藤枝静男『田紳有楽』

先日のこと、雑誌「ワイヤード」vol.11 に〈WIRED大学/21世紀の教科書/「新しい世界」を考える42冊〉という記事があった。その中に藤枝静男の「田紳有楽・空気頭」(メディア美学者の武邑光裕氏が選んだ6冊中の1冊)が入っているのが気になった。名前は知っていたけど読んだことのない作家なので。
すぐに買って「田紳有楽」から読み出したのだけれど、どうにも歯が立たない。骨董の売買をしている男が骨董の価値をつけるために家の庭にある畳4枚ほどの池に皿やぐい飲みを沈める。そこにはいろんな生物が居着いている。そこへ買ってきた金魚を放すと、やがてぐい飲みと金魚が恋をして性交しこどもが産まれる。

ここらへんまで読んだらついていけなくなって、「空気頭」を読み出し、これも前半を読み終わったものの後半ががらりと変わるところで挫折した。
そこで、藤枝静男の本がもう1冊同じ文庫で出ているのに気付き「悲しいだけ・欣求浄土」を買った。こちらは「私小説」として静かに読めた。藤枝静男がどういう人だったかもわかったような気持ちになり、再び「田紳有楽」にもどる勇気がわいてきた。

もう一度読む気になるまで、ロマンチックなメアリ・バログ「秘密の真珠に」を読み、よしながふみのゲイの美青年が出てくるマンガ「西洋骨董洋菓子店」を読み、昨日はサガン「失われた横顔」を読んだ。

主人公の住む一軒家の庭には池があり、池の側にはユーカリ、ニセアカシア、夾竹桃、八つ手などが植わっている。主人が二階に上がると一人の男がいた。彼は話の後に「ではこれで」と池にピチャンと飛び込んだ。彼は池に沈められた陶器のうちの一個である。
話は変わって、「私は池の底に住む一個の志野グイ呑みである」とグイ呑みが語り出す。主人が多治見でもらってきたのを出がらしの茶につけられたりしたあげく池に放り込まれた。二枚の皿、一個の丼鉢、一個の抹茶茶碗と同居して池の底に沈んでいる。みんな中途半端な品物なので主人はこうして値打ちをつけようとしている。
今年の春先に縁日で買ってきた三匹の金魚が池に放たれた。うるさいなと思っただけだったが、小柄で丸やかな女出目金C子の姿を見てドキリとする(ドキリとしたのはグイ呑みである)。それからグイ呑みとC子の恋話が続く。
【「子供を生め、子供をつくろう」
と私は叫んだ。C子はそれに和して叫んだ。
「山川草木悉皆成仏、山川草木悉皆成仏」】

その次に現れるのは「柿の蔕」(かきのへた)と呼ばれている抹茶茶碗である。

なんとも面白い小説と思えるようになるまでずいぶんかかったが、面白いと思えるようになってうれしい。
(講談社文芸文庫)

サガンを読む雨の土曜日

寒い土曜日、気がついたらいつのまにか雨が降っている。こんな日は静かに読書ですね。フランソワーズ・サガンの本を引っ張り出した。
この本はもういらないと整理するつもりが、やっぱり捨てるのはもったいない置いておこうとなる。サガンの本は60年代から出たのをみんな買っていた。おおかた捨てたがすこしだけ残してある。
いちばん好きなジョゼの物語が「一年ののち」「すばらしい雲」「失われた横顔」とあって、2冊はわりとよく読んでいるが「失われた横顔」は最近読んでないので開いてみた。もしおもしろくなかったら捨てよう。この続き物語は3冊目はかなり後になって出たと記憶しているが、サガンはジョゼを幸せにして物語を終らそうと思ったみたいに理想的な相手が出てくる。それを思い出して、もう読まないなら捨てようかなと思ったのだが、微妙なところで置いておくことにした。まわりくどくてすみません。

