あんなに夢中で本を読めば

日曜日から喉がいがらっぽくてときどきエヘンとやっている。風邪を引いたというほどでもないのだが、たまに咳で目が覚める。今日はつるかめ整体さんへ行っていつも通りの治療を受けた。終ってから目の使い過ぎで目のまわりの筋肉が疲れていると指摘された。しんどいのはこのせいや。
実は先週の土曜日に買ったヘニング・マンケルの「北京から来た男 上下」がおもしろすぎる。上巻の半分を読み終えたところで、とにかくそのとき抱えている本を片付けようと、読みかけのマイクル・イネス「ハムレット復讐せよ」を読み終えて感想を書いた。そしたらツイッターで村岡花子訳の「リンバロストの乙女」が話題で、その前作の「そばかすの少年」もさっと読み直して紹介のようなものを書いた。本を持ってるジマンに過ぎないかもね。

ようやく読みかけの「北京から来た男」をものすごいスピードで読み終えた。ほんとにすごい作品で目の疲れなんかかまっていられなかった。その上にこの暑さと湿度の高さでは疲れて当然。今日は整体から帰って昼寝。自分では30分のつもりが2時間も爆睡してた。
今日は早寝して明日はいろいろ頑張ろう。今日も夜食はなし。明日の昼までは断食。

ジーン・ポーター『リンバロストの乙女 上下』と『そばかすの少年』

昨日ツイッターに「リンバロストの乙女」が河出文庫で出るというツイートがあった。ありがたくリツイートさせてもらったが、テレビドラマで村岡花子が人気になっているおかげらしい。うちはテレビがないが姉のところで土曜の昼に全部で3回くらい見たかな。母の故郷の山梨弁がなつかしいが、村岡さんは山梨出身なんやね。

わたしは「赤毛のアン」の良さがあんまりわからなくて、村岡花子訳というと「リンバロストの乙女」と「そばかすの少年」(1904)なのである。何度も書いているけど、誕生日プレゼントに父からもらった「黄色い皇帝蛾」(イエロー・エンペラー)をなくしてしまい、何十年か経って「イギリス児童文学研究会 ホビットの会」でこの本の内容(お弁当の話)が話題になったとき図書館勤務の会員に調べてもらった。千里の児童図書館にその本があるというので行って本を手に取りその場で読んだ。そしてお願いしてコピーしてもらった。2回に分けて受け取りに行ったっけ。コピー代が6000円かかったのも思い出である。

そのあとでに小さな本屋で見つけたのが赤いギンガムチェック柄のカバーがついた角川文庫のマイディアストーリーで、前作の「そばかすの少年」も手に入った。それからはこの3冊を大切に持っている。「黄色い皇帝蛾」は「リンバロストの乙女」の抄訳だとそのときにわかった。
今回復刊されるのは「リンバロスト」だけのようだ。「そばかす」を読めば「リンバロスト」が「そばかす」に続く物語ということがわかる。登場人物のその後とか。
そして「そばかす」の〈あとがき〉が詳しくて作者ジーン・ポーター(1868-1924)とその時代のこともよくわかる。
3冊出してきて昨日から読んでいるが乙女心を揺さぶる本だ。何度読んでもいい。

整体と内田百閒『おからでシャムパン』

今日は整体の2回目に行った。からだが柔らかくなったみたいな気持ち。時間を見たら1時間経っていた。眠っていたのかぼーっとしていたのか気持ちよくてあっと言う間だったなあ。いまもこのまま横になったらすやすや眠ってしまいそうだ。
先週治療してもらってから、膝や腰の調子が上向いているような気がする。おととい姉の家から帰ったときも以前の疲れ方からするとだいぶマシだった。いい整体院を見つけてラッキー。それがご近所さんなのもラッキー。

昨日も読んでいた内田百閒の「猫の耳の秋風」に入っている「おからでシャムパン」を再読。
うちの晩ご飯もおからがついたから。うちのおからはわたしの自慢料理で以前は海老や椎茸を入れたりしていたが、最近はシンプルにニンジンとゴボウと薄揚げとネギだけである。薄いベージュっぽい色のおからにニンジンのオレンジ色がよく似合う。よく炒ったおからはほんとにうまくて、機嫌良く食べているのだが、百閒先生のはもっと高雅なのである。
おからを布巾に包んで水を流しよく揉む。水を切ってすり鉢に移してすりこぎで摺る。それからおからに色がつかないように味付けする。入れるのは銀杏だけで、最後にレモンをしぼる。
お膳におからの小鉢とシャムパン(シャムパンがお膳に上がるまでの話があるのだがここでは省略する)で一献。

うちはその他に4品のおかずがついてうまい晩ご飯だった。いくら百閒先生推薦でも、おからはうちのがいいなと言いながら食べた。おからを洗ったら栄養が抜けるんとちゃうかという意見が出たが、布巾がはずれてみんな流してしまうというのがアタリかも。
(六興愛蔵文庫 内田百閒作品集)

