楽しく生活 明日も元気

おとといは姉に1時間アンマして疲れたが、昨日はマッサージチェアを貸してもらって1時間ゆったり。今日はつるかめ整体院へ行って超ゆったりした。これで長風呂したら言うことなし。早く用事を片付けて風呂に入ろう。
なんて書いておりますが、今日はいいことあった。

いまごろ着るシャツをバーゲンで買おうと相方と梅田のL・L・ビーンへ行くことにした。帰りにギネスを飲もう。バスに乗ったら座れて夕暮れを見ながらるんるん。
L・L・ビーンの売り場を見ていたら、いまごろ着る服のバーゲンはとうに終っているみたいで、これから冬にかけての新作が多い。本格的に寒くなる前に着る薄手のコートがあるかなと見ていたら、なんと黒のカジュアルでシンプルな中綿入りのコートがあった! これどうしても欲しい! わたしが飛びつくような服は滅多にないから見たときに買わねば。

そんなに高い買い物(わたしには高価という意味)をするつもりがなかったので、財布には札が2枚、相方のと合わせて買える額ではあるが、ギネス代は残るか、ええと税金もいる・・・なんとかいけるやろと買ってしまった。

シャーロック・ホームズに行って、メニューを見ながら暗算して注文。
若いときみたいなことをして楽しかった。

もうちょっと食べたいねと帰ってから、もらったハムがあったのでキュウリとサンドイッチを作って食べ、温かいものが欲しいねとにゅうめんを一椀食べた。
いやー満足。明日も元気。

道ばたの曼珠沙華

曼珠沙華、またはヒガンバナ[ヒガンバナ科ヒガンバナ属]の季節になった。毎年うちの近所の会社の前の植え込みで咲くのを見せてもらっている。散歩していると家の前の植木鉢に咲かせているお宅があって楽しい。
姉の庭にも白い曼珠沙華が5本ほど咲いていると電話があった。あんたが来るまでもたないやろなと言っている。でもまあ近所しか出歩かない姉に季節からの良い贈り物だと思う。その次は萩、そのあとは金木犀と続くから退屈せえへんやろ。ミズヒキも塀のあたりから出てくるし、ホトトギスもたくさん咲きそうだし。

昨日、つるかめ整体院へ行く途中の街路樹の植え込みでヒガンバナを見かけた。たった2本だが色が濃いからよく目立つ。立ち止まってしげしげ見た。どこから来たんだろう。去年は咲いていたのだろうか。あんまり通らない道だからわからない。よく通り出したのはつるかめさんに行き出してからだから。来週行くときは終っているだろうから、明日でもまた通ってみよう。

誕生日、堀江を経てアメ村あちこち

午後シュリットで今日は誕生日やねんと話がはじまった。「晩ご飯でも食べに行こうかと言うてるねん」「どこへ行くの?」「アブサンはどうかな」「アブサンええやん。ご飯食べた後に、チョコレートケーキにロウソク立ててもろたらええねん。あそこのケーキはうまいで」という具合に話が進んだ。「ろうそくの本数が多すぎて立てられへんし、立っても消されへんで〜」と口が悪いけど真実(笑)。

夕方早めに家を出て歩いて堀江を通りアメ村、開店そうそうのアブサンへ。ビール、サラダ、ハム盛り合わせ、ピクルス、ひよこ豆のコロッケのピタパンサンド、そしてガトーショコラとコーヒー。とってもうまかった。もちろん、ろうそくはなし(笑)。

次にすぐ近くにあるコンピューファンクは木曜日はバー営業しているはず。店主とお客さんとしゃべって1時間ほど。それからミナミに向かってバー カリフラワーに歩いて行った。若い人たちと出会えてよかった。
カリフラワーはアメリカ村スクエア 大阪センタービル 地下1階にある。
同じビルの地上1階にあるのがいつも混んでて大繁盛の大阪の味 味穂(あじほ)。ここで、ドテ焼き、タコ焼き、焼きそば、そしてビール。
お腹いっぱいで帰ってきた。いい誕生日だった。さあ、また明日からがんばろ。

手づくり石けんと布バッグとくつろぎの堀江

手づくり石けんチロルのちろちゃんと堀江のベースで待ち合わせてお茶した。ちろちゃん石けんの使い心地がよいから、自分用の他に友だちにも分ける。
ベースの琴美さんとちろちゃんは初対面だったが、間に知り合いや友だちが多くいて、すぐに和気あいあい。暑い時間だったのでイチゴの酵母ジュースやったかな、前飲んだあれで話が通じて作ってもらってすっきり。

