イギリスのミステリ名作をもらった

姪は翻訳物を読まない人なので、いつも母親が遺したミステリ本を持って帰ってほしいと言っている。わたしがまわした本もあるのを知っているからだが、読まない人間にはものすごいでかい本棚に入った本の処理は困るよね。前回は雑誌「宝石」の内容を覚えているのをたくさんもらった。その後、別にしまってあったのが出てきたらしく、ポケミスと文庫本がびっしり並んでいるのにおどろいた。20年くらい前に亡くなったので1990年くらいまでに出たハードボイルドとイギリスの警察ものがいっぱい。ほんまに好きな人が見たら宝の山やでと言いつつ、数冊もらって帰った。

P・D・ジェイムズ「女には向かない職業」(昔読んだまま。いま思い出しつつ読んでいる)「ナイチンゲールの屍衣」(未読)、コリン・デクスター「キドリントンから消えた娘」(読んだけど内容覚えてない)「ウッドストック行最終バス」(ウッドストックをアメリカの音楽祭があったところと間違えて買ってがっかりした思い出あり。1976年)、ルース・レンデル「乙女の悲劇」は初めて読む。
それにしても昔のポケミスの字の小さいことよ。

上記のことをツイッターでつぶやいたら返信があった。ルース・レンデルの「ハート・ストーン」を読みたくなったんだって。こりゃあきません、だって全然知らないんだもん。彼女がいうならきっとステキな本に違いない。検索したらこんなことが・・・「父と妹の三人で古い館に住む少女のお話」「母親が病死した15歳から19歳になる前までを一人称で綴った」なんて書いてある。福武文庫って高いだろうなとアマゾンで見たら、なんと61円なのであった。すぐに注文したから明日くらい届くでしょう。

アンドリュー・クレメンツ『はるかなるアフガニスタン』紹介

アフガニスタン カプールの北の丘にサディードという頭のいい少年が両親と妹と住んでいる。先生が学校にとどいたアメリカ人少女の手紙に返事を出すのが礼儀だと村の長老たちを説得する。そして勉強のできるサディードを推薦するが相手が女の子なので、妹に書かせることになった。2歳年下のアミーラと文案を考え彼が英語に翻訳して返信を出す。

アメリカ イリノイ州の少女アビーは体育館の壁にしつらえてある岩登りが好きで、勉強する気がなく落第さすと教師にいわれる。必死で勉強するからと頼むと勉強以外の課題としてくじびきで外国の子どもとの文通することになった。山のあるところの人がいいとアフガニスタンを選び手紙を書く。

ふたりとも両親に愛されてしっかりと生きている。アフガニスタンもイリノイ州も大地に根ざした場所である。妹の名前だけど実はぼくが書いていたと別の手紙で告白し、ふたりの気持ちがつながる。
しかし、アメリカでは掲示板に貼った手紙のコピーにアフガニスタンの旗の写真をつけたのが、気に入らないという人がおり、アフガニスタンでは切手のアメリカ合衆国国旗が批判される。
アビーにはカプールの丘の石のかけらが、サディードにはイリノイ州の大地の土がほんの少し残された。

とても楽しく、ほろ苦く、一息で読んでしまった。
これで物語は終わってしまうのだが、数年後に少年はアメリカの大学に行き、少女と再会するという後編があったらいいな。
(田中奈津子訳 講談社 文学の扉 1400円+税)

アンドリュー・クレメンツ『はるかなるアフガニスタン』感想

昨日は物語のおもしろさに引っ張られてたったと読んであらすじだけを書いて終わってしまった。
はじめて読んだ作家だけど、アンドリュー・クレメンツは優れた児童文学の書き手のようだ。職業としてきちんと考え抜いた物語を書く。そしていま生きて学んでいる少年少女たちを励ます作品を書くひとだと思った。

細かいことにも気が配られている。アメリカの少女はアメリカという国を現すいろいろなデザインの切手をたくさん貼った手紙を出す。なにげなく少女っぽい。切手を収集するのではなく使うために買う切手愛好者としてうれしくなる。

ふたりともそんなに豊かではないが、愛に恵まれた家庭の子どもで賢く育ち、家事の手伝いをするのが当たり前と思っている。そういう生活がすごく自然に描かれているのも読んでいて楽しい。

