アン・クリーヴス『野兎を悼む春』(2)

「野兎を悼む春」(1)を書いてから1週間経ってしまった。もちろん読み終えて、もう一度味わいつつ読んだ。ジミー・ペレス警部が穏やかにいろんな人と話しながら核心に迫っていくところがいい。そしてこの巻はペレスの部下サンディ・ウィルソン刑事の成長物語でもある。

サンディの祖母ミマの小農場の敷地内には遺跡があるということで大学生のハティとソフィが発掘作業をしている。ハティは鬱病で入院したこともある繊細な女性で、考古学という自分にあった仕事に生き甲斐を見いだし打ち込んでいる。

ミマに電話で誘われたサンディが小農場へ行くと銃弾に撃たれたミマが倒れていた。捜査の結果、サンディの従兄弟のロナルドが野兎を狙った銃弾がミマに当ったとわかる。ペレスは起訴に相当しないと考えつつ腑に落ちない点があることで迷い調べようと思う。
次にハティの死体が見つかり自殺とされるが、ペレスにはどこかおかしく思われ、地方検察官の捜査許可をとる。

ロナルドの妻アンナはイングランド人だが、この島で伝統工芸品をつくっていこうと考えている。紡いだり、機織りしたり、編んだりしたものをインターネットで売り、滞在式講習会も開きたいと、赤ん坊が生まれて張り切っている。
サンディの母イヴリンは地域評議会の議長とか地元のプロジェクトに熱心に関わっている。でも農場の収入が少ないからやり繰りに追われている。
昔ながらの島でありながら、少しずつ変わっていこうとする島の人たちだが、船を持って漁業に従事している者は恵まれていて、農業者はいまも貧しい。

ペレスは画家のフランと結婚したいと思っているが切り出せないでいる。今回は本人はなかなか出てこずにペレスの心の中にいるのと電話で話すぐらいだ。それも電話を娘のキャシーがとってしゃべり続けたり。それだけペレスと母子の間に親密さがあるということだが。でも最後にはちゃんと島にくる。
(玉木亨訳 創元推理文庫 1300円+税)

アン・クリーヴス『野兎を悼む春』(1)

アン・クリーブスの「野兎を悼む春」を読み出した。その前に読む本があるのに、買ったときにちらっと読んだら離せなくなった。「大鴉の啼く冬」「白夜に惑う夏」に続く〈シェトランド四重奏〉の第三章である。前の2作は図書館で借りて読んだ。今回は翻訳が出るのを待って買ってきた。

最初に出てくるのが老女のミマなんだけど、彼女はすごく小柄で洗濯物を干すのに背伸びしないと洗濯紐に届かない。華奢で軽そうで強風にさらされて海に飛ばされそう。ミマはシェトランド署のサンディ・ウィルソン刑事の祖母である。彼女を訪ねてきたサンディはこともあろうにミマの死体の第一発見者になってしまった。こんなに楽しそうに書かれている女性がすぐに死んでしまうなんて。でも、過去形でも彼女がしきたりなどにとらわれず、したい放題してきたことがわかって楽しい。
そして前回に続きジミー・ペレス警部が登場。彼の恋人フランはいま読んでいるところでは、電話とペレスの心の中にたびたび登場する。

シェトランド諸島の地図を見ながら楽しんでいる。スコットランド北方沖に浮かぶ100以上の島からなるシェトランド諸島は北欧にも近い。スウェーデンのヘニング・マンケルの作品は緊張したまま突っ走り、ヴァランダー刑事は高い血圧と血糖値でよれよれの体で犯人を追いかける。犯罪も高度に発展した資本主義社会から生まれたものだ。本書のほうは資本主義といってもまだ農業や漁業と手仕事の世界である。読むほうも血圧があがる心配は無用。
(玉木亨訳 創元推理文庫 1300円+税)

ヘニング・マンケル『背後の足音 上下』(3)

いま二度目を読んでいる最中である。下巻の途中までいった。最後がわかっているので気持ちがラクだから、ここが好きだなぁというところを何度も読んだりしている。出てくる女性がそれぞれみんな気持ちよい。

