頭の中の過去を発掘

おとといは花田清輝のことを思い出しつつ60年代のことを書いた。頭の中の過去を発掘しているといろいろと出てくるものだ。
以前から古い友人たちと話し合いをしていたのだが、このたび、相方がジャズ喫茶・ロック喫茶 MANTOHIHI(マントヒヒ)]のサイトを立ち上げた。わたしは「MANTOHIHI の思い出 」という項目に「人生の夏休み マントヒヒの日々」という原稿を書いた。
そしてまた発掘! 写真箱を探したらマントヒヒで撮った写真が出てきたので「MANTOHIHI 写真集 」に入れてもらった。40年前のわたしが見られます。

もういっこ。さっき、次の「関西翻訳ミステリー読書会」の課題本ジェイムズ・エルロイの「ブラック・ダリア」を探しておこうと、押し入れに積み重ねてあるダンボール箱を発掘したらあった! 続いて友人に貸してあげると約束していたロバート・クレイスが4冊出てきた。そしてまた再読したかったジョゼフ・ハンセンのゲイの私立探偵ブランドステッターが主人公のシリーズが8冊出てきた。わーお!

花田清輝「復興期の精神」のころ

今日ツイッターでフォローし合っているかたが「花田清輝」のbotをリツィートしてくださった。すぐにフォローしてツィートを読むと、これが花田清輝の話し方だったよなとうなづける言葉があった。
きっかけはなんだったのか覚えていないが、60年代はずっと花田清輝のファンだった。「復興期の精神」はバイブルのようなもので、西欧へのあこがれをかき立ててくれた。何度も何度も読んで記憶していたくらいだから、文章の最初がわかれば、いまでも続きを暗唱できるかもしれない。

わたしは孤独な文学少女だったが、和文タイプの教室で知り合った人の彼氏のTがやっている同人雑誌の仲間に入れてもらった。そのT氏や中心になっていた労演事務局の人などと知り合って、タイプ印刷の冊子に原稿を載せてもらった。そういうときに知った花田清輝だった。
あるとき文芸講演会があり5人ほどの講演者の中に花田清輝と野間宏が入っていると聞いた。わりと広い会場だったがどこだったんだろう。
花田清輝はかっこ良かった。ハンカチをポケットから出して両手で持ち替えつつ話していた。内容は忘れたがハンカチを持っていたことだけは覚えている。「だれかくみこにあのハンカチをもらってきてやれや」とからかわれたが、それを言ったK氏が亡くなったと人づてに聞いた。そのときいたWさんとT氏が亡くなったのを最近ネットで知った。

60年代も後半になると「アヴァンギャルド芸術」「近代の超克」「もう一つの修羅」を読んだがそれほどの熱狂はなく、「復興期の精神」で花田さんがふれている作家や、もっと新しい作家の作品を読むようになっていった。
花田さんはその後はけっこう有名になったみたいで、父親が読んでいた文芸雑誌に「ヴィクター・マチュアに似ている」と写真付きで出ていた。たしかに似ていた。ヴィクター・マチュアが「サムソンとデリラ」に出ていたころの話だ。
そうそう、ミステリを書くと言われていたように覚えているが結局書いてないのかな。チェスタートンのことを書いていたのを思い出した。

わたしは運がよくて、探さなくても文学仲間に恵まれたし、山に登ってみようと思う前に登山青年が目の前に現れた。音楽もしかりでいろんな分野のかたと知り合いになっていまにいたる。パソコンとネットでは相方にお世話になっているがこれも運命のなせるわざ(笑)。

なんか最近はツイッターで昔読んだ本や昔見た映画を思い出させてもらうことが多い。思い出したことはぼちぼちと書いていこう。

日本で最初の女子デモは大阪 井上理津子『さいごの色街 飛田』から

デモの帰りに寄ったジュンク堂難波店で気になっていた、井上理津子「さいごの色街 飛田」が見つかったので買った。帰りの電車で読み出したのだが、すごくとっつきやすい。帰ってから着替えもそこそこに読んでいて、ご飯が終わったらすぐに読んでいた。井上さんは大阪在住の女性ライターである。

全部読み終わったらきちんと感想を書くことにして、今日は〈日本で最初の女子デモは大阪〉という記載があったことについて。
「原発いらん!女子デモ!? だれデモ!@大阪」の帰りに買った本で、日本で最初の女子デモが大阪であったことを知るとは!

