探したらお気に入りの数枚といっしょに大切にしまってあった。最初に見たのはかなり昔でNHKのテレビ画面に震え上がるほどに感動したのだった。いまもその場面は脳裏に焼き付いている。
ずっと後になってからレーザーディスクを買ったときはうれしかった。そしていまはDVDがある。

「美女と野獣」は大好きなおとぎ話である。「ろばの皮」とともにこどものころから大好きで、いま持っているのは澁澤龍彦が訳した本で美しい日本語で読めてしあわせだ。

土曜日の深夜にひとりウィスキーを手にパソコンの前に座り、70年の歳月を経た映画を山ほどの製作中の苦心を思いつつ見ていた。人間が美しく、風景が美しく、光と影が美しい。
美女ジョゼット・デーがなんともいえず美しい。野獣で王子そしてベルを愛する近所の男を演じるジャン・マレーは美しくて声が独特。
野獣の城で壁から突き出た人間の腕が支える燭台の数ある蠟燭のゆらめき、部屋のあちこちに置かれた胸像は向きを変えたり微笑んだりする。ドゥドゥ扮する狩りの女神ディアーヌの像は矢を射る。美しくてファンタスティック。
日記を読み映画を見たあとで検索したら、いろんな記事や解釈が出てきて勉強になった。
「La Belle et La Be^te」1946年フランス映画
監督・脚本;ジャン・コクトー 原作:ボーモン夫人 撮影:アンリ・アルカン 音楽:ジョルジュ・オーリック

ジャン・コクトー「美女と野獣 ある映画の日記」をまだ読んでいる

1週間前に本書をアオツキ書店で見つけたときはすごくうれしかったが、こんなに虜になるとは思わなかった。ただコクトーが好きで、彼の映画の中でも「美女と野獣」が好きなだけだが、こんなにおもしろくて惹かれる日記は滅多にない。
「美女と野獣」の映画をつくるために集まった人たちは、それぞれの分野で1940年代に活躍した素晴らしい人たちだ。わたしは少しだけそのあたりのことをかじっているから、すごくおもしろい。
本文の日記がおもしろいのはもちろんで、用事の合間にちょっと開いて読んで閉じて、また次の機会に開いているが、同じところを読んでいても気にならない。
こんなことは初めてだが、この本は注釈がおもしろいのだ。たいていが人間のことになるが、フランス語で名前があってたまに読めるのもあるのは有名俳優や監督である。読めないのは日本語だけ読んでいると、あっそうか彼のことかとわかってくる。そしたらフランス語にもどって納得(笑)。
もやもやとした知識はいっぱいあるのだが、整理して書くところまでいたらない。またそのうちに。今日は確定申告でアタマを使ったからここまでで終わり。

P・D・ジェイムズ『殺人展示室』再読と「百合」

図書館で借りて最初に読んだのは2010年4月、今回約5年ぶりに自分の本で読んだ。
本書の翻訳発行は10年前なので、その間こんなおもしろい小説を読まなかったことを悔やむ。偏った読書をしていたものだ。イギリスの警察小説はレジナルド・ヒルのダルジール警視に夢中になったがずいぶん遅かった。翻訳されるのを最初から読んできたのはイアン・ランキンだ。ピーター・ラヴゼイもコリン・デクスターもジョセフィン・テイも読み出したのは遅かったが、夢中になって翻訳されたほとんどの作品を読んでいる。
まあ、大先輩のドロシー・L・セイヤーズはずっと昔から読んでいるからいいとするか。

お正月に川端康成の作品を何冊か読んで美しい日本語に魅了されたのだけれど、その後に本書を読んで今度は論理的な英語(翻訳されたものであっても)にほとほと感心した。
並行して雑誌「ユリイカ」の「百合」特集を読んで自分なりにわかった気がした。
百合:レズビアン=川端康成:P・D・ジェイムズ
吉屋信子や川端康成の作品は麗しい「百合」であって文句のつけようがない美しさ。だが、ダルグリッシュ警視長と特別捜査班の論理はレズビアンとしての堂々たる態度みたいなもの。
あくまでも勝手な想いである。
「殺人展示室」のアダム・ダルグリッシュ警視長、ケイト・ミスキン警部、ピアーズ・タラント警部、読み返して懐かしかった。シリーズ最後まで読んで結末わかっているから気分良い。
(青木久恵訳 ハヤカワポケットミステリ 2005年2月発行 1800円+税)