今回のヴァランダーは糖尿病を認めたくない50歳を前にした悩める警察官である。もうちょっとで車の事故を起こすはめになったり、いくらでも水を飲みたくなり、トイレが近くなり、疲れて棒のように感じる足で働いている。

くたびれ果ててもうこれ以上運転できないと思う。食べ物と睡眠が必要だ。道路沿いのカフェでオムレツとミネラルウォーターとコーヒーを注文した。注文を受けた女性は「あなたのお年では、ちゃんと夜は眠らなければ」とやさしく言い、そして手鏡を出してヴァランダーの顔を映してくれた。そして厨房の後ろに小部屋があってベッドがあるから使っていいという。車よりも眠れるでしょうとの言葉に甘えて横になり寝すぎてしまうのだが。「眠れるだけ眠らせてあげたかったのよ」とエリカはヴァランダーが起きるまで待っていてくれた。エリカは警官と結婚していたが離婚している。こんないい出会いをしたんだからヴァランダーとつきあったらいいのにね、と勝手に思うのであった。

ヴァランダーは女性に優しい。捜査中にアルコール中毒者の妻と話すが「でも、あたしはあの人がいなくなって寂しいわ」というのに、「わかると思う。親しくなければわからない面を人はだれでももっているものだから」と答える。
【その言葉を聞いて、ルートははうれしそうだ。ほんの少しのやさしい言葉で人を喜ばせることができるのだ、とヴァアンダーは思った。距離をおく態度と理解しようとする態度のちがいはほんの少しなのだ。】

ヴァランダーは大変な捜査の途中で、警察署長リーサ・ホルゲソンと部下のアン=ブリット・フーグルンドの二人の女性が自分の味方だと思う。受付のエッパもそうだ。エッパがヴァランダーに頼まれて家に行くところは、いつまでも帰ってこないので心配した。もうすぐ年金生活に入るというのに。
(柳沢由美子訳 創元推理文庫 上下とも1200円+税)

ヘニング・マンケル「背後の足音 上下」(1)

前作「五番目の女 上下」は去年の8月翻訳出版で、読んだのが10月だったから、今回7月発行は一年も経っていない。今回「背後の足音 上下」はそうそうに買ってきて読み出した。読み出したらやめられなくて先を急いで読み、いま二回目を読んでいるところだ。

プロローグは1996年のミッドサマーイブ(夏至前日)の夕方にに3人(4人のはずが1人病欠)の若者たちが自然保護区でパーティをはじめるところ。その前に不気味な男が彼らを見張る場所を決めている。
若者たちはそれぞれ茂みに隠れてカツラをかぶり衣装を整え、いま生きている時代から抜け出して18世紀の国民的詩人カール・ミハエル・ベルマンの時代の人となった。仮装してベルマンの音楽を流しワインを飲むピクニックがはじまった。笑い声が高まりまた低くなる。夜中を過ぎて3時過ぎ、サイレンサー付きのピストルを持った男は一人ひとりの額を一発で打ち抜いていった。そして計画していたとおり死体を片付けた。

8月になった。クルト・ヴァランダーはもうちょっとで自動車事故で死ぬところだった。居眠り運転をしていたのだ。喉が乾きトイレが近いしひどい疲れ感といまの出来事でおどろき、医院へ行くと血圧と血糖値が高いから糖尿病と言われる。

いままでも署を何度か訪ねてきて娘のことを調べてほしいと言っていた母親がまた来て、絵はがきを見せ、筆跡が娘と違うという。ミッドサマーイブをいっしょに過ごした友人とヨーロッパ旅行していると書いてある。その件で同僚のマーティソンとスヴェードベリと会議をしようとするが、スヴェードベリは欠勤で留守電にも出ない。

夜中に目を覚ましたヴァランダーはなにかを感じてスヴェードベリのアパートへ行く。閉まっているドアをナイフで開けるが、ひとりの行動を避けマーティソンを呼び出す。二人で中に入るとスヴェードベリが死んでおり、ライフル銃が投げ出されていた。つらい長い一日がはじまる。

