木下恵介監督『大曽根家の朝』

1946年、木下恵介監督の5作目の映画で戦後第1作。
資産家で自由な家風の大曽根家は父が亡くなったあと母の房子(杉村春子)と3人の息子と娘1人が暮らしている。
クリスマスの夜、一家と娘悠子の恋人も交えてのパーティが盛り上がっているところへ、警察がきて長男が治安維持法違反容疑で逮捕される。
悠子の恋人にも召集令状が来ていた。これから出征するのでと別れの手紙を渡す。
房子の義理の弟一誠は陸軍大佐で、房子を中心とした自由な家風が気に入らず、なにかと横から口を出す。
次男の画家は招集され、三男は一誠の口にまどわされて志願する。
悠子は挺身隊に徴収されるところを一誠はコネで楽な仕事にまわしてやって恩着せがましい。
隣組の作業など生真面目に出る房子は過労で倒れてしまう。次男と三男は戦死。
戦争が終わって、闇物資を運び込む一誠と口論になって悠子は家を出て行く。ついに房子は一誠に家を出て行くように強く言う。
そこへ悠子の婚約者が復員して訪ねてくる。
長男が刑務所からもどり新しい時代を築いていこうというところで終わり。

杉村春子熱演、三浦光子可憐、小沢栄太郎巧演、キネマ旬報ベスト1

YouTubeで見たのだが、監督作品の表を見てタイトルは知っているけど作品を見ていないので我ながらおどろいた。やっぱりYouTubeで見た「女の園」しか見ていない。タイトル名と内容は知っているのでぼつぼつ見ていこう。

木下恵介監督『不死鳥』

昨日に続いて木下恵介監督作品を見た。8作目で製作は1947年。1945年だけは1作もなく、その前後は半年に1本という早さだ。
昨日の「大曽根家の朝」に比べて「不死鳥」は完成度が高くて見応えがあった。

小夜子(田中絹代)は、戦地で亡くなった夫の真一(佐田啓二)との間に生まれた息子を育てつつ、夫の生家で両親や弟や妹とも折り合いがよく自分の居場所を確立している。
学生時代に出会った二人は内密の交際を続けてきた。真一は小夜子を父親に紹介するが許されない。
招集された真一が出発するまで二人は片時も離れないで過ごす。出征シーンや千人針を街頭で頼むシーンもあり、緊迫した雰囲気の中で恋人たちは自分たちの時間を持つ。
小夜子は弟と軽井沢に疎開して学校の先生をしながら農作業にも励む。
真一は1週間の休暇が決まった。小夜子のところへ真一の父親がやってきて息子とは結婚させないというが、結局小夜子の純情にほだされて帰国中に結婚ということになった。
そして真一は戦死し、小夜子は思い出を胸に秘め、子どもを胸に抱いて生きている。次男が結婚して家を継ぎ息子がもう少し大きくなったら、ミシンができるからどこかで店を持ちたいと将来も見据えている。

田中絹代は女学生から恋する女へ、そして子持ちの戦争未亡人の役を自然に演じていてすばらしい。佐田啓二はこれがデビュー作だそうですごく初々しい。

井上靖『夢見る沼』

先日(14日)の日記に書いたんだけど、姉の家でテレビを見ていたら古い刑事ドラマで中村玉緒がデキる女性刑事をやっていた。事件にからむ元刑事がいて知った顔だなと思ったら名古屋章なのだった。年取って太っているけど特徴がある顔だからぱっとわかった。彼が出ている好きなドラマをまだ覚えていて、検索した結果、NHKで1957年に放映された「夢見る沼」とわかった。
活動や登山や交友で忙しくしていたから、落ち着いてテレビを見ている暇もなかったが「夢見る沼」は毎回見ていた。恋愛ドラマとして抜群によかったと思う。名古屋章は二枚目でないところがよかった。女優のほうはだれか忘れたが感じの良い人で、信州のシーンや大阪と京都の間にある淀川べりのラブシーンがよかった。いまも覚えているところがすごい。

原作者の名前も思い出してアマゾン中古本で注文。井上靖「夢見る沼」(講談社文庫)が昨日届いたのですぐに読み出し、ざっと今日読み終わった。ドラマとまったく同じ展開だった。原作に忠実なドラマだったのね。
井上靖の本は家にあった母と姉の婦人雑誌でかなり読んでいると思う。後のノーベル賞候補になったころの作品より、昔の恋愛小説のほうがなんぼおもろいかというのが我が家の女性陣の意見なのであった。

主人公の伊津子は開業医の一人娘で家業と家事を手伝いつつ、わりと自由に暮らしている。学友だった節子の頼みで一方的な婚約解消を告げに信州の八代の家に行く。写真家の八代と話しているうちに伊津子はだんだん彼に惹かれていく。一方、節子は解消した婚約をまた元にもどして八代と結婚しよう思う。