久しぶりに図書館へ

相方が借りていた本「原発ホワイトアウト」を残りの2日間フルスピードで読み終えて図書館へ返却に行った。最近は本(新本、古本、お借りした本)がたくさんあって図書館の本を読む時間がない。
返したついでにせっかく来たのだからと本棚を眺めていたがやっぱり翻訳物に目がゆく。
先日はじめて読んだスーザン・ヒルのきれいな本2冊は10年前に訳されたクリスマスものだけど怪奇っぽくもあるようで楽しみ。アイルランド出身のメイヴ・ビンチーは「サークル・オブ・フレンズ」の映画と原作を楽しんだ。「クリスマスの食卓」もきっと楽しいだろう。たのしみ、たのしみ〜。もう1冊はP・D・ジェイムズの「灯台」、残念ながら読んで感想も書いていた。未読のダルグリッシュ警視ものはもうなかったっけ。再読を楽しもう。

ということで4冊借りて帰ったら郵便受けに原書房からの封筒が。山本やよいさん訳のメアリ・バログ「秘密の真珠に」。帰ったら宅急便が来て東京のSさんからお貸しした本の返却といっしょに、よしながふみ「きのう何食べた?」の8巻が入ってた。これが一番先や〜(笑)。和風のケーキもいっしょに入っていたのを食べながら読んだ。

〈冬ウツ〉から脱け出して捕物帳を読む

寒さ疲れで〈冬ウツ〉だと言ってるひとがいると、昨日の日記にミクシィでコメントしてくれた。そうね、わたしの〈なんとなくもの憂い〉も〈冬ウツ〉かもしれないと返事をしたら他にも自分もそうだというかたがおられた。〈なんとなく〉の正体がわかったから納得できて元気に(笑)。今日はよく家事をがんばった。エライエライと自分をほめる。

元気になったし今夜はエドワード・D・ホック「サイモン・アークの事件簿 V 」を読み終えたので感想を書くつもりだったが、選挙のこととかネットの書き込みに引っ張られるので明日にする。
ネットの合間に青空文庫で、林不忘「釘抜藤吉捕物覚書 のの字の刀痕」を読んでいるが、非常におもしろい。通りがかった家の前で勘次は「何だ、喧嘩か、勘弁ならねえ」と格子戸の前に立った。「勘弁ならねえ」というのが口癖で勘弁勘次というあだ名がついている。その家で血だらけの死体を見て、様子を見聞きした勘次は釘抜藤吉親分のところへまっしぐら。【秋の末、利鎌(とがま)のような月影が大川端の水面(みなも)に冴えて、河岸の柳も筑波颪に斜めに靡(なび)くころ】なんて美文にころりとまいってしまう。

荒俣宏編著『大都会隠居術』から内田百閒『特別阿呆列車』

さっきまでいろいろと用事をしていたら夜半を過ぎた。スタートが遅いからしかたがないが、この日記になにを書くかが決まらない。毎日のことだけど、テーマさえ決まればちゃっちゃと書けるのに。
それで、なんべんも読んだ内田百閒にしようと決めたのだが、今回は「百閒」の文字がちゃんと出るようになっていた。以前は百間と打ってから「間の中の日が月」と注釈をつけたものだ。

こどものころ家の本棚に「阿呆列車」が何冊かあった。父親が百閒先生のファンだったので他にもあったと思うが、そのころ読んだ本ではこの本しか覚えていない。
用事がないのに汽車に乗るが一等車でないといけない理由がある。食堂車で酒を飲む。大阪まで行くが一泊して翌日の昼の汽車で戻ってくる。お供はこども心にも楽しいヒマラヤ山系くん。編集者が見送りに来るので、百閒先生ってえらいんやと気がついた。

おとなになってからの話だが、阿呆列車の真似をしたいがお金がない。百閒先生のように錬金術をするほどえらくない。
その心持ちで京都とか奈良に行って、観光ではなくうろついて帰ってきた。その心は阿呆列車。これだけでも若いのに隠居生活やってたのがわかる(笑)。

最近はもう読まないが、猫と暮らしているときは「ノラや」「クルやお前か」を再読、三読した。そばに猫がいると、ノラやクルのことが他人事ではなくなっていた。
(光文社 〔光る話〕の花束5 1262円+税)

関西翻訳ミステリ読書会の忘年会

関西翻訳ミステリ読書会の忘年会に行ってきた。
主催者の影山さんが3時から7時までシャーロック・ホームズにいるから、好きな時間に来ればいいという。わたしは一応3時から5時くらいまでと申し込んでいたが、後のほうが人数が少ないのでずっといることにした。ただし途中30分ほどジュンク堂へ散歩に出た。