大阪には江戸時代から続く南地五花街があった。その後にも新設されたところもあり、芸者が中心の「甲部」と娼妓が中心の「乙部」に分けられていた。飛田新地は「乙部」として、近代大阪における、松島遊郭に次ぐ二つ目の遊郭新設になった。
飛田遊郭設置反対同盟会が綴った反対意見の冊子にはレベルの高い女性の人権に立脚した反対意見が見られるそうだ。
1916年10月21日には、矯風会(日本キリスト教婦人矯風会)によって日本最初の女性だけのデモが行われた。
【矢島楫子、林歌子を先頭に、二列縦隊で、百数十人の和服姿の女性が静かに祈りながら、川向こうの江之子島(現西区)の大阪府庁まで歩いたのだ。反対署名と「請願書」を大久保知事に届けようとしたのだが、大阪府庁は大騒ぎとなり、知事は居留守を使った。】
(井上理津子著 筑摩書房 2000円+税)

ウォルター・アイザックソン「スティーブ・ジョブズ」( II )

読み終わってから一週間経った。( I )を読み終わったとき〈マックとわたし〉のことを興奮して一息で書いた。それから( II )を読み出してずっとジョブズ漬けの日々を送っていた。すごい影響を受けてたのをいまさらながら感じている。
内容については書評が山ほどあるはずだ。わたしは一つも読んでないけど新聞などにもう出ていることでしょう。だからわたしの感想は〈マックとわたし〉でよかった。

さて、( II )なんだけど、同時代を生きてきた人の伝記ってはじめて読んだのだが、なんかこういろんなことを考えさせられるものだ。そしてその人がもういないのはいたましいが、本書を読むとジョブズはやりたかったことを全部やり終えて亡くなったと思うので、お疲れさまでしたと見送る心境になっている。

わたしはイヤホンで音楽を聴くのが苦手でiPodに触ったことがなかった。でも若者でいっぱいのアップルストアの賑わいがうれしかった。若いカップルが買ったばかりのiPodを手にしながらMacBookを見て、今度はこれやなと言っているのを見てうれしかった。
iTunesで買い物をしようとまずアップルストアでカードを一枚買って、一曲買いしたのはU2だった。
iPhone3Gを買ってからはイヤホンつけて台所仕事したりしてたが、どうも合わずにやめてしまった。音楽に関してはライブが好き。
あっ、また自分のことを書いている。

さっきも読み返していたのだが、ウォルター・アイザックソンってすごい書き手だ。ジョブズのいやみなところ、抑えの利かないところ、けんかっ早いところ、なんかをしっかり書いてあるけど嫌みにならない。家族と後継者たちへの配慮もある。

ジョブズが日本びいきなのは知っていたが、何度も京都へ来ていて俵屋旅館が定宿だったり、菜食なのに穴子のお寿司が大好きだったのも知った。
2冊ともにジョブズが選んだ写真が載っていて楽しい。パートナーのローリーンさんと笑っている後ろに、著者が〈裕福なホビットの家かという感じ〉と書いていた家が写っていてなるほどだ。
(井口耕二訳 講談社 1900円+税)

ウォルター・アイザックソン「スティーブ・ジョブズ」( I )を読み終えて

本書ウォルター・アイザックソン「スティーブ・ジョブズ」( I )は、ジョブズの生まれたときから結婚式を挙げたところまでなので、あとが早く読みたい。
すごく圧倒されてこの数日は口を開けばジョブズのことをしゃべっていた。しゃべるにつれ妹のモナさんや娘のリサさんが身近になったみたい。作家のモナさんが仕事にかまけておしゃれをしないので、ジョブズはうるさく言うが、結局自分でモナさんに合うイッセイ・ミヤケの服をどばっと送る。そんな話で喜ぶミーハー読者(笑)。
パートナーのローリーンさんが現れてがぜん読むのが楽しくなった。こうして出会ったんだ、こうして結婚したんだとはじめて知って喜んでいる。
結婚してから住んでいる家のことを、著者が裕福なホビットの家かという感じと書いているのに笑った。写真を見てたらほんまにそんな感じの家だ。

続きは11月2日発売とあるからあと2日で手に入る。それまでに用事を片付けて読みかけの本は読み終えておかねば。
(井口耕二訳 講談社 1900円+税)

ウォルター・アイザックソン「スティーブ・ジョブズ」( I ) マックとわたし

ここ数日本書を手にしてジョブズ漬けになっていた。同時代に生きていたなんてことでなく、わたしはジョブズのおかげでこの生きにくい日本で生きてこられた。24年前の1987年11月13日にマックプラスを買ってから。
そのころ、わたしたちは新町1丁目で写植・版下・デザインの仕事をしていた。1985年の阪神タイガース優勝の年の6月に、相方が胃潰瘍で1カ月入院という事態になって、結局2カ月間休業することになった。その後は仕事をセーブして(セーブできるなんて職種ではないのでひたすら断って、結局仕事をなくした笑)、公園を散歩したりしていたが、うつぼ公園で猫たちを見てから毎朝5時半に猫に朝ご飯を運ぶようになった。マックと出合ったのはそんなときだった。