スヴェードベリの遺品を捜すとミッドサマーイブの若者たちとひとりの女性の写真が見つかった。これで二つの事件が結びつく。なぜスヴェードベリは黙っていたのか。スヴェードベリの身辺を洗い出していくと、いままで知っていた彼と違う人間であることがわかっていく。
(柳沢由美子訳 創元推理文庫 上下とも1200円+税)

ヘニング・マンケル『背後の足音 上下』(2)

ローズマリーとマッツは毎週日曜日に自然の中を散策するのを楽しみにしていた。彼らはその日、ハーゲスタの自然保護区に行くことにしてきちんと計画をたて、車にリュックと雨具を積んで出発した。平地を見つけて朝食を食べローズマリーは敷物の上に横になった。マッツは用を足しに茂みに入るが、そこで見つけたのは三体の遺体だった。
ヴァランダーとマーティソンは額を打ち抜かれ腐乱しかかっている遺体を見て言葉を失う。ヴァランダー「いまはどんな無理なことでも、やらなくちゃならないんだ」。この若者たちを家に連れ帰ることができなかったという思いが彼をさいなむ。

発見されたとき3人の若者たちはパーティをしている状態だった。鑑識課のニーベリは、遺体その他はどこか別のところに保管してあったはずだ、発見者がおととい散策に行っていたら見つけてないという。丹念な捜査で遺体が置いてあった場所がわかる。穴は4体入る大きさだった。

病気でミッドサマーイブに参加できなかったイーサが自殺しようとしたところをヴァランダーは助ける。親にかまわれない孤独な娘にパーティのことなど聞きだすが、イーサは病院を抜け出す。ヴァランダーは彼女を捜してペルンスー島へ渡る。島の郵便配達人ヴェスティンのボートに乗せてもらうが彼と話していると疲れがとれていくような気がする。イーサはこの島にある家におり、二人は長い時間話し合って気持ちよくそれぞれの寝室に引き上げるが、翌朝イーサは黙って家を出ている。島を探すとパジャマ姿で岩陰にもたれて射たれていた。

この本を読む直前にノルウェーで連続テロ事件があった。本書は1997年に書かれている。
マーティソン刑事の言葉。
【でも、時代が変わったんです。われわれの気づかないうちにスウェーデンは変わったんです。暴力は自然なものになったんです。われわれは気づかないうちに見えない一線を越えてしまったんです。若い世代はみんな確固たる地盤を失ってしまった。もはや彼らになにが正しいか、なにが間違いかを教える者がいないんです。】

事件が終わってヴァランダーの思い。
【ヴァランダーの前には、頭がおかしくなって、どこにも居場所が見つけられず、最後には彼自身制御できなかった暴力を爆発された男が座っていた。精神鑑定で判明したことがもっとあった。家族にもネグレストされた子で、なにか問題につきあたったら隠れて避けることしかできなかった。そして笑っている人間に耐えられなかった。】
(柳沢由美子訳 創元推理文庫 上下とも1200円+税)

「関西翻訳ミステリー読書会」に参加

大阪駅前のビルの一室で行われた、第三回関西翻訳ミステリー読書会に誘われて参加した。課題書は前にも書いたとおりドン・ウィンズロウ「ストリート・キッズ」。月曜日にアマゾンから届いたのを昨日までにフルスピードで読み終わり、昨日はここに一応感想を書いた。

夕方、会場へ行くと受付があって、会費を払いお茶のペッドボトルをもらって奥の部屋へ。数人の方が座っておられた。翻訳家・作家・評論家の木村二郎さんがおられたので10数年ぶりの挨拶をした。お元気そうでよかった。
ぐるっとテーブルを並べて円に座るようになっている。時間どおりに始まり、一通り自己紹介を終えてから、課題書について好きなところなどを話す。わたしは付け焼き刃のフアンなので、これといって話すことがなく聞くばかりだった。もうちょっと早く本を手に入れて、内容を自分のものにしておかないといけません。