ジョゼはアンニュイな雰囲気のパリに住む女性で恋のアバンチュールにこと欠かない。結婚したのは金持ちのアメリカ人のアランで病的に嫉妬深い。ジョゼがいくら逃げても執拗に探し出す。いまジョゼとアランはパリへ来て社交界に顔を出している。アパルトマンに帰るとアランはジョゼが話をした相手のことなど執拗に責める。
ジョゼをアランから引き離すのに手を貸して、別れた後の生活を支えてくれたのが社交界の大物である実業家のジュリュスで、彼もまたジョゼに執着する。自由と思ったのは大きく広げた男の手の中にいただけだった。そしてついにほんとうの愛を手に入れて物語は終る。

内田百閒『猫の耳の秋風』

積み重ねてある本の中に内田百閒が見えたので掘り出した。ずいぶん昔に読んだままで置いてあった。昭和57年発行ということは1982年、へえっパンク・ニューウェーブに夢中の時代に買ったのか。そういえばパンク少年少女たちには読書家が多かった。うちの本棚を物色していたミュージシャンがいたっけ、と遠い目。

わたしが百閒先生の本を最初に読んだのは父親が買っていた文芸雑誌で「阿呆列車」。なにがおもしろいのかわからんのにおもしろかった。その後、夏目漱石の弟子であることや造り酒屋の実家が破産してお金が無くなって借金の名人ということなど知った。ノラという猫が行方不明になったことも知っていたが、この話が身にしみたのは猫の花子がうちに来てからだ。ノラやクルを親身に思うようになった。

タイトルになっている「猫の耳の秋風」は愛猫クルへのせつない愛があふれていて涙が出そうになった。それと同時になんともエエカゲンとしかいいようのないお話もあって笑える。
先生が奥さんを「アビシニア国女王」と呼んでいる一編もある。タイトルも「アビシニア国女王」である。最後は哀愁漂う一編。
【なにげなく「アビシニア国」で検索したら1ページ目は内田百閒がずらりと出てきた。その他にこんなのがあった。大阪時事新報の1925年の記事「アビシニア王国 (上・下)」。(データ作成:2005.2 神戸大学附属図書館)】

狸を騙した話もおもしろかった。
話のおもしろさもあるけど、語り口のおもしろさがなんともいえない。
小型でしゃれた装丁で12冊出ているようだ。わたしはこれ1冊しか持ってない。全集を買ったような気がするのだがどこへ行ったやら。青空文庫には入っていない。
(六興愛蔵文庫 内田百閒作品集)

メアリ・バログ『秘密の真珠に』

ロンドンの夜。ドルリー・レーン劇場の芝居が終わって歩いたり馬車だったりと客たちは帰って行く。歩くからと知り合いの馬車を断ったアダム・ケント(リッジウェイ公爵)は暗がりの中にひとりの女性が立っているのを見つけた。客にありつけなかった街娼のようだ。暗い色のマントを着て身じろぎもしない。
彼は一夜の相手をしてもらえるかと問い女はうなづいた。
彼はワーテルローの戦いに参戦して顔から足までからだの片側に走る傷を負った。女はじっと彼を見つめていた。フルールと名乗った女は処女だった。
彼は充分な金を与えて消え去ったが、なぜか女を忘れられない。
「秘密の真珠に」はこんなドラマチックな出だしで物語がはじまる。
読み出すとリッジウェイ公爵の孤独な家庭生活、美しいが冷たい妻に優しく接しようと努力する姿が浮かび上がる。実は弟と妻の間の子である娘パメラを可愛がりパメラも実父だと信じている。

フルールは男爵令嬢だったが両親が早く亡くなり、親戚は世話をせずに冷たくあたる。大嫌いな従兄弟のマシューから求婚されて断るが、結婚しないと生きていけないような仕打ちを受ける。殺人と盗みの罪を巧妙に押し付けられたのだ。
家出したフルールはロンドンへ出たが働き口も推薦者もなく、一文無しになって娼婦になった。最初の客がアダムだった。
アダムの優秀な秘書ホートンは、フルールを探し出す。アダムは彼女を娘パメラの家庭教師に雇う。同じ屋敷に住むことになった二人は惹かれ合いつつも道徳心をもって礼儀正しく振る舞っている。フルールはありがたく思いつつも公爵が恐ろしい。しかしフルールが弾くピアノフォルテに公爵が魅せられ、一緒に馬を走らせているうちにだんだん好意を持つようになる。

