クリストファー・ノーラン製作、ザック・スナイダー監督『マン・オブ・スティール』

昨夜もお金に糸目をつけない超大作を見て圧倒されたが、今夜も上映当時話題になったスーパーマンを描いた映画「マン・オブ・スティール」を見てしまった。2013年の製作で日本でも8月に公開されている。やることがいっぱいあるのに二人揃って大作映画を見たい病気にかかってしまった。

「スーパーマン」は昔から自然に知っていたが、アメリカの小説を読んだら出てくるからかな。マンガを知ったのはいつのことだろう。マンガの映画を見た記憶はない。映画の「スーパーマン」はテレビ放映で見たことがある。もしかして連続テレビドラマを見たのだろうか。なにかあるとクラーク・ケントが公衆電話でSの字がついた制服に着替えて空へ飛ぶのだった。

「マン・オブ・スティール」は重厚な作品に仕上がっていた。
父親(ラッセル・クロウ)が滅びゆく惑星クラプトンから、生まれたばかりのわが子を宇宙船に乗せて地球へと送り出す。ラッセル・クロウが重厚な演技を見せる。
農地で赤ん坊を乗せた宇宙船を発見したカンザスの農民(ケヴィン・コスナー)と妻(ダイアン・レイン)は息子として大切に育ててくれ、クラーク・ケント=スーパーマン(ヘンリー・カヴィル)は成長する。父は息子の能力を知って、他人には能力を隠して暮らすようにしつける。そのために息子が助けに行けば助けられるシーンだったのに、自分が走って命を落とす。カンザスだから竜巻だ。
新聞記者のロイス・レイン(エイミー・アダムス)がよかった。いままでのスーパーマンのときと立場は同じでも、いまの時代のロイスだ。
スーパーマン(ヘンリー・カヴィル)はオトコマエで好み。イギリス人だって。

P・D・ジェイムズ『不自然な死体』(続き ストロンチウム90)

9月20日にこの作品について書いたんだけど書き忘れがあったのに気がついた。
ダルグリッシュ警視は10日間の休暇を過ごすためにサフォーク海岸にある叔母の家に滞在していた。その近くに住む推理作家シートンの死体がボートで流れてきて、否応なくダルグリッシュは事件に関わることになる。
現地のレックレス警部が担当している事件だが殺された作家のロンドンでの動きを調べようとダルグリッシュはロンドンへ行くことにする。警察に電話して出かけると言うと警部との間に【両者いずれも声に出る皮肉な調子を隠そうとしない。たがいに抱く反感がパチパチ音を立てて電話線を走った。】
ダルグリッシュの担当する事件なら全責任を背負い部下は手足として動く。そういう作品も楽しいが、ときどき出かけた先で出合った事件では現地の担当警官の反発を買うことが多い。
ロンドンへ出たダルグリッシュは〈骸クラブ〉で出版社のマックスとうまい食事をして、殺された推理作家シートンの遺言状のことなど話して得るものがあった。

その後ソーホーを突っ切って〈コルテスクラブ〉に向かう。そこは得体の知れぬ独自の生活を営む無国籍の村である。ダルグリッシュは旧知の経営者、死とのぎりぎりの瀬戸際まで行った男と会い話を引き出す。
その席でホットミルクを沸かして飲もうとする男がいた。
【「ソリーは冠状動脈血栓で死んだ。牛乳は何の役にも立たなかったね。むしろ逆で、悪いんじゃないかな。いずれにしろ、そいつには放射能が含まれている。ストロンチウム90がいっぱいさ、そいつは危険だよ、シド」 シドはあわてて流しへ行くと、牛乳を捨てた。】
ここのところだ。この本が発表された1967年頃のわたしは、ストロンチウム90なんて言葉を知らなかった。
イギリスでは1957年にウィンズケール(現在はセラフィールドと改名)原子炉火災事故があった。知っていたような記憶はあるのだが他人事だった。
いま検索しまくり。
(青木久恵訳 ハヤカワ文庫 520円+税)

ローランド・エメリッヒ監督・脚本・製作総指揮『2012』

予備知識なしで見はじめたらすごい大掛かりな映画でびっくりした。「2012」(2009)はマヤ文明の予言による世界の終焉を映画化した作品だった。ローランド・エメリッヒという名前は知っていた。フィルモグラフィを読んでいたらけっこうテレビで見ているのに気がついた。
※テレビを捨ててからテレビ放映に縁がなくなったし映画情報はメルマガとツイッターになってしまった。