二次会は桜橋のアウトバック・ステーキハウスへ。「ストリート・キッズ」の舞台がニューヨークということでアメリカ風ハンバーガーが食べたいと選んだ店だそうだ。運ばれてきたのはベーコン・チキン・バーガー、リブ・オンザバービー、フライドオニオン、フライ盛り合わせとサイトを見ながら確認しているが、まだあったかも。とても食べきれないでもったいなかった。いまもお腹いっぱい。店内にはU2の曲が鳴り響いていたがライブだったのかな。異文化に接してびっくりだった。

いろいろと雑談できて楽しかった。翻訳家の越前敏弥さんが二次会に来られていて、わたしが「夜の真義を」の「真義」を「信義」と間違ってブログに書いていたのを、ツイッターとブログで謝ったのだけど顔を見て言えてよかった。
細美遙子さん、ニキリンコさんともお話できてよかった。

ドン・ウィンズロウ『ストリート・キッズ』

おととい「ドン・ウィンズロウ「ストリート・キッズ」読み出したらおもしろくて」を書いた。今日で読み終わったので、明日の読書会の前に感想を書いておこう。

ニール・ケアリー・シリーズ(5作)東江一紀訳 創元推理文庫
「ストリート・キッズ」(1991)「仏陀の鏡への道」(1992)「高く孤独な道を行け」(1993)「ウォータースライドをのぼれ」(1994)「砂漠で溺れるわけにはいかない」(1995)
いつ全部読めるかな。ウィキペディアには「ジャンルはソフトボイルド・タッチの探偵」とあった。そういえば最近あまり聞かないが、昔ソフトボイルドという言葉があったなぁ。わたしはハードボイルドミステリがちがちなんで、最初のほうをちらっと読んで柔らかいと判断しちまったのかも。

物語は私立探偵ニール・ケアリー23歳の大仕事なんだけど、プロローグとしてなぜニールがこういう境遇にいるにいたったかの説明がある。11歳のニールは父を知らず麻薬中毒の母と暮らして、スリやかっぱらいで暮らしている。ある日バーに座っている男の上着のポケットから財布を盗んでつかまる。つかまえた男グレアムはターキーサンドをおごってくれた。そして次のときに機転を利かせたニールを見所ありとして仕込むことにする。

見張りや尾行などの探偵仕事をしっかりと仕込んで助手として使えるようになると、グレアムは自分の雇い主を教える。ある銀行内にある調査機関「朋友会」はずっと以前から顧客の要請に応じて調査と解決を図ってきた。
キタリッジは朋友会の頂点におり、ニールが仕事のできる青年であることを認め、ニールをトリニティ校へ通うようにする。カレッジで英文学を学びだしたニールは厳しい教師にディケンズを読むように勧められる。

いまやコロンビア大学院生になったニールは、大学の試験の前の日に新しい仕事を依頼される、上院議員の失踪した娘アリーの捜査である。大学は休学の手続きをしておくとキタリッジは約束する。
ロンドンでのじっと待つのも仕事の日々、やがて麻薬漬けのアリーを見つける。
ロンドンのパンククラブ、そしてヨークシャーへ。
(東江一紀訳 創元推理文庫 800円+税)

ドン・ウィンズロウ『ストリート・キッズ』読み出したらおもしろくて

先週の土曜日にジュンク堂で買いそこねて、帰ってからアマゾンに注文したドン・ウィンズロウ「ストリート・キッズ」が月曜日の朝に届いた。金曜日に「関西翻訳ミステリー読書会」に誘われて出席するのだが、その日の課題書である。1993年初版でそのあと続けて作品は翻訳されているのだが、なぜか1冊も読んでいなかった。

とにかく当日までに読んでしまおうとしているのだが、最初のほうの印象があまりよくなくて、発刊されたとき手に取って合わないと思ったに違いないと思った。ところが強制的に読んでいくと、100ページを過ぎたあたりからだんだんおもしろくなった。主人公の少年ニールは不幸な環境に育つが、最初にぶつかった大人が彼の能力を伸ばして、自分の助手として使うようになる。ニールは頭が良くて読書好き。ディケンズを読んで、自分のまわりの大人を理解する。ここまでくるとどんどん読み通せそう。