少年が小さな丘の石のかけらを送ると、少女はイリノイ州の土を送ってきた。
【この土は、森の中の、今作っている木のとりでの近くで取りました。(中略)だれもさわったことのないものを(中略)地球上に生きてきた人間の中で、この土をさわるのはわたしが初めて。そして、あなたが二番目です。】

2009年の作品で翻訳は2012年2月。
(田中奈津子訳 講談社 文学の扉 1400円+税)

ユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q 檻の中の女』(2)

5年前にさかのぼる。民主党副党首ミレーデ・ルンゴーは美貌と頭脳で記者たちに好かれていた。彼女は首相と彼の賛同者にも決して媚びないチャーミングな女性だった。夜は働かないことで了解を得ているミレーデは仕事が終わると家に車を走らせる。家政婦が食事の用意をしてある家に弟のウフェがテレビを見ながら待っている。障害をもつウフェはミレーデだけを頼りに生きている。21年前の自動車事故で両親が亡くなり、ウフェは内臓出血で5カ月入院した。脳の血管に出血があったためいまも口がきけない。ミレーデだけが助かったのだ。

ミレーデはウフェと週末にベルリンへ行こうと思う。ふたりはフェリーで出発する。
そのフェリーでミレーデは行方不明になった。捜査は難航しミレーデは見つからないままである。ウフェは最初は海へ突き落とした犯人として逮捕されるが釈放されいまは施設にいる。

それから5年、カールとアサドは調査を再開する。
当時の捜査状況をあらゆる角度から検討して一歩ずつ前進していく。
カールは私生活もややこしい。別居している妻がいて義理の息子はカールの家にいる。昇格試験を受けないために警察署内での位置もややこしい。
次作「特捜部Q キジ殺し」を早く読みたい。
(吉田奈保子訳 ハヤカワポケットミステリ 1900円+税)

ユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q 檻の中の女』(1)

久しぶりにミステリにのめりこんだ。ユッシ・エーズラ・オールスンによるデンマークの警察もの「特捜部Q 檻の中の女」がおもしろい。医師の山田真さんが2作目の「特捜部Q キジ殺し」を激賞されていたので、まずは1作目を買ってみた。これ読み上げたら2作目を買いにいく。
あと少しで読み終わるのだが楽しみを引き延ばしておもしろいということだけでも書いておこう。

コペンハーゲン警察のカール・マーク警部補は部下の二人とともに悪臭に気づいた隣人が通報した朽ち果てた小屋に入って行った。死臭立ちこめる中へ入って5分もしないうちに銃撃される。アンカーは死亡しハーディは脊椎損傷専門の病院に入院中である。生き残ったカールは罪悪感から立ち直れないでいる。

カールはヤコブソン課長から新しい部署で働くように言われる。新設の部署〈特捜部Q〉はカールが単独で動き、全国各区の未解決事件を担当する。オフィスは地下におくといわれてカールは思う「不愉快な同僚は隔離房に監禁か」。オフィスが整うと彼は助手を要求する。

地下のオフィスにやってきたのはハーフェズ・エル・アサドと名乗るシリア系の浅黒い肌の男でカールよりも年上のようだ。彼は掃除をしお茶を入れ書類の整理をする。二人はたくさんの未解決ファイルの中から「女性議員失踪事件」を選ぶ。
(吉田奈保子訳 ハヤカワポケットミステリ 1900円+税)

『ハリウッド・バビロン』と『女優フランシス』

雑談していてロボトミーの話になった。あっ、ロボトミーの手術した女優の話あったやんと、取り出したのがケネス・アンガーの「ハリウッド・バビロン」(1978年)。ハリウッドの話題になると引っ張り出していた本だが、ここんとこご無沙汰してた。4月に開かれた関西翻訳ミステリ読書会ではジェイムズ・エルロイの「ブラック・ダリア」が取り上げられて、翻訳本の編集者によるレジュメに本書が紹介されていた。この本を知っていたのはわたしだけだったので、おおいに自慢した。

フランシス・ファーマー(1913年生まれ)は美しい女性だった。1935年にパラマウント社は「新しいガルボ」と飛びついて7年契約を結んだ。しかし金以外はハリウッドのなにもかもが嫌いという言動が取りざたされ、ささいな交通違反からパトロール警官の無礼な態度への暴行で逮捕される。警察でも裁判所でも反抗的な態度をとおし、まわりに群がったカメラマンを「ネズ公!ネズ公!ネズ公!」と罵倒した。
会社に反抗し徹底的に会社命令を拒否、警察の謀略により逮捕されたあげく、精神病院に強制入院させられ、やがてはロボトミー手術をされる。悲しいことに手術以後はおとなしくなったという。