おもしろい映画なんだけど、これでもかこれでもかとクライマックスがあって疲れた。最後の予想はつくけど、それまでにまだあるのかと驚かせてくれて、またそれにのってほいほいと見てしまった。上映時間158分。

大作に向いてないように思えるジョン・キューザックが主役。わたしは「すてきな片想い」(1984)で彼を好きになった。汚いTシャツの上によれよれのレインコートをひっかけた姿がよくて真似したくらい。30年も前のことだけど(笑)。「グリフターズ/詐欺師たち」もよかった。主な出演作品の表を見たらテレビでが多いがたくさん見ている。どれも〈好いたらしい男〉である。
「2012」でも家族を愛する売れないSF作家でリムジンの運転手をしいている。妻と娘と息子とともに災厄に立ち向かう。勇気あるいい人の役を自然にやっててやっぱりステキ。

P・D・ジェイムズ『わが職業は死』

「わが職業は死」は1977年の作品。
明け方電話のベルで目を覚ました法医学者ケリソンは死体発見の現場へ呼び出される。彼の娘と息子の話が長い。そして勤務先のホガッツ司法科学研究所の所員夫婦の話も長い。ハワース所長と所長の座を争ったロリマーのいやらしいところが語られる。なんか暗くてじめっとしていらっとなる出だしだ。

そして第二部、受付係のブレンダがロリマーの死体を見つける。
ロンドンではダルグリッシュ警視長が司法科学局局長フリーボンの病室で、これから現地へヘリで10分と話している。殺されたロリマーのこと、ハワースがなぜ所長になれたかということを聞く。
【ダルグリッシュはフリーボンに会うために費やした十分間を無駄とは思わなかった。老博士は自分の職業人生のすべてを捧げた司法科学局は世界最高であると、単純な忠誠心から信じている。フリーボンはその土台作りに力を尽くしてきた。おそらく彼は正しいのだろう。ダルグリッシュは知りたいと思ったことをつかんだ。】

マシンガム警部とともに研究所に到着すると、地元の警察ではそろそろ停年とその息子のような年齢の若者との二人の部長刑事をつけてくれた。
狭い社会ではあるがさまざまな人間がおりそれぞれの人生があり、事情聴取や聞き込みは困難を極める。
ダルグリッシュは運転中にマシンガムに言う。
【初めて組んだジョージ・グリーノル部長刑事が教えてくれたことを思い出していたところだ。捜査部勤務二十五年という古兵で、こと人間に関するかぎり驚いたりショックを受けることは何ひとつなかった。その彼がこう言っていた——
“憎しみこそこの世でもっとも破壊的な力だと人は言うだろう、だが、そんなことを信じてはいかん。一番破壊的なのは愛さ。いい刑事になりたかったら、愛を見分けるすべを会得することだ”】

長い物語でダルグリッシュは困難を越えて真犯人を見つけるのだけれど、それができたのは先輩たちからの言葉をあたまに叩き込んでいたからだと最後にわかった。
(青木久恵訳 ハヤカワ文庫 980円+税)

楽しく生活 明日も元気

おとといは姉に1時間アンマして疲れたが、昨日はマッサージチェアを貸してもらって1時間ゆったり。今日はつるかめ整体院へ行って超ゆったりした。これで長風呂したら言うことなし。早く用事を片付けて風呂に入ろう。
なんて書いておりますが、今日はいいことあった。

いまごろ着るシャツをバーゲンで買おうと相方と梅田のL・L・ビーンへ行くことにした。帰りにギネスを飲もう。バスに乗ったら座れて夕暮れを見ながらるんるん。
L・L・ビーンの売り場を見ていたら、いまごろ着る服のバーゲンはとうに終っているみたいで、これから冬にかけての新作が多い。本格的に寒くなる前に着る薄手のコートがあるかなと見ていたら、なんと黒のカジュアルでシンプルな中綿入りのコートがあった! これどうしても欲しい! わたしが飛びつくような服は滅多にないから見たときに買わねば。

そんなに高い買い物(わたしには高価という意味)をするつもりがなかったので、財布には札が2枚、相方のと合わせて買える額ではあるが、ギネス代は残るか、ええと税金もいる・・・なんとかいけるやろと買ってしまった。