屈託があるから家事に励むのだが、そのころはまだ洗濯機がなかったようで、たらいで洗濯するシーンがあった。京都の叔母のところに行くと晩御飯のサラダが冷たくて冷蔵庫に入れたあったのねと思うところもあって、まだ電気冷蔵庫が一部にしか普及してなかった時代とわかった。
(昭和30年1月号〜12月号まで「婦人倶楽部」に連載)

雑誌が好き

ここ10数年は広告などで見て買いにいったほかは雑誌売り場を見ることもなかったが、最近スーパーの雑誌売り場がきれいになったのでときどき見る。そして先日、「装苑」(特集:ワンピース至上主義)をなかなかええやんと思い買って帰って楽しんだ。おとといは「an・an」(特集:人生を変える本)を見て買おうかなと思ったがなんとなく買わずに帰った。「an・an」を買う習慣が途絶えたままだったからと、女性誌を続けて2冊買うなんてとブレーキがかかって。
昨日考え直してコンビニに買いに行った。特集が本だからだろうが昔の「an・an」を思い出した。本の選び方がうまい。新しく出た本はほとんど読んでないが誘っている本があって楽しめた。(独り言=翻訳ミステリがないやん)

ただ、どちらも本文の文字が細かくて読むのにナンギしている。老眼鏡の上に虫眼鏡が必要なところもあって、読むことを拒否されているとは思わないがほろ苦い気落ちが湧き上がるのは事実だ(笑)。
まあ、テキトーに文字を読んで、あとは写真を見て楽しみますわ。

フランソワーズ・サガン『私自身のための優しい回想』

ディアーヌ・キュリスの映画「サガン ー悲しみよ こんにちはー」を見たらあまりにもよかったので、キュリス監督の20年前の映画「ア・マン・イン・ラブ」を見直したり、サガンの作品でいちばん好きな「一年ののち」を読み返したりした。

次に本書「私自身のための優しい回想」を買って読んだのだが、サガン大好きが復活して、ここ数日はサガンに明け暮れる日々である。
この本を読んだのははじめてでおもしろかった。さまざまな著名人(ビリー・ホリデイ、テネシー・ウィリアムズ、オーソン・ウェルズ、ルドルフ・ヌレエフ、サルトル)と会いに行って話したりつきあったした印象を書いた文章のほかに、賭博、スピード、芝居、サントロペ、愛読書の項目がある。

著名人が著名人に会いに行って気が合い話が合って、これ以上のことはない記録なのでおもしろくないはずがない。
わたしはヌレエフ本人が踊る舞台は見たことがないが、映画になったのは何度も見た。(記録映画みたいに舞台を写した映画を厚生年金会館ホールなどで興奮して見た思い出があるし、レーザーディスクもいろいろ買っていた。)そのヌレエフにアムステルダムまで会いに行って3日間稽古を見て話す。ヌレエフの孤独やこどもっぽさがサガンらしい筆で書いてあっていい感じだ。

以上のインタビューや回想もよかったけど、わたしがいちばん興味ふかく読んだのは「賭博」と「スピード」だ。両方ともわたしとはいちばん遠いところにある。でも、おもしろかった。賭博とスピードに入れあげたサガンがああいう小説や芝居を書いたのだ。
(朝吹三吉訳 新潮社 1986年)

ディアーヌ・キュリス監督『ア・マン・イン・ラブ』

ひどい画面ではあったが「ア・マン・イン・ラブ」(1987)を見ることができた。最初見たときから13年経っているが、やっぱりすごい映画だった。ディアーヌ・キュリス監督のそれから21年経っての「サガン ー悲しみよ こんにちはー」と両方見ることができてよかった。両方ともよかったので満足感いっぱい。

以前見たときに書いてなかったので忘れていたが、グレタ・スカッキ演じるパヴェーゼの恋人役ジェーンがパヴェーゼを演じるピーター・コヨーテと別れて、母が亡くなった実家で恋の経験を書き出す。実らないとわかっているからよけいに激しく燃えた恋。結末を知っているのに心配しながら見ていたから、書くことで乗り越えていく彼女にほっとした。

いい映画だったなあ。ハリウッド俳優がパヴェーゼになりきって神経を張り詰めていて、恋人役女優に惹かれていくところがなんともいえずよかった。その妻の元ハリウッド女優が突然やってきて嫉妬に燃えるところもすごくよかった。

監督・脚本:ディアーヌ・キュリス『サガン ー悲しみよ こんにちはー』

昨日ネットでこの映画があるのを相方が見つけて今日レンタル屋で借りてきてくれた。2008年のフランス映画である。わたしはサガンを描いた映画があることを知らなかった。もうちょっとアンテナを張らなくては・・・

見た後で監督・脚本のディアーヌ・キュリスの名前は知っている、なにか書いているはずと古い日記を探したら出てきた。イタリア、トリノ出身の作家チェザーレ・パヴェーゼを描いた「ア・マン・イン・ラブ」(1987)の製作・原案・監督・脚本の人だった。この映画はなにもかも大好きで二度見たように思うが記憶にしか残ってない。もう一度見たい映画10本に入る。