教師に読まされた「オリヴァー・トゥイスト」をニールは2日間徹夜して読んだ。感想文を読んだ教師は「大いなる遺産」、つぎに「ディヴィット・コパフィールド」を渡してくれた。感想を口ごもるニールに「きみの言いたいことはわかる」「それでいいんだよ」。ここだけでも読んでよかったわ。いま評判の「サトリ」に無関心だったが読みたくなった。

ステラ・ダフィ『カレンダー・ガール』

タルト・ノワールの1冊。最初に読んだケイティ・マンガー「女探偵の条件」が2002年の発行で、発行年を入れているのを読むと2002年が多いようだ。つい10年前のことなのに、わたしは全然知らなかった。新潮文庫が女性向き(赤い紐のしおり)に出して、それは何冊くらい出ていつごろまで続いたんだろう。

本書は平成14年、2002年発行だから一連のタルト・ノワールの1冊と言っていいのかしら。だけど他の作品と違うのは探偵がレズビアンであり、犯罪に巻き込まれたのもレズビアンの女性というところだ。

最初のページに出てくるのは「彼女」の描写、スタンダップ・コメディアンのマギーによって「女優のケリー・マクギリスみたいなボディ」と形容されるが、ずっと彼女はその名称で語られる謎の女で、それには意味があった。マギーはケリー・マクギリスみたいな彼女に惹かれ、彼女もマギーに惹かれる。二人の愛の生活がはじまる。

私立探偵サズに仕事を頼みにきた男は、妻がいるが、ひとりの女性とつきあうようになった。話をするだけの間柄で名前も知らないまま、大金を貸したという。サズは話を調べてニューヨークへ飛び、謎の女セプテンバーの存在を突き止める。

サズの生活とマギーとケリー・マクギリスみたいな彼女の生活がかわりばんこに描かれて、結末が結びつく。この本、好みだった。
(柿沼瑛子訳 新潮文庫 590円+税)

ガルシア=アギレーラ『5万ドルの赤ちゃん』

4月にメールをくださったTさんがわたしが知らない女性探偵の本とお勧め本を貸してくださった。
女性探偵ものは、C・ガルシア=アギレーラ「5万ドルの赤ちゃん」、ステラ・ダフィ「カレンダー・ガール」、キャロル・リーア・ベンジャミン「バセンジーは哀しみの犬」、 ジェニー・サイラー「ハード・アイス」、カレン・キエフスキー「キャット・ウォーク」 の5冊。

C・ガルシア=アギレーラ「5万ドルの赤ちゃん」から読み出した。
1996年に書かれ、日本語の翻訳が出たのは1997年で女性探偵もの全盛時代だ。女性探偵がたくさんいすぎて気がつかなかったのか、ハヤカワ文庫と創元推理文庫でなかったからか。
マイアミの女性探偵ループ・ソラーノは28歳で探偵事務所をもっている。探偵になりたいと目標を決めてから、大学をちゃんと卒業し探偵事務所で修行してお嬢様らしからぬ準備をし、いまは父親に出資してもらったお金の返済を済ませている。

彼女の一家はマイアミに住んでいるキューバ系アメリカ人である。キューバ革命のときに一家はアメリカに亡命した。父親の願いはただ一つカストロの死である。わたしはいまごろになって本書で10数年前のマイアミに住むキューバ人のことを知ったわけだ。たくさんの反カストロ派のことや亡命した人たちがいることは知っていたが、本書で現実を生きている人の姿が具体的に見えた。

ソラーノ事務所ではいとこのレオナルドを助手に雇っているが、彼の気持ちは体を鍛えることに向いていて、自分の部屋にいろんな器具を持ち込んで肉体美の維持に励んでいる。
ある日、富裕な夫婦がやってきて自分たちの子どもの親を捜してほしいと頼む。子どもがいない夫婦がお金で養子を得たのだが、その子が病気で実の母親の骨髄を移植しないと死んでしまうという。子どもの母親を捜し出すまでのループの活躍が描かれている。
お酒と男が好き。結婚で縛られないで自由につきあっている男といい関係を保っている。
(加藤洋子訳 新潮文庫 590円+税)