シャーロック・ホームズに行って、メニューを見ながら暗算して注文。
若いときみたいなことをして楽しかった。

もうちょっと食べたいねと帰ってから、もらったハムがあったのでキュウリとサンドイッチを作って食べ、温かいものが欲しいねとにゅうめんを一椀食べた。
いやー満足。明日も元気。

デレク・ジャーマンの庭『Derek Jarman’s Garden』

P・D・ジェイムズの「策謀と欲望」(1989)を読んでいる。
ダルグリッシュ警視長は休暇でノーフォーク海岸の村を訪れている。2カ月前に亡くなった叔母のジェインが多額の遺産とノーフォーク北東海岸にある風車小屋を改造した家屋をダルグリッシュに遺した。「不自然な死体」のときはサフォークのモンクスミア岬に住んでいた叔母はこの村に引っ越して死ぬまで住んでいた。
この村には海辺に原子力発電所がある。もちろんジェイムズは作品の前の「著者メモ」で、ノーフォーク北東海岸の架空の岬であると断っている。

それで思い出したのがデレク・ジャーマン(1942−1994)の「Derek Jarman’s Garden」だ。デレク・ジャーマンの庭の向こうのほうに原子力発電所が聳えている写真があったのを覚えていた。久しぶりに本棚から出した。荒れ地に作った庭の写真にまたショックを受けて、ぼんやりとページをめくっている。

イギリスの原子力発電所分布図を調べてみたら、ダンジェネスはイングランドの南東の角に近い場所にあった。
デレク・ジャーマンがここダンジェネスに移り住んできたのはチェルノブイリ事故のあった1986年だそうだ。

P・D・ジェイムズ『黒い塔』

「黒い塔」(1975)は「女には向かない職業」(1972 コーデリア・グレイシリーズの1作目)の次の作品。
アダム・ダルグリッシュ警視は重病と診断されて入院していたが、病理テストの結果がよくて退院できることになった。退院したらしばらく休むつもりだが、その間に老師からの依頼に応えようと思う。バドリイ神父は30年前にダルグリッシュの父親がいる教会へ副牧師としてやってきた人だ。手紙には、あなたのご職業がら力になっていただきたいことがあるとあった。古風な地図が添えてあり男根崇拝のような黒い塔のマークがある。ダルグリッシュは数日静養してから行くつもりだ。
もう一つはコーデリア・グレイに会うか手紙を書くかしてお礼を言わねばならない。彼女からの見舞いの花束がとても気に入ったから。コーデリア自身が選んだ小さな花が念入りに組み合わされたもの。彼女は食べていけるだけ稼いでいるのかふと考えた。その花束の花を彼ははっきりと覚えている。お礼は後ほどしよう。

ダルグリッシュは11日後にアパートから自分の車でロンドンの南西に向かって道中をゆっくりと楽しみながら進んだ。
バドリイ神父の住まいに到着したが人の気配がない。誰も彼のノックに応じない。部屋に入るとドアの後ろに僧服が吊るしてあった。大机の上に印刷物があるのに気がつく。牧師が11日前に死亡し、5日前に埋葬されたと記してある。
台所にはダルグリッシュのために買ってきた食料品が置いてあった。

部屋を見終わったころに女性がやってきたので話をすると、神父は〈トイントン・グレンジ〉に遺産を残したという。
そこは障害者施設でいまの経営者ウィルフレッドの祖父が遺したもの。ウィルフレッッド自身が多発性硬化症を発病し3カ月で車椅子の厄介になることになった。それがルールドに巡礼したら治った。彼は神にこの療養所と全財産を障碍者たちに捧げると誓った。ということで〈トイントン・グレンジ〉にはいま5人の患者がいる。元外交官のジュリアスは別にコテッジを持って贅沢に暮らしている。
ダルグリッシュは療養所内で患者の事故死や自殺が続けて起こっていることに疑問を持つ。
(小泉喜美子訳 ハヤカワ文庫 680円+税)

ケヴィン・レイノルズ監督・リドリー・スコット製作『トリスタンとイゾルデ あの日に誓う物語』

久しぶりに映画を見ようということになったが、秋だしSF映画や暴力ものはやめよう、軽くない恋愛映画はないかなと探した。リドリー・スコット製作で「トリスタンとイゾルデ」があったはず。そのうち見ようと言っててまだ見てなかった。