それぞれが最低1品注文するというゆるい会費もありがたい。みんなけっこういろいろと注文して食べたり飲んだりしていた。
影山さんが文庫本や雑誌を持ってきていた。雑誌は「このミステリーがすごい」で、わたしは大昔に一度だけ買ったことがあるが、ふだんは読まない雑誌である。ちょっと見せてもらったら、目についたのが大好きなエドマンド・クリスピンの名前だった。「列車に御用心」という短編集で、今年の3月に出ているのを知らなかった。すぐにメモしたが気になって、ちょっと外出してくると断ってジュンク堂へ行った。本はすぐに見つかったので買ってもどって「これ買うてきた」とみんなに見せた。ミーハー丸出し(笑)。

みんな好きなものを飲み食いし、好きなことを気に入った相手としゃべりというゆるい会だったので、会合が苦手なわたしも4時間楽しめてよかった。

読書ざんまいな日々

青空文庫で読んでいる「源氏物語」は「藤袴」までいった。玉鬘(たまかずら)に【尚侍(ないしのかみ)になって御所へお勤めするようにと、源氏はもとより実父の内大臣のほうからも勧めてくることで玉鬘は煩悶をしていた。】というところからはじまる。ストーリーはマンガでわかっているが、文章で読むと美女と男たちの関わりがよりおもしろい。

夕霧が玉鬘に藤袴の花を渡すところが好き。
藤袴が花屋にあるのを見て喜んだのは10年も前かな。父親が入っている施設に行くときに花屋の前を通っていてよく見かけた。そのころから花屋が秋の七草ふうな花を仕入れることが多くなったようだ。わたしが山や野で藤袴を見ることはもうないだろうが、「源氏物語」では永遠に咲いている。

本のほうは「ダロウェイ夫人」を読み終えて、前から持っていてまだ読んでなかった岩波書店〈ペンギン評伝双書〉のナイジェル・ニコルソン「ヴァージニア・ウルフ」を読み出した。著者は「ある結婚の肖像 ヴィタ・サックヴィル=ウエストの告白」を書いたひとで、ヴィタの次男である。
ヴィタとヴァージニアは恋人同士だったが、幼い息子だったナイジェルはただヴァージニアに可愛がってもらっていた。ヴァージニアとヴィタそれぞれの美しい写真に見とれている。

昨日、突然に漱石の「草枕」を出してきて読んだ。
最後に戦争に赴く従兄弟の久一の列車を送る那美さんの言葉に戦慄した。
「死んで御出で」
またこういう時代がやってくるのか。

中原淳一とともに

ツイッターで雑誌「ユリイカ」11月号は「少女イラストレーションと中原淳一」特集なのを知った。知ったらすぐに読みたい。
実は今年の夏に阪急百貨店の画廊での中原淳一展に行った。帰りにカフェでコーヒーを飲みながら、そろそろ淳一から卒業する時期かなと思った。帰ってからたまっている絵はがきを処分しようかなと思うところまでいったのだが、広げたら惜しくなってまた片付けた。実はひまわり柄の淳一ハンカチをバッグにひそませている。持っているだけで使いません(笑)。

そんなわけで今日堂島のジュンク堂へ買いに行って、ここに「ユリイカ」がある。まだ絵を見ただけで中身は読んでない。楽しくて役に立つ記事があるかな。
いまぱっと開いたところが「中原淳一パリ交友録」、中原淳一が高英男といっしょにパリに行った話が出ていて懐かしい。お二人のパリ通信を「ひまわり」と「それいゆ」で楽しく読んでいたっけ。
あっ、目次を見たら嶽本野ばらさんが書いてはる。「ゆとり世代の中原淳一」ってどんなこを書いているのかな。これアップして読もう。
(青土社 1238円+税)

読書の秋だ!!

スティーヴン・ダルドリー監督の映画「めぐりあう時間たち」を久しぶりに見たら、原作を読んでないのに気がついた。
さっそくマイケル・カニンガム「THE HOURS―めぐりあう時間たち 三人のダロウェイ夫人」をアマゾンに注文したが、安い中古本があって助かった。
今日はジュンク堂でヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」も読まなくちゃと文庫本を探したのだが見つからず、帰ってからまたアマゾンに注文した。来週(もう今週ね)のお楽しみである。読んだと思い込んでいたが映画を見て読んだつもりになっていたのだ。ヴァネッサ・レッドグレイヴのダロウェイ夫人がよかった(1998)。

久しぶりのジュンク堂なのでぶらぶら本棚を見ていたが、サラ・パレツキーの「ナイト・ストーム」を友だちにあげたのを思い出して買った。ついでに、ずいぶん前に評判だったフィリップ・J・デイヴィス「ケンブリッジの哲学する猫」が目についたので買った。買うつもりだった本(数カ月前に発行された北欧もの)のタイトルを忘れてしまい持ち越しに。

今日は夏のはじめに買ったフェルディナント・フォン・シーラッハ「コリーニ事件」(東京創元社)を持って歩いてた。一度読んで感銘を受けたんだけど感想を書いてなかった。暑くてアタマがまわらなかったのだ。
シャーロック・ホームズでギネスとご馳走を食べながら読み出したら二度目なのに引きずられて2時間読み続け。帰ってからも読み続けて読了。