ピーター・カッタネオ監督『ポビーとディンガン』

「フル・モンティ」、「ラッキー・ブレイク」と2本だけ見ているピーター・カッタネオ監督の2005年の作品。オーストラリアでオパールの原石の採掘をしている一家の物語である。
昔ながらの採掘場で一山当てたらお金になると頑張っている父親と、スーパーで働いている母親と息子アシュモルと娘ケリーアンの仲のよい家族だ。ケリーアンには架空の友だちポビーとディンガンがいて、いつもいっしょである。学校に行っても友だちはいなくて架空の友だちといっしょにいる。ご飯を食べにお店に入ってもお皿を2枚余分にもらって並べる。

ケリーアンを架空の友だちから離すために、父がポビーとディンガンを車に乗せて採掘場に出かける。ちゃんとシートベルトをしめてやって見送るケリーアン。
父はいろいろ忙して帰りにはすっかり忘れて連れて帰らなかったので、ケリーアンは絶望する。あまりの悲しみように父親は採掘場にポビーとディンガンを捜しに行くのだが、他人の穴を踏んでしまい盗掘と騒がれる。
ケリーアンは入院することになり、その前にアシュモルに夜中にポビーとディンガンを探しに行ってもらう。アシュモルは採掘場でオパールを見つける。ディンガンのおへそについていたオパール。

子どもふたりが可愛くてけなげで、他愛ない映画だけど熱心に見てしまった。可愛い妹と頼れるお兄ちゃん、あたしにも夢見がちな子ども時代があったっけ(微笑)。

ベリンダ・バウアー『ラバーネッカー』

明日開かれる〈大阪翻訳ミステリ読書会〉の課題本をようやく読み終った。
ウェールズに住む青年パトリックの物語。読み終ってからベリンダ・バウアーはウェールズの人と知った。はじめて読む作家で名前も初めて知った。

パトリック・フォートはウェールズで生まれ育った18歳。アスペルガー症候群で幼いときから周囲の子どもらとうまくつきあえない。母はそんなわが子の存在に悩みアルコールに依存するようになる。父は息子に穏やかに接して母が酒で荒れているとパトリックをブレコン・ビーコンズ国立公園散歩に連れ出してくれた。
ところが、パトリックが8歳のときに父が車に轢かれて死んでしまう。父は道路で車をよけるために手をつなごうとあせるが、パトリックは手を振り払って後ずさった。車は父を轢いて走り去った。パトリックは死について異常な関心を持つようになる。

人から理解されない苦しい子ども時代ののち、パトリックは障碍者受け入れ枠のおかげでカーディフの大学に入れることになった。他の学生は医師になるために解剖学を勉強するが、パトリックは解剖学だけである。自分がしたいのはここでの作業だけだ。本物の生きている患者のそばに行くなんてぞっとする。

物語は横に広がり病院の脳神経科病棟のベッドに寝たきりの患者たちと看護師の個別の物語になる。
こだわるパトリックは亡くなった患者の死因を追求して、ついに殺人犯人を見つける。
情緒が通じず論理で攻めるパトリック。
(満園真木訳 小学館文庫 830円+税)

ウォシャウスキー兄弟 監督・脚本 『マトリックス リローデッド』

最初の「マトリックス」(1999)をレンタルビデオで見た覚えがあるのだが、感想を書いてなくて残念だ。その続編の「マトリックス リローデッド」(2003)をいま見た。
まあ映画の内容はよくある話なんだけど、主人公ネオを演じるキアヌ・リーブスの格闘技の美しい姿と静止したときの美しい顔に満足したからいいか。ネオが人類最後の都市ザイオンを救おうと戦いを続ける姿が美しい。
それにプラス、トリニティーを演じるキャリー=アン・モスのスタイリッシュな美しさにも驚いた。オートバイでの格闘シーンもとてもよかった。
このふたりの存在で人類の未来が明るく見えてきた(笑)。

A・S・A・ハリスン『妻の沈黙』(2)