「トリスタンとイゾルデ」の物語は有名だし本もいろいろ出ている。わたしの持っているのはローズマリー・サトクリフの「トリスタンとイズー」(1971年 井辻朱美訳 沖積舎 )。何度も読んで大切にしている。
こういう古典という感じの映画だと思って見たら大間違いで、活劇シーンが多くて恋愛映画と言い切れないのが残念だ。
そして媚薬が出てこないのもちょっとがっかりだった。傷口に薬は塗ってあげてたけど。媚薬がなくても、二人は宿命的な恋に落ちたからそれでいいのか。

トリスタンをやってるジェームズ・フランコがすごく端正な美男子でよかったし、ソフィア・マイルズのイゾルデも気品があった。

P・D・ジェイムズ『不自然な死体』

P・D・ジェイムズのダルグリッシュ シリーズの未読本はあと3冊(「黒い塔」「わが職業は死」「策謀と欲望 上下」)になった。3冊ともアマゾン中古本のおかげで安く買え、いまここにある、ふっふっふ。
最初は「秘密」を貸していただいて、その後は図書館の棚にあるのを読んだので後半は全部読んでいる。気になりつつもそのままだったのを、もうひとつのコーデリア・グレイ シリーズを久しぶりに読んだら、2冊ともにダルグリッシュの名前が出てきた。再び燃え上がったダルグリッシュ熱(笑)。

「不自然な死体」(1967)
10月半ばの昼下がり、両手のない死体を乗せたボードがサフォークの海岸をさまよっている。横たわっているのはぱりっとした服装の中年男性である。ボートは不気味な積み荷を陸へ陸へとゆっくり運んでいく。
同じ日の午後、ダルグリッシュ警視は10日間の休暇を過ごすためにサフォークのモンクスミア岬へ行くところだった。直前にこどもが殺された事件があり、その両親に対して、慰め役、懺悔聴聞僧、復讐者、裁判官の一人四役を務めねばならなかった。つきあっているデボラ(「女の顔を覆え」で出会った)はこんな時期のプロポーズを期待していないだろうと思う。ダルグリッシュは犯人逮捕の数日前に2冊目の詩集を出したが、それを完成する時間とエネルギーがあったのだが。

岬にはたったひとりの肉親であるジェイン叔母がいる。ジェインは母を早く失い牧師だった父を手伝っていたが、その息抜きに鳥の研究をして論文を発表し注目を集めるようになった。いまや指折りのアマチュア鳥類学者である。5年前に住んでいた家を売って岬の突端の石造りの家を買った。ダルグリッシュは年に2回はここを訪れる。
叔母は人の助けがいらない女性だ。デボラとうまがあうだろうか。デボラは都会の生活にぴったりの女性だ。とにかくこの休みの間に態度を決めねばならない。
ゆったりと叔母と向き合っているところへ近所に住む作家たちがやってきた。
彼らは推理作家のシートンが行方不明だという。一同がなんやかやとしゃべっているところへ、この地域の犯罪捜査部の警部と部長刑事が来てシートンの死体が乗ったボートが着いたという。あの人はボートに乗るのが嫌いだという意見が出ると、彼はボートを操っているわけでなくボートの中で死体になって転がっていると警部。

今回の事件はダルグリッシュ警視の担当ではなく、レックレス警部が担当する事件だが、複雑な犯罪の中にやむなくダルグリッシュも引き込まれていく。
(青木久恵訳 ハヤカワ文庫 520円+税)

道ばたの曼珠沙華

曼珠沙華、またはヒガンバナ[ヒガンバナ科ヒガンバナ属]の季節になった。毎年うちの近所の会社の前の植え込みで咲くのを見せてもらっている。散歩していると家の前の植木鉢に咲かせているお宅があって楽しい。
姉の庭にも白い曼珠沙華が5本ほど咲いていると電話があった。あんたが来るまでもたないやろなと言っている。でもまあ近所しか出歩かない姉に季節からの良い贈り物だと思う。その次は萩、そのあとは金木犀と続くから退屈せえへんやろ。ミズヒキも塀のあたりから出てくるし、ホトトギスもたくさん咲きそうだし。

昨日、つるかめ整体院へ行く途中の街路樹の植え込みでヒガンバナを見かけた。たった2本だが色が濃いからよく目立つ。立ち止まってしげしげ見た。どこから来たんだろう。去年は咲いていたのだろうか。あんまり通らない道だからわからない。よく通り出したのはつるかめさんに行き出してからだから。来週行くときは終っているだろうから、明日でもまた通ってみよう。