同じ並びの数軒先にブティックジョローナがある。なんか最近は2店行くと効率が良い(笑)とか言ってよく行っている。行くと欲しい物があるお店なのである。わたしのようなはぐれ者がほしがる物があるお店は数少ない。チャルカがあったころは、お茶してゆっくり東欧雑貨を見て紙ものを買ったものだった。最近雑貨を買ってないとふと寂しく思ったりしたが、ジョローナができてにっこり。この2カ月で買ったものはスカーフ、バッグ、チロルの石けん。さすがに服はあかんけど。
今日はちろちゃんと二人で行って店に入ったときにちらっと「これっ!」と目を付けた僧侶バッグ(布小物のhoop製品)を買った。和風の紺色(裏はクリームっぽい黄色)でお坊さんが托鉢するときにかけている袋のカタチをしている。肩掛け部分が広くて肩にのりやすい。しょっちゅうトートバッグやら布バッグを買っているけれど、わたしの小さな肩におさまるのは難しい。今回は肩にかけて、袋が大きいから小物のほかに買い物も入れられる。姉のところに行くときに便利に使えそう。

お店を出てちろちゃんを見送りベースにもどって熱いコーヒー。ケーキは夜食べることにしてお持ち帰りにしてもらった。なんだかだと女どうしの話は楽しい。
石けんの包みを下げて、あとの物は僧侶バッグに入れて肩にかけて帰った。

猫のシマちゃんが死んだ

昨夜姉に定期便の電話をしたら、いまにも泣き出しそうな声で「シマが死んでしもた」と言った。昨日の午後、姪の親子が来ていてしゃべっている間に隣室の座敷机の下で冷たくなっていたって。いつもの獣医さんに来てもらって処置していただいた。花を買いに行く時間がなく先日わたしが持って行ったトルコキキョウの白い花をつけてやったそうだ。

2年ほど前に庭にやってきた野良猫がこの家を終の住処に決めた。グレーと白の縞なのでシマちゃんといつの間にか名前がついた。姉の猫はもう1匹アカトラのチャーがいるが、いとも鷹揚にシマを受け入れて2匹は仲が良かった。
2匹とも野良猫出身だから年齢がわからない。2匹ともいいトシだと獣医さんが言っているけど、顔が可愛いので老猫とは思えない。でも最近は体調が悪くて医者にかかることが多くなった。
うちの猫の花子は去勢手術以外は医師の厄介にならなかったので、姉の猫を見ると過保護だなあと思う。でも、うちはマンション猫だから怪我をすることもなかった。元野良猫はデートや会議に行ったり喧嘩したり大忙しである。夜になると2匹ともどことも知れず出て行って深夜に帰宅する。姉はその顔を見ないと眠れない。

そんな暮らしが続いてきたが、ここでちょっと変わるかな。まあ先輩の1匹はいるのだからそんなに変わらないか。この1カ月くらいは口内炎やら食べ過ぎやらで部屋を汚されるわ、臭いわで大変だったのはなくなった。

昨夜の姉の頼りなげな電話で心配になって今日ばたばたと姉のところへ行ってきた。白とピンクのトルコキキョウをたくさん買って行って、死んでいた場所の机の上に生けてやった。シマちゃんも天国で見てるでしょう。

布の袋の心地よさ

布袋が大好きと何度も書いてきた。引き出しいくつかにいっぱい布袋があるし、服の棚にも布袋が押し込んである。整理しようと思うのだがそれぞれに愛着があって捨てがたい。もったいなくて持たないのもある。色の好みだけで買った大き過ぎるトートバッグもある。
で、もう、そろそろそのようなものは買うのをやめて、皮のきちんとしたのを一つ買おうかなと、時間があるとバッグ売り場を見て歩いていた。もうそれで打ち止めにするくらいのバッグが欲しい。そしたら夏物のカゴとか編んだやつとかは買わない。

ところが、今日ちょっと堀江に出たので寄った〈インポート古着&レディースセレクトショップ「ジョローナ」〉で新しい出合い。とってもステキな布バッグ♪ 肩に掛けたらすごく可愛い。小さく見えるがほとんど円形なのでたくさん入る。縫製がしっかりしてる。
今日持っていた古い編みバッグから中身を出してバッグのほうは即捨てた。新しいバッグに必需品がしっかりとおさまった。散歩したいな。

あ、割れてる

さっき晩ご飯の食器を洗おうと流し台の前に立ったら、古いスープ皿がぽかんと割れていた。勤続疲労ですね。70年ごろに5枚買ったもので、わりと早めに3枚割って、2枚になってからは永久にあるんとちゃうかと思うほど使っていた。あーあ、あと1枚になってしもた。
大阪駅内にあった専門店街の瀬戸物屋で買って、きれいに包んでくれたのを大事そうに持って歩いていたら男友だちに偶然出会った。
「ケーキ、買うたん?」「ちゃうちゃう、お皿、カワイイのがあってん」という会話を交わしたのを彼の顔まで覚えている。その後、彼がうちに来たときにその皿でカレーを食べさせてあげたっけ。その彼、いまどうしているかしら。