しつこいくらいにジェラード教授によるジョディのセラピー場面がある。幼児体験を繰り返し質問される。父は薬剤師で薬局を経営していた。ジョディは年の離れた兄と弟の間の女の子で、親に可愛がられ兄はよく妹の面倒を見てくれた。ジョディは弟を可愛がった。しかしあるときから弟は変わり出して家族の手に負えなくなった。いまも常識人からみたら好き勝手な人生を送っている弟をジョディはいつも気にかけている。

入籍していなかったからトッドと別れると財産分与がないことを、相談した敏腕女性弁護士に指摘される。そのうちにトッドの弁護士から家からの退去命令書を送ってきた。30日以内に退去するように書いてある。ジョディは出て行く気持ちがない。ナターシャの父でトッドの友人のディーンから連絡がある。トッドのことを人の道を踏み外していると言い、会って話そうというのをジョディは断る。

結婚はしていなかったが、遺言状によって遺産はジョディのものになる。ナターシャと結婚したときに遺言書も書き換えられるだろう。
トッドが殺されたときは結婚式直前だった。当然、家も財産もジョディのものになる。しかも犯行時にはシカゴから離れたところにいた。警察はジョディに疑いの目を向ける。

A・S・A・ハリスンは2012年6月に本書が出版される前の4月に癌で亡くなった。デビュー作が遺作になった。
(山本やよい訳 ハヤカワ文庫 920円+税)

A・S・A・ハリスン『妻の沈黙』(1)

女性の横顔を描いた暗い色調の表紙と、「妻の沈黙」(原題 THE SILENT WIFF)というタイトルに惹かれた。

9月のはじめ、ジョディはキッチンで夕食の準備をしている。シカゴのコンドミニアムの27階で広い窓からは夕暮れの湖と空が見渡せる。夫のトッドが帰ってきて景色を眺めながら夕食。食前酒とワインとうまい料理と。
ジョディは45歳になったいまも若い女の気分で暮らしている。この瞬間に生きていて、いまの生活に満足している。トッドとの生活が20年も続いていてこれからも続いていくと信じている。足元にはゴールデン・レトリヴァーのフロイトがいる。

心理学を学ぶ大学生のジョディと、高校出で高い目的をもって不動産業で働いているトッド。二人は自動車事故で出会った。トッドは事業に成功しジョディは何不自由ない生活をしている。ジョディは自宅で午前中だけセラピーの仕事をしている。
大学卒業後ジョディはユング理論への疑念を消すことができず、実際的な見解を示すアドラーに興味を持った。そしてアドラー説の信奉者ジェラードのセラピーを受ける。子ども時代の話を聞きだされるうちにジョディの心のうちが現れる。

20年の間にトッドが何度も結婚を申し込んだのにジョディは受けなかった。子どもも生もうと思わなかった。最近はトッドは自分の子どもが欲しいと思っているようだ。
その夜、トッドは金曜日から釣りに行くから帰りは日曜日になると告げた。トッドはジョディを愛しているが、ときどき他の女性も好きになる。釣りには行かないとジョディにはわかっている。彼は高価な贈り物をくれた。
いままでは浮気されてもなにも知らないふりをしてきた。だが、今度の相手ナターシャは違う。ナターシャはトッドの友人ディーンの娘でまだ学生である。若い頃にトッドはディーンの両親にとても世話になった。そのナターシャが妊娠した。ナターシャは結婚式を挙げようと言い、子どもが生まれてから住む家をいっしょに探す。そして当然、離婚してくるよう要求する。

トッドが殺されたと警察から知らせの電話が入ったのは、ジョディがフロリダ州で開かれた学会に出ているときだった。
(山本やよい訳 ハヤカワ文庫 920円+税)

クロード・ベリ監督『幸せになるための恋のレシピ』

今日はラブコメディとか楽しい映画が見たいなとT氏のDVDを探したら、料理がテーマの中にこれが入っていた。フランス映画で主演がオドレイ・トトゥ(「アメリ」しか見ていないけど)というのがいいな。
2007年の作品。とても感じがよくて最後まで楽しく見られた。ハッピーエンドを通り越して最後は大団円。若者は手に仕事を! 老人は最後までわが家で過ごす! いまやフランスでも日本でも不可能に近い夢物語だけど、だからこそ楽しく映画で見せてもらったわけだ。