そこへ現れたのがフルールの従兄弟マシュー。求婚と逮捕をちらつかせてフルールに迫る。フルールは早朝に屋敷を出て自分の屋敷へ逃げもどる。自分の育った家から逃げないでここで決着をつけよう。

「高慢と偏見」のダーシーさんみたいなアダム・ケント・リッジウェイ公爵は、同じように大きなお屋敷に賢い家政婦がいて、召使いを家族のように気遣う。ロンドンと田舎の屋敷を行き来する社交生活。「ジェーン・エア」のようなちょっと怖いが折り目正しい男性と可憐だけど気丈なヒロイン。映画「ゴスフォード・パーク」の主たちと召使いたちの姿が思い出される屋敷の日常生活。
すごく楽しく読んだ。全体を読んでからいいところを何度も読んだ。好きなんです、ロマンス小説。寝る前に読むとぐっすり眠れる。
(山本やよい訳 原書房 ライムブックス 990円+税)

荒俣宏編著『大都会隠居術』から宇野浩二、その連想で久保田万太郎

本書にはふだんは忘れている作家の作品が入っていてうれしい。永井荷風、谷崎潤一郎、内田百閒はわりと最近もなにかと読み返しているが、宇野浩二、里見弴あたりは忘れている。大岡昇平、稲垣足穂、江戸川乱歩も長いこと読んでいない。だから短編であろうと懐かしく読んだ。短編だから読めたわけだけど。

さっき今日はだれの作品のことを書こうかと見ていて、宇野浩二の名前を見たら突然、久保田万太郎という名前が浮かんだ。本書には登場しないし、それにまず、わたしは久保田万太郎の作品を読んだことがあるのかなぁ。
こどものころに家にあった文芸雑誌や日本文学全集の類いで読んだかもしれない。
で、こういうときの青空文庫だ。
タイトルが気に入った「三の酉」を読んでみる。男と女の会話がすごく気に入った。

わたしと女の会話。女は「十五の春から四十台の今日が日まで、三十年、ずッと芸妓をして」きた。
【五(章の最後のところ)
――一日だけ、あなたの奥さんになって上げるのよ。
――あなたの奥さんに? ……
――あなた、いま、いったじゃァありませんか、女のほうでマスクをかけてると、ちゃんとした夫婦として、人が彼これいわない……
――あゝ、それか……
――その代り、帰りの金田の勘定は、りッぱにあなたが払うのよ……

六(第六章はこれだけである)

……おさわは、しかし、その年の酉の市の来るのをまたずに死んだ。……二三年まえのはなしである。

たか/″\とあはれは三の酉の月

というぼくの句に、おさわへのぼくの思慕のかげがさしているという人があっても、ぼくは、決して、それを否(いな)まないだろう……】

荒俣宏編著『大都会隠居術』から永井荷風『短夜』

1989年発行の本が本箱の隅にひっそりと入っていた。若くして隠居指向だったわたしが(笑)、当時人気の荒俣宏氏が編集した本ということで買ったのだった。
いま読んですごい本である。序「老いて成りたや巷なる妻子泣かせの放蕩児」からはじまって第1ステップ「都会隠居術事始め」、第2ステップ「都会に潜む悦楽」、第3ステップ「それぞれの隠居たち」、第4ステップ「そして、死との対面」となっていて、それぞれに荒俣氏が選び抜いた、有名無名の作家による文章がある。作品の前に荒俣氏の短い紹介文があるのがとてもよいのだ。

今回読んでしみじみ好きになった永井荷風の「短夜」(みじかよ)の紹介文から。
【「短夜」は現世の波にもまれるばかりで、真の男女の情交を味わえずにいる男たちへの、最大の慰めといえる。編者はこれを読み返すたびに全身がわななく。涙があふれてくる。(中略)都会隠居にぜひとも必要なのは、肉体の交わりを忘れさせるほど心打つ物語を、果てしなく語ってくれる伴侶なのである。】
「短夜」では、男の言葉と女の言葉が交互に語られる。無粋な電灯の灯を消して、小窓の外の夜の光に照らされた女の横顔の輪郭だけを四畳半の闇の中から区別している。【繊細な然し鋭いお前の爪先で弛んでしまった私の心の絲を弾け。】