「女優フランシス」(1982)はフランシス・ファーマーの生涯を描いた映画である。フランシスをジェシカ・ラング、唯一の理解者役がサム・シェパード。梅田コマ劇場地下のコマシルバーで見た記憶がある。強烈な映画でもう一度見るのはかなわんなと思ったくらいだ。

レジナルド・ヒル『探偵稼業は運しだい』

レジナルド・ヒルのダルジール警視ものとは別のシリーズで私立探偵ものである。1月にSさんから貸していただいて読んだ「幸運を招く男」が1冊目で、本書は3冊目。表紙を見てコージー・ミステリと間違ったくらい明るい表紙だ。
1冊目はアメリカに例えればデトロイトの感じ。ジョー・シックススミスは工業町ルートンで旋盤工をしていて失業し、これならいけるかと私立探偵事務所を開いた黒人の独身男。冴えないけれど愛嬌がある。お節介な伯母さんと彼女に紹介されたペリルとうまくいきそうだったが。

今回は季節が夏というだけでなく全体にカリフォルニアの雰囲気である。
ひまな午後をジョーが事務所でまどろんでいると依頼人が現れる。〈若き金髪の神〉30歳になるかならず、長身で少年ぽいハンサムで髪は淡い金髪で濃い金色に日焼けしている。金がかかった服装をしているが態度がすがすがしい。
クリスチャン・ポーフィリはウッドパイン警視に紹介されてきたという。相談に行ったら警察の扱う仕事ではないからジョーのところへ行け、彼はこの仕事にぴったりだといったそうだ。「ええと、現在わたしは非常に忙しくて・・・」とジョーがいうと、「もちろん、あなたがひっぱりだこだということは承知している・・・」と4枚の50ポンド札を置いた。そして明日〈ロイヤル・フー〉で待つという。
ルートンにはクラブは多いが、ジョーは〈ロイヤル・フー〉を知らない。フーというのは〈ドクター・フー〉かというくらいに。

こんな出だしでいくからどんどん先を追って読んでしまう。殺されそうになるし、女性にもてもてだし、私立探偵ものの醍醐味をこれでもかと盛り込んで楽しんでいるヒルさんである。
(羽田詩津子訳 PHP文芸文庫 857円+税)

サラ・パレツキー『アンサンブル』(3)

第三部「ボーナス・トラック」には去年(2011年)の11月に刊行されたアンソロジーのために書かれた作品「ポスター・チャイルド」が入っている。ヴィク・シリーズでなじみのフィンチレー警部補が出てくるのがうれしい。

湖畔には霧が立ちこめていてジョギングやサイクリングの連中が前を通っているのに気づかれず、死後1時間も経ってから男の死体が湖畔のベンチで発見された。男は顔面を強打されて眼球がつぶれていた。口からはみ出ているのは中絶反対のチラシを丸めたものだ。
フィンチレー警部補が連絡を受けたときはまだ被害者が有名人であることがわからなかった。それでベテラン刑事ではなく、怠け者のビリングズと新米のリズ・マーチェクの二人組を現場へ行かせる。

被害者は中絶推進派を激しく攻撃しているカルヴァーだった。中絶に反対するアメリカ国内の教会の潤沢な資金を後ろ盾にし、リベラルなクリニックにヘリから爆弾を投下したり、リベラルな考えのクリニックのスタッフの子どもたちをつけまわすなどの活動を続けている。
今回も活動中でドクターがタクシーから降りて船に乗るときに、連れていた子どもに中絶反対のチラシを渡させる。そのチラシをドクターはカルヴァーの顔に投げ返した。ドクターは警察に連れていかれる。

リズは祖父母に育てられたユダヤ系アメリカ人で、7年間パトロールの仕事をしてから刑事試験に合格した。祖父は彼女を〈アナーキスト刑事〉と呼んでいる。
懐かしきフィンチレー警部補はリズが単独行動をとったときに「きみがV・I・ウォーショースキーになったつもりで・・・」と注意する。笑えるシーンだ。リズはそのときヴィクを知らないのだが(もしかして次の長編にリズが出てくるかも)。
アメリカの現在の状況がわかる一編。
(山本やよい訳 ハヤカワ文庫 900円+税)