画家を目指して清掃のアルバイトをしながら屋根裏部屋で暮らすカミーユ(オドレイ・トトゥ)は、貴族出身のフィリペールと知り合う。食事に誘うと由緒ある食器をバスケットに入れてやってきた彼はカミーユの部屋が寒いのに気がつく。その後にカミーユがインフルエンザで苦しんでいると自分の部屋に連れて暖かくして看病する。同居人の女好きのコック フランクは反対するが、結局3人で暮らすことになる。
一人暮らしのフランクの祖母が病気で倒れ、養護施設に入れられるが猫のいる家に帰りたがる。カミーユは引き取って自分が介護するという。
険悪な関係ではじまったフランクとの仲が修復されていき、もしかして三角関係になるかと心配したが、そんなことにはならなくてよかった。

ペドロ・アルモドバル監督『バッド・エデュケーション』

ものすごーく好みの映画だった。
ずっと昔に見た「オール・アバウト・マイ・マザー」と、先日見たばかりの「抱擁のかけら」 と2本だけしか見ていない監督だが、半自伝的映画と知ったからには早く見たい。1980年代を描いた2004年の作品。美しい恋愛映画だった。

若くして成功し活躍している映画監督エンリケ(フェレ・マルティネス)のもとに、イグナシオだがいまはアンヘルと名乗る青年(ガエル・ガルシア・ベルナル)が訪ねてきた。イグナシオは16年前にエンリケが少年時代を過ごした神学校の寄宿舎の親友の名前だ。エンリケには彼がイグナシオと納得できないが、二人の少年時代を描いた脚本を持ってきて読んでほしい、映画に出演したいという。なにか納得できないものを感じるエンリケだが、脚本が素晴らしいので映画化することになった。

エンリケは脚本を読んで子ども時代を思い出す。
少年時代のイグナシオは聖歌隊員で美しいボーイソプラノで歌った。マノロ神父はイグナシオを寵愛していた。エンリケとイグナシオはスポーツや会話で惹かれ合うが、マノロ神父に邪推されてエンリケは退学になった。イグナシオは愛を失い神も失った。
それから16年、エンリケには過去のイグナシオとここにいる青年とが同じ人物とは思えない。彼の故郷を訪ねて母親に会い話を聞く。

イグナシオの弟が、田舎であんな兄がいたら近所の人たちにどう言われるかわかるかというところでわが家では同感の笑いが起こった。

二人の少年時代をやった少年二人とも美しい。
イグナシオ(アンヘル)と女装のサハラ役が、「モーターサイクル・ダイアリーズ」でゲバラをやったガエル・ガルシア・ベルナル。
わたしはエンリケ役のフェレ・マルティネスが好み。

ヘニング・マンケル『北京から来た男 上下』(3)

サンは結婚し子どもが生まれ大家族の家長となって周りの人たちから尊敬された。書くことをやめずに膨大な日記を遺した。それから150年経った2006年の中国は毛沢東の時代を経て資本主義の時代となっている。サンの子孫ヤ・ルーの両親は文化大革命で苦労したが、いま姉のホンクィは政府の仕事につき、ヤ・ルーは企業家として成功した。
北京の近代的なビルにあるオフィスで秘書や部下を支配し、自分の出世と金儲けの邪魔になるものを暴力で排除していく。姉だって容赦しない。そしてサンの子孫としてやるべきだと思ったことを、とんでもない手段で実現する。ネヴァダとヘッシューバレンで。

ヘルシングポリの裁判官ビルギッタは、母の養父母がヘッシューバレンで殺された一人であることから事件が気になり、アメリカでの似通った事件のことを警察に話すが無視される。健康チェックで休暇を取らされたので大学時代の友人が中国へ行くのに同行する。