この掌編ひとつでこの本を長年置いていた元が取れた気持ち。もちろんこれだけでなく他にも心惹かれる物語があるので、折々に紹介していこうと思う。
(光文社 〔光る話〕の花束5 1262円+税)

ピーター・キャメロン『最終目的地』

ジェームズ・アイヴォリー監督の作品の中で「最終目的地」がいちばん気に入ったと、DVDを貸してくださったT氏にメールしたら、「それはkumikoさんの腐女子成分の琴線に触れたからかも」と返信があった。それはそうかもと思う部分はあり(笑)。

すぐに原作をアマゾンに注文して、すぐに読んでしまったが、ずいぶんと余韻が残っている。すごーく静かな作品なのだ。400ページを超える長い物語なのに、長さを感じさせない、ただ最後まで静かなのである。

ストーリーは映画とほとんど同じなのでここでは違う箇所だけ。

作家グントの兄アダムの恋人ピートは映画では真田広之がやっていて、徳之島生まれの日本人で15歳のときから知り合って25年ということだったが、原作はタイ人でもっと若い。映画ではここが最終目的地だと言っていたけど、原作は違っていた。どっちもなるほどと思えた。

主人公オマーは小説も映画も同じように静かで考え深い青年。イランのテヘラン生まれの移民で父親は医者で息子も医者にしたいのに、彼は文学を選んだ。彼を主人公にしたのでこの作品が成立したのだと思う。恋人のディアドラはアメリカ女性としてすごくいいひとなのに、すれ違うところがある。

ついにキャロラインから伝記執筆OKが出たが、オマーは書かないと決める。
アメリカに戻ったオマーはディアドラと別れて、アーデンに会いに再びウルグアイに行く。
ウルグアイの屋敷の枯れた湖にアダムとグントの両親がベネチアから運んできた船が置いてあった。蜂に刺される前にオマーとアーデンはその船ではじめて抱き合ったのだった。

キャロラインとグントがウルグアイに住んだわけもわかった。キャロラインの妹が死んでニューヨークのアパートを姉に遺した。キャロラインはニューヨークにもどって暮らすことにする。実は昔ニューヨークに住んでいたとき、妹とグントが恋人どうしだったのをキャロラインが奪い、グントとふたりでウルグアイに逃げたのだ。

物語の終わりは数年後のニューヨーク。オペラ「ホフマン物語」の幕間。観客の中にディアドラはキャロラインを見つける。二人とも男性とともに盛装していて美しい。次の幕ではベネチアの舟歌が歌われる。

オマーが他の南米の作家について書いた本が刊行されているのをディアドラが書店で見つけて買う。著者紹介で、オマーは妻と二人の娘とともにウルグアイ在住と記してあった。

装丁がおしゃれで内容とぴったり。
(岩本正恵訳 新潮クレストブックス 2400円+税)

与謝野晶子訳『源氏物語』を青空文庫で

青空文庫にはずっとお世話になっている。いろんな作品を読ませてもらってきた。大好きな「半七捕物帳」と「大菩薩峠」、宮本百合子と横光利一の昔読んだ本、泉鏡花と坂口安吾は全集を持っているのにいつもここで読んでいる。

さて、いまは与謝野晶子訳の「源氏物語」。
Sさんに貸していただいた大和和紀のマンガ「あさきゆめみし」で源氏物語熱に火がついた。ざっと読んであらすじだけつかんで、また読んで物語に捉えられ、三度目は物語を味わった。こうなると今度は文章で読んでみたい。

わたしが「源氏物語」を最初に読んだのが与謝野晶子訳、次に谷崎潤一郎訳、そして円地文子訳、それから橋本治「窯変源氏物語」。岩波文庫の原文のを途中まで読んでいたが、もうあかんわと最近捨てた。文字が小さいし紙は黄色くなってるし、という言い訳で(笑)。
与謝野晶子訳がこんなにおもしろいとは思わなかった。もっと古風な文章だと思っていたら、論理的な文章だ。原作はどんなか読んでみたくなる(笑)。