パソコンなるものを一度見に行こうとある日曜日に日本橋へ行った。電気店ではたくさんのウィンドウズ機が並んでいた。灰色の山の向こうの隅っこに輝いて見えたのがマックプラスで、わたしは一目惚れ。これにしようと相方にせがんだ。そのときは帰ってカタログなどを調べお金が足りるか調べて(持っていたもんだ!)、画材店いづみやから買った。営業マンがマックペイントで絵を描いているのを固唾をのんで見ていたのをいまも思い出す。

世の中はどんどん変わっていって、その後、わたしたちも手仕事の世界からマックで仕事をするようになった。人よりもさきにマックを使っていたので転換はわりとスムーズにいった。その転換するまでの時期1991年(マックを買ってからまる4年目)にヴィク・ファン・クラブ(VFC)をはじめた。その前年、1990年に2代目のSE/30を買っている。SE/30でVFCの会報をつくったのがDTP第1号となった。ほんとうの意味のデスクトップパブリッシングだと誇ったものだ。あまり理解してくれた人はいなかったけど。
それからはマックを何台買ったかしらね。ほとんどはデスクトップだが1994年にノート(PowerBook 520)が発売されたときに1台買った。それをを持ち歩いて知り合いの〈できそうな女性〉から嫉妬をかった。男性の嫉妬はかたちを変えて現れ意地悪された(笑)。

仕事のやりかたがどんどん変わっていった。仕事が簡略にできるようになると価格が下がり、事務所の維持が難しくなった。阪神大震災(1995年)のあとの不況で事務所を閉めて自宅営業にした。
日本語のサイトをつくってほしいとサラ・パレツキーさんから要望があったので、サイトを作らないかと早川書房の編集者から話があったのは1998年のことだった。ホームページ作りはかねてから考えていたことなので、喜んで返事をして出来上がったのがVFCサイトである。
その間にマックを何台も買ったが、すでに産業機械に変わってたんだよね。それがジョブズがアップルを追い出されスカリー会長に変わっていたのと同じ時期になる。ほんまにあのころはわたしたちも暗かった。DTP仕事で日々食べることに必死だった。
その中で相方がVFCサイトをつくり、ホームページ作りを仕事にできるように勉強した。

ジョブズがアップル社にもどり、1998年にiMacが華々しく発表されたけどうちはお金がなくて買えなかった。兄が買うというので日本橋のソフマップまでわたしがついていき、一式揃えて買うのを手伝ったことがある。それからは、毎日兄から電話がかかって操作方法を教えていた。兄はワードで能楽のプログラムを作るのに四苦八苦したが、コピペから教えるのだから大変だった。

マックのマの字も知らなかった友だちがiMacを買うたびに嫉妬で苦しんだ(笑)。わたしはイチゴ色を買うと決めていたが先立つものがなかった。
結局2002年に、iMac G4 (Flat Panel) を買った。いわゆる大福マックを1年おいて2台。その次には相方はインテルiMacを使っており、わたしはMac miniを買っていまは2台目を使っている。

iPhoneはわたしは3Gを売り出し時に買ったままいまも使っており、相方はiPhone4、iPad2は売り出し時に買った。
本の感想を書くつもりが24年間の自分の歴史になってしまった。一息に書いたよ。ああしんど。

ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ』を読みはじめた

いまもう一つの画面でアップル本社で開催されたジョブ氏追悼式典の動画を見ながら書いている。
今日はウォルター・アイザックソン「スティーブ・ジョブズ」( I )の発売日。そのうち買おうかなんて昨夜は話していたのだが、どうせ買うなら発売日だなと、晩ご飯後に相方が買いに行った。あるかどうか心配したけど入手できてよかった。
すぐに読みはじめていま9章、1/3くらいまできた。おもしろくてやめられない。はじめて知ったことが多いが、すでに知っていたこともあるからどんどん読み進めていく。
追悼式典のほうはノラ・ジョーンズの弾き語りが終わってゴアさんのスピーチ中。ときどきジョブズさんの大きな写真にカメラが向かう。本の表紙と同じように晩年のと若き日のもの。