すごい本だった。最初は警察小説かと思って読み進めると、150年前の中国の貧民たちがアメリカへ連れていかれ、アメリカの大陸横断鉄道を敷く仕事に携わる話が延々と続く。スウェーデンで起こったすさまじい大量殺人のもとはここにあった。
150年前の中国から、現代の中国へ話は続く。
女性裁判官ビルギッタが語り部のような存在になっていて読みやすかった。

ヘニング・マンケル『北京から来た男 上下』(2)

1863年の中国、サンと兄グオシーと弟ウーの3人兄弟が海へ向かって広東への長い道のりを歩いている。生まれた村の貧乏小作人の両親のところへ地主の雇い人がやってきて日々の責務を果たしていないと責めた。翌朝、両親は木の枝に首を吊って死んでいた。サンが見つけて降ろして寝かすと、長老のよろよろの老人がいますぐに逃げるように言う。彼らは必死で逃げ出した。3人の中ではサンがいちばんしっかりしている。
とうに食べるものがなく落ちている野菜屑を拾ったりしてしのいだ。犬がついてきたのをついに殺して食べる。町へ出てきても泊まるところがなく道ばたで眠ると、眠っているうちに水を入れている竹筒さえ盗まれる。仕事を探して歩き回るが3人を雇うものはいない。
結局、声をかけてきた男ズィにだまされて船に乗らされる。体調が悪かったウーは殺されて海へ投げ捨てられた。
1863年は何万人もの貧しい中国農民が攫われてアメリカへ連れて行かれた年だった。大きな海を渡っても貧しさはどこまでもついてきた。

アメリカの大陸横断鉄道を敷く仕事に携わった彼らの長い奴隷のような生活が描かれる。睨まれるとニトログリセリンを使って山を壊す危険な仕事ばかりやらされる。そこを逃げ出したこともあったが連れ戻されよけいに厳しい労働を強いられる。サンとグオシーはひたすら生き延びることだけ考えてきたが、とうとう奴隷労働が終る日が来た。
エイクソンという砂金で金持ちになった白人が馬車で東部へ向かうのに料理と洗濯のできるものを探しているのを知り応募する。ようやくニューヨークに着き賃金をもらった。

リバプールからの船客に2人のスウェーデン人がいた。宣教師で中国へキリスト教の布教に行くので中国語を教えてほしいという。途中で兄が亡くなりサンは2人のスウェーデン人とともに広東へもどった。
2人と縁が切れたのち、質素に暮らせば充分のお金を手にしているので、広東で小さな家を借りひっそりと暮らし始める。読書と書くことが彼の生活となった。両親が首をくくってからの日々を詳細に書いていく。

突然、150年前の中国の話になったが、アメリカでの奴隷のような労働と、スウェーデン人が登場して物語がつながる予感がする。

心斎橋大丸で『赤毛のアン展』を見て

「赤毛のアン展」の入場券をYさんが送ってくださった。わたしは「赤毛のアン」はあんまり好きでないのだが、長い間愛読している村岡花子訳のジーン・ポーター「リンバロストの乙女」と「そばかすの少年」に敬意を表して行くことにした。

1時間に1台のなんば行きバスに乗って心斎橋へ。乗りさえすれば大丸の前が停留所なので便利だ。エレベーターでご希望の階はと聞かれて7階と答えたら他の人もみんないっしょに降りた。
午後の3時頃だからかあまり混んでなくてゆっくりと見られた。テレビを見てないしアンにあまり興味がなかったのだが、ガラスケースの中にアンの本と並んで「リンバロストの乙女」と「そばかすの少年」の初版が展示してあった。わたしがこどものときに父にもらったのはタイトルが「黄色い皇帝蛾」で訳者は男性で抄訳だった。全訳の初版を見るのははじめてなので感動した。

帰りにお土産売り場で姉と姪親子のお盆みやげにアンの手提げ袋とハンカチを買った。百貨店の地下でない売り場を見るのは久しぶり。エスカレーターで降りながらときどき売り場を見学した。
地下で食品を買ってから東急ハンズへ。台所用品と菊花線香を買って帰った。