うちにずっとある食器でこの皿より古い物はあるかなと考えたら、小鉢がいくつかやっぱりその店で買っていた。
その後は、食器を買いに行ったことはなくて、たまたま見かけて気に入ったから買ったものばかり。揃ったのはなくて2個を基本に買って、1個割っていまは1個というのが多い。スープ皿5枚なんて豪勢な買い物をしたもんだが、まだそのころは食器は揃っているものという考えがあったのかな。でも、その他には揃ったものなんて買ってないし。

代わりを急いで買ったりしないであるもので間に合わそう。そのうち、これって物が目に入ったら買おう。

親知らずを抜いた日

1985年6月20日の出来事を16日に書いた。読んだ相方が、そのとき救急車に乗るまでの担架で太陽がぎんぎんに燃えているのを見ていたと思い出話。白昼堂々だから近所の会社の人とかいっぱい見に来てた。
ほんまに昨日のように思えるけど29年前のことだ。
大量の輸血をしたけどC型肝炎にならなくてラッキーだった。
猫の写真を枕元に、そのころ凝っていたセントポーリアの鉢植えをたくさん置いたり、健康体操を見舞いにきた友だちに教えてもらったり、入院生活を楽しんだ。

わたしはこのときと思って前から行くつもりだった歯医者に行って、1本残っていた親知らずを診てもらった。御堂筋沿いのビルにある立派な歯科医院に行ってみたら先生も立派な感じ。午前中に抜いてもらって仕事場に帰り、1階にある食堂に定食を出前してもらって食べた。それから相方の病院へ行ったら、麻酔がまわってきたのかふらふらする。今日は帰って寝るわとそうそうに引き上げた。
翌日、先生に晩ご飯が食べられましたかと尋ねられ、えっ、昼ご飯も食べましたと言ったら豪傑やなと呆れられた。先に言うてくれなわからんやん。

まあ、そんなことがあった年で、秋には阪神タイガースが優勝した。わたしらは梅田へ出て御堂筋を行進して道頓堀で大騒ぎしたっけ。

6月は晴れて7月は大雨だった1985年

阪神タイガースが優勝した年の6月の20日はよく晴れていた。梅雨に入っていたのに雨が降らずに暑かった。前の夜から胃が痛いと言ってよく眠れなかった相方が、その日の納品する仕事をすませてほっとしたら血を吐いて倒れた。
救急車を頼んで病院へ運んだら胃潰瘍で即入院となった。
仕事は休業することにした。
結局は入院1カ月と自宅療養1カ月で、そのあとも無茶働きはやめたので、そのときから金欠病にかかっていまにいたる。

わたしは毎日午前中は仕事場に行って午後から病院に行った。7月に入ったら雨が降り出した。毎日傘をさして長靴を履き病院のある川向こうまで歩いて行った。途中に松島公園がありクチナシの花がたくさん咲いていた。夕食のときはテレビで大相撲をやっていた。千代の富士の時代だった。
夕方は家に帰って猫の花子と阪神タイガースの試合を見ていた。毎日雨なので洗濯物が乾かなくて寝間着にアイロンかけたっけ。

今日、公園を通ったらクチナシが咲きかけていた。それを見て85年を思い出したんだけど、いまから29年前やん。
それからはたいした病気もせずに二人とも生きている。退院してからタバコを止めたのと仕事をセーブしたのがよかったみたい。そしてコンピュータで仕事のやり方が変わったこともよかった。
それから後は何度も書いているけど、一日二食と菜食。

明るい雨

出かけるときはまだ降ってなかった雨が阪急百貨店にいるときに降り出した。なぜわかったかというと、お弁当売り場の店員さんがにこっとして「雨になりましたよ」と言ったから。続けて「この曲がかかると雨なんです」と説明してくれた。なぁるほど。
雨の中をタクシーで姉の家へ。傘を忘れないようにと運転手さんが言って、降ってたら忘れませんなあだって。

お茶の間に座って縁側の向こうの雨景色を見るのは心地よい。やがて雨があがって陽が照り出すのを見るのも心地よい。なんか小津安二郎の映画の中の人間の気分になる。
お弁当を食べて、おやつを食べて、姉のお風呂番(いつかのように風呂から上がれなくなったら大変)をして、わたしもお風呂に入った。昼間の風呂は心地よい。それから肩揉みを1時間。その間ずっと話の相づちをうち、こっちもぎょうさんしゃべり、テレビで「軍師 黒田官兵衛」の再放送を見た。続いて阪神とオリックスの試合を見ていたら、阪神劣勢。わたしが見ているときくらいは勝ってほしいなあ。

晩ご飯は二人ともお疲れにつき、わたしが帰りにお寿司を買って帰った。デザートはシナモンロール。今日のご飯は昼夜ともに炭水化物が多すぎ。明日は修正せねば。