わたしとジョブズさんの共通項があってわろた。
【僕はお金の心配をしたことがない。・・・仕事をはじめたあとも生活はかなり質素だった。つまり僕は、貧乏という、お金の心配をする必要がないという意味ですてきな生活から、信じられないほどの金持ちという、これまたお金の心配をする必要のない生活へと移ったわけだ。・・・】このあとに急にお金持ちになった人の例えがあって、人生をお金につぶされないようにしようと思ったとある。わたしは後者のほうは死ぬまであるはずがないが、貧乏という、お金の心配をする必要がないという意味ですてきな生活を送っていると言える自信がある。
(井口耕二訳 講談社 1900円+税)

みずひきぐさ

思いがけず姉の庭に水引草が咲いていた。くちなしの木の根元に2本とほととぎすの鉢に同居して1本。近所を散歩していて鉢に植えたのを見かけることがあるが今年はまだ見ていなかった。
こどものときに母親の実家の近所の竹やぶの横に流れる小川のほとりに咲いていて、その寂しそうな感じに自分を重ね合わせていた。いや、ほんま、あたしって寂しい文学幼女だったの(笑)。
のちに立原道造の詩「のちのおもひに」でみずひき熱はいっそう高まった。

 立原道造 のちのおもひに
  夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
  水引草に風が立ち
  草ひばりのうたひやまない
  しづまりかへつた午さがりの林道を

「関西翻訳ミステリー読書会」に参加

大阪駅前のビルの一室で行われた、第三回関西翻訳ミステリー読書会に誘われて参加した。課題書は前にも書いたとおりドン・ウィンズロウ「ストリート・キッズ」。月曜日にアマゾンから届いたのを昨日までにフルスピードで読み終わり、昨日はここに一応感想を書いた。

夕方、会場へ行くと受付があって、会費を払いお茶のペッドボトルをもらって奥の部屋へ。数人の方が座っておられた。翻訳家・作家・評論家の木村二郎さんがおられたので10数年ぶりの挨拶をした。お元気そうでよかった。
ぐるっとテーブルを並べて円に座るようになっている。時間どおりに始まり、一通り自己紹介を終えてから、課題書について好きなところなどを話す。わたしは付け焼き刃のフアンなので、これといって話すことがなく聞くばかりだった。もうちょっと早く本を手に入れて、内容を自分のものにしておかないといけません。

二次会は桜橋のアウトバック・ステーキハウスへ。「ストリート・キッズ」の舞台がニューヨークということでアメリカ風ハンバーガーが食べたいと選んだ店だそうだ。運ばれてきたのはベーコン・チキン・バーガー、リブ・オンザバービー、フライドオニオン、フライ盛り合わせとサイトを見ながら確認しているが、まだあったかも。とても食べきれないでもったいなかった。いまもお腹いっぱい。店内にはU2の曲が鳴り響いていたがライブだったのかな。異文化に接してびっくりだった。

いろいろと雑談できて楽しかった。翻訳家の越前敏弥さんが二次会に来られていて、わたしが「夜の真義を」の「真義」を「信義」と間違ってブログに書いていたのを、ツイッターとブログで謝ったのだけど顔を見て言えてよかった。
細美遙子さん、ニキリンコさんともお話できてよかった。

「鬼平・剣客・梅安の舞台」(江戸古地図でみる池波正太郎の世界)

ずっと池波正太郎が好きだ。最初に好きになったのは「鬼平犯科帳」で、連載中の「オール読み物」を待ってて買ったものだ。亡くなられてからは文庫本で揃えていた。最後のほうは単行本で持っていたが、阪神大震災のあとに本を処分したときに処分本の中に入れた。いまは読みたいときに図書館で読んでいる。佐藤隆介さんの「池波正太郎・鬼平料理帳」は座右の本というか季節ごとに献立の参考にしている。章のはじめの引用文で鬼平さんを偲べる。
最初はあまり好きでなかった「剣客商売」を10年ほど前に再読してから夢中になり、文庫本を揃えていていまもときどき読む。「仕掛人・藤枝梅安」はかなり前に読んだがあんまり好きでない。そのうちに爆発的に好きになるかもしれないので楽しみ。

関東在住のYさんにとても素敵な地図を送っていただいた。「鬼平・剣客・梅安の舞台」(江戸古地図でみる池波正太郎の世界)である。「東京都台東区立中央図書館内 池波正太郎記念文庫」発行の大きな古地図。三つの作品の中に出てくる場所(三人の住居、道や橋、神社仏閣のほかに作品中の道場とか料理屋とか蕎麦屋)が入っている。番号入りの索引もついていて便利だ。これを開いたら時間がすぐに経つので気をつけなくては。

いつか池波正太郎記念文庫と弥生美術館にいきたひ。