いま読んでいるのは「若紫」で紫の上との出会いのところ。まだこれからだがマンガの印象からいくと紫の上は完璧すぎる。さっき読んだ前の章の「夕顔」のなんともいえない怪しさに惹き込まれた。

ジーン・ポーター『そばかすの少年』

リンジー・フェイの「ゴッサムの神々 上下」を読んでいたら息が詰まってきたので、ちょっとゆるめようと「そばかすの少年」を引っ張り出した。「ゴッサム」はニューヨークの警察制度が発足した1845年を書いている。当時のニューヨークにはじゃがいも飢饉などによるアイルランドからの移民がたくさんいて悲惨な目に遭っていた。子どもたちが売春させられ殺されるところを読んでいたらちょっとひと休みしたくなった。

それで読みたくなったのが「そばかす」。アイルランドからアメリカ・シカゴへ恋人を追って行った貴族の子息が苦労した末に死に、火事で妻も亡くなり、怪我をして遺された息子は名前もわからぬまま孤児院で育つ。火事で右腕を失ったので養子の口もない。学校に紹介された家で虐待され家出して職を探す。
リンバロストの森の木材会社になんでもするからと支配人に頼むと、森の番人の仕事を与えられる。名前はと聞かれて「そばかす」と言うと、スコットランド人の支配人はマックリーンと自分の名前を彼に与えて名簿に記す。
リンバロストの深い森と沼地には立派な木材になる木がたくさんあり、マックリーン支配人は有刺鉄線で自分の広大な土地を囲っているが、泥棒が狙っている。毎日そこを歩いて見廻るのがそばかすの仕事になり、彼は誠心誠意働き、森の植物と動物について体で学ぶ。マックリーンにはそばかすが日ごとにわが子のように思えてくる。

森に研究のためにやってきた「鳥のおばさん」と呼ばれている女性学者といっしょに来た少女エンゼルとの交流はそばかすに生き甲斐を与えた。エンゼルを熱愛するが、身分違いのために苦しむ。
最後はエンゼルが奮闘して、アイルランドから甥を捜しにきた貴族を見つける。めでたし、めでたし。

その後、「そばかす」は「オ・モーア」となり、ジーン・ポーターの次の作品「リンバロストの少女」では、主人公の少女エルノラが困ったときに助けを求めると快く引き受ける。妻のエンゼルとの間に子どもが4人でもっと産むとエンゼルは言っている。
ともにリンバロストの森の魅力がいっぱいで楽しく、わたしが10歳ごろから愛読している少女小説。そのとき読んだ本はなくして児童図書館でコピーをとってもらったが、20数年前に文庫本が出ているのを発見した。
(村岡花子訳 角川文庫マイディア・ストーリー)

フィリップ・J・デイヴィス『ケンブリッジの哲学する猫』

先月のヴィク・ファン・クラブ例会は一人例会になったので、2時間本を読んだあとにジュンク堂へ行った。そのとき買った本の1冊がフィリップ・J・デイヴィス「ケンブリッジの哲学する猫」(ハヤカワNF文庫)。ずいぶん昔に評判になったのを覚えていたが、最後のページに社会思想社から1992年に単行本で出版されたとある。読みたいと思ったのに買うのを忘れていた本だ。
これはギネスを飲みながら読むのにふさわしいと置いておき、今日は本書を持ってシャーロック・ホームズへ。思った通りの一人例会になり、ギネスとサーモンサラダとサンドイッチを食しながら読みふけった。コーヒーを飲んでちょうど2時間、最後はフルスピードで読み終え、帰ってからもう一度開いて楽しんでいる。

トマス・グレイと名付けられた雌猫の物語。
イングランド東部の沼沢地で生まれた彼女は、独り立ちできるようになったので地元の職業カウンセラー猫に会いに行く。老雌猫のメフラウはオランダからあるじ一家とやってきた出稼ぎ労働者である。メフラウは彼女の優秀な知能とはきはきした話し方から判断して、ケンブリッジへ行くことを勧める。
彼女はケム川を遡る船に乗り何度か乗り換え、ケンブリッジに到着するとひらりと船から飛び降りてコレッジの中庭に入っていった。
コレッジでいろいろな学者といろいろな出会いがあって、トマス・グレイという名前