「ア・マン・イン・ラブ」から21年目の映画「サガン ー悲しみよ こんにちはー」には、それだけの落ち着きがあるなあと感じ入った。前作ではなにもかも詰め込んでいる感じだったが、今回は描かねばならぬことをしっかりと描いていると思った。

フランソワーズ・サガンはわたしにとっては同時代を生き抜いた人である。「悲しみよこんにちは」では、少し嫉妬気味で読まなかったが、「一年ののち」でとりこになった。主人公のジョゼはお金持ち階級の人で、わたしは無産者階級の人だが、感じがそっくりと友人に言われた。それから10数年は左手にエンゲルス、右手にサガンを持って歩んでいた(笑)。

とにかく破格のお金を稼いでおそろしい無駄遣いをする人で、結婚(2回)や出産も経験している。なのに恋する女性の感情を描いてこんなに鋭く繊細な人はいない。どの作品も何度も読んで主人公の言葉を真似したりしているうちに男性をはぐらかす術に長けるようになった(笑)。

映画のサガン(シルヴィー・テステュー)は実際のサガンがやっていると思うくらいに似ていて、年を取ってくるにつれ見ているのがつらくなった。同時代を駆け抜けて先に逝ってしまったという気持ちがあるから。

幸福を感じて生きていく

今日こそは書くことがなくて晩ご飯を食べているときからブログネタなんかないかなと考えていた。出かけたのは近所のスーパーへ石けん洗剤を買いに行っただけだし、ご飯は昼も夜も相方がつくった。洗濯はたくさんしたけど。

昨日に続いてA・S・バイアット「抱擁」を読んでいる。なんか最近は幸せを感じるのは読書しているときだけみたい。いや、そうじゃなくて、読書して楽しんでいるのが幸福だと思うことの幸福(笑)。

そしていつもの手、古い日記を紐どいてなにかネタは落っこちてないかと探すと、おととしの5月に「モジーズcafe in Osaka」に参加した話があった。モジモジさんこと下地准教授を囲んでのお茶の会の3回目である。
モジモジさんは話の最後に「幸福を感じて生きていこう。幸福は快楽とは違う。暴力をふるって快楽を得ても幸福ではない。」とおっしゃった。モジモジさんのその時の表情を思い出して幸福な気分に再びひたった。
わたしはそのあと続けてこう書いている。「わたしには今日はとても幸福な土曜日だった。」今日もね。

A・S・バイアット『抱擁』

1週間前に映画「抱擁」を見た。何度も見ている大好きな映画だ。
映画を見終わったら原作の本を読みたくなって、アマゾンの中古本で注文したら〈1〉〈2〉が別々の本屋さんから同時に届いた。喜んですぐに読み出した。すでに図書館で2回借りて読んでいるが、自分の本となったら格別に楽しく読める。
最初は〈1〉から読み始めたが、大好きな最後のシーンが読みたくなって〈2〉を開いた。いまはそのシーンを読んでしまったので〈2〉の最初から読みはじめている。そしたら最後の登場人物たちの中でわからなかった人や関係が理解できて、すごく実になる読書になった。また〈1〉から読まなくっちゃ。

ビクトリア時代の高名な詩人アッシュには妻がいて、女性詩人ラモットは愛する女性画家と暮らしていた。二人は燃え上がった恋をヨークシャーへの旅の4週間で終わらせ、世間に知られることなく別々に死んでいった。いま二人の間に交わされた手紙が現代の主人公モードとローランドと二人に関わる学者たちの手にある。

恋愛小説なんだけど、手紙をめぐる謎と墓を暴いても遺品を手に入れようとするワル学者の執念とそれを阻止するグループ活動はミステリを読んでるのと同じわくわくするものがある。
(栗原行雄 訳 新潮文庫 I II ともに895円+税)

関西翻訳ミステリ読書会 エラリー・クイーン『災厄の町』

久しぶりの読書会、西梅田へ出るならジュンク堂へ寄ろうと思っていたが段取りがうまくできず、行けなかった。シャーロック・ホームズで晩ご飯としてタイカレーを食べてコーヒーとチョコレートでデザート、女主人としゃべっていたらちょうど開催時間になった。場所はとなりの駅前第二ビルである。

翻訳者の越前敏弥さんも来られて大盛況。熱心なファンの発言で活気のある会だった。
最初に全員の自己紹介。さきにメールで提出している自己紹介をまとめてプリントしたものが配られているので、それに補足しながらしゃべる。女性16人、男性4人だったかな。
わたしは昔読んだときに理解できなかった作品中の場所がわかってうれしいということを述べた。災厄の町ライツヴィルの場所がニューイングランドにあること、都会と田舎が接する場所であること。言葉足らずでうまく説明できず、だれもわからなかったと思うが。まあ、こどものときに理解できなかったことが大人になってわかっていま幸せな気分になっているということ。

最後まで間が空かずに話が続けられた。みんなよく読み込んでおられる。間が空いたらなにか言おうと思っているうちに終わってしまった。わたしはそのまま帰ったが、二次会があってほとんどの方が行かれたようだ。
(越前敏弥訳 ハヤカワ文庫 1200円+税)