酒井隆史『通天閣 新・日本資本主義発達史』読書は佳境に入っているが

小野十三郎の詩から始まって彼の子ども時代からの生き方について書いているのがすごいショック。こんなふうに生まれてこんなふうにお金を使った人だったとは。
そして「通天閣」の話が続いて、将棋の「坂田三吉」の生涯と当時の大阪の状況が執拗なまでに書かれている。坂田三吉の新国劇の芝居も映画も見たことがないが、「明日は東京へ・・・なにがなんでも勝たねばならぬ」はわたしの愛唱歌である。生まれ育った貧乏長屋から少しましなところへの引っ越して次の長屋と話は進んでいくが、それは大阪の低所得者層の生活の場の話でもある。
そこから続いて映画作家川島雄三のこと。彼は無頼派の作家では太宰治と坂口安吾がきらいで織田作之助だけを評価していた。織田の原作「わが町」の映画化の話がある。
長くなるので、結論だけ引用する。
【しかし、「故郷はない」とつねに断言し故郷の根を断ち切っていたからこそ、都市と故郷をかさねている者とちがってより見えてくる「都市的なもの」もあるはずだ。そもそも、歴史のなかで「都市的なもの」を形成してきたのは、この「根を断ち切った」者たちの群れではなかったろうか?】
【課題は、織田作を織田作自身から逃がすことであり、大阪を大阪自身から逃がすことであるように。/足はおもうように動かずとも、そう、それは魂の問題なのだ。】

織田作の作品で読んだのは「夫婦善哉」だけだ。映画もそれだけだ。読まねば。川島雄三監督の映画を見たことがない。見ねば。

そして織田作つながりでその背後にある大阪の街のありようが詳しく書いてある。上町台地や夕陽ヶ丘、あのへんのことはあまり知らない。高津神社で桂文太さんの落語をきき、生国魂神社で薪能を見たことが各一度あるだけだ。地下鉄で降りても右も左もわからん。
20年ほど前に谷町九丁目のカナディアンができたころはよく行ったが、あすこは地蔵坂だったかしら。谷六に得意先があったころは空堀商店街を歩いて帰ったものだが、これも10年以上前。
わあっ、大阪に住んでいて新町と堀江と梅田の一部しか知らないとは。今池はよく知っているといっても30年も前のことだし。
最近は肥後橋と土佐堀あたりがわかってきた、って関西電力抗議集会のおかげ(笑)。デモコースで歩く通りもよくわかってきた。

そしてついに、第4章「無政府的新世界」のタイトルで「借家人同盟」からはじまる社会問題の章になる。

今日の感激した言葉をもう一度!
【足はおもうように動かずとも、そう、それは魂の問題なのだ。】
(青土社 3600円+税)

酒井隆史『通天閣 新・日本資本主義発達史』を読み出した

図書館から半月以上借りていて最初の章だけ読んだまま置いてあった。実生活が遊びもネットも含めていそがし過ぎ。25日返却なのでいそいで読まなくちゃ。さいわい読みやすいのでいけそうだが、とにかく厚い本で734ページもある。いま210ページ。

序に小野十三郎の詩「秋冷の空に」が引用されている。そこには通天閣が〈大阪の灯台よ〉とうたわれている。わたしは20代のときに小野十三郎の詩集「大阪」を愛読していた。働いていた西淀川区の地名が出ていて、わたしはその道を詩にそって自転車で海へ向かって走ったことがあった。「姫島や千船ではあらゆる道は海に向かってはしっている」といまはうろ覚えだが、通勤時に神崎川の堤防を歩きながらつぶやいていたこともあった。川が海にそそぐところに立っている夢をいまも見るくらいだ。
小野十三郎というひとをそれきりしか知らなかったが、本書で生い立ちや生き方を知っておどろいた。もっていたイメージと違う。まず大きな勉強をした。

第一章が「ジャンジャン町パサージュ論」で新世界を語っている。わたしは新世界やジャンジャン横町と縁があると自分で思っている。こどものときは浅草育ちの父親があのあたりが好きでよく連れて行ってくれた。難波へ出て日本橋の古本屋をめぐって新世界へと歩いた。70年代には旭町のジャズ喫茶マントヒヒの常連になっていて、夜中に店を出て映画を見たり飲んだりした。
本書では新世界の歴史を細かく語ることで、大阪の資本主義初期のころのうごめきを語っている。いまわたしはスリリングな読書体験をしている。
(青土社 3600円+税)