サガンの『スウェーデンの城』が出てきた

昨日に引き続いて今日も整理したり捨てたりと忙しかった。
本棚上段の文庫本が積み重なっているのを引き出したら、これも宝の山だった。谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、その他の日本文学は青空文庫に入ってないのが多いし、新しく文庫本で出ていないかもしれないからホコリを払って風を通した。
岡本綺堂「青蛙堂綺談」は父からもらって大事にしていた本だが青空文庫にあるから捨てた。
乙女ものの「ジェーン・エア」「秘密の花園」やら、吉屋信子の本も貴重だからまた大切にもとのところへ。

何度も読んだフランソワーズ・サガンの「スウェーデンの城」(新潮文庫 1973)はぼろぼろだが、新版が出ていないので貴重だ。いっしょに入っている「ヴァランティーヌの葵の衣装」も大好きだったっけ。
映画にはモニカ・ヴィッティとジャン・ルイ・トランティニアンとジャン・クロード・ブリアリが出てる。見たいと思って検索したらえらい値段がついていて買うのは無理。YouTubeで予告編を見たらトランティニアンが若くて美しい。

そんなことで今日の読書は懐かしい本を斜め読みして終った。

今夜のご飯は『剣客商売』

晩ご飯は大根の炊いたんと薄切りの蓮根を炒めたんときんぴら牛蒡で焼酎の湯割りを呑み、玄米ご飯と里芋と車麩の味噌汁と梅干し、そのあとに三年番茶だった。
「おはるみたいやな」と自然に言葉が出て、久しぶりに「剣客商売」を思い出した。相方に言わせると野菜を買ったところから、おはるの世界だったそうな。古い民家の玄関口に棚や台をつけたような店で商っている。まるでおはるが実家で笊に入れてもらったような野菜をリュックで運んできた。

そしたら「剣客商売」を読みたくなり、本棚を探したが見つからない。16冊まとまっているので、箱に入れて押し入れに仕舞ったのかも。押し入れまで探す気がないので、当ブログのカテゴリーから「池波正太郎」を探したら、あった、あった、「剣客商売」最後の16冊目まで書いてあった(2004年1月から6月)。それを全部読んで一応満足できた。書いておくものだなあ、日記。

「今日は妙に冷える。おはる。夕餉(ゆうげ)は、油揚げ(あげ)を入れた湯豆腐(ゆどうふ)にしておくれ」(15巻「二十番斬り」)

デレク・ジャーマンの庭『Derek Jarman’s Garden』

P・D・ジェイムズの「策謀と欲望」(1989)を読んでいる。
ダルグリッシュ警視長は休暇でノーフォーク海岸の村を訪れている。2カ月前に亡くなった叔母のジェインが多額の遺産とノーフォーク北東海岸にある風車小屋を改造した家屋をダルグリッシュに遺した。「不自然な死体」のときはサフォークのモンクスミア岬に住んでいた叔母はこの村に引っ越して死ぬまで住んでいた。
この村には海辺に原子力発電所がある。もちろんジェイムズは作品の前の「著者メモ」で、ノーフォーク北東海岸の架空の岬であると断っている。

それで思い出したのがデレク・ジャーマン(1942−1994)の「Derek Jarman’s Garden」だ。デレク・ジャーマンの庭の向こうのほうに原子力発電所が聳えている写真があったのを覚えていた。久しぶりに本棚から出した。荒れ地に作った庭の写真にまたショックを受けて、ぼんやりとページをめくっている。

イギリスの原子力発電所分布図を調べてみたら、ダンジェネスはイングランドの南東の角に近い場所にあった。
デレク・ジャーマンがここダンジェネスに移り住んできたのはチェルノブイリ事故のあった1986年だそうだ。

心斎橋大丸で『赤毛のアン展』を見て

「赤毛のアン展」の入場券をYさんが送ってくださった。わたしは「赤毛のアン」はあんまり好きでないのだが、長い間愛読している村岡花子訳のジーン・ポーター「リンバロストの乙女」と「そばかすの少年」に敬意を表して行くことにした。

1時間に1台のなんば行きバスに乗って心斎橋へ。乗りさえすれば大丸の前が停留所なので便利だ。エレベーターでご希望の階はと聞かれて7階と答えたら他の人もみんないっしょに降りた。
午後の3時頃だからかあまり混んでなくてゆっくりと見られた。テレビを見てないしアンにあまり興味がなかったのだが、ガラスケースの中にアンの本と並んで「リンバロストの乙女」と「そばかすの少年」の初版が展示してあった。わたしがこどものときに父にもらったのはタイトルが「黄色い皇帝蛾」で訳者は男性で抄訳だった。全訳の初版を見るのははじめてなので感動した。

帰りにお土産売り場で姉と姪親子のお盆みやげにアンの手提げ袋とハンカチを買った。百貨店の地下でない売り場を見るのは久しぶり。エスカレーターで降りながらときどき売り場を見学した。
地下で食品を買ってから東急ハンズへ。台所用品と菊花線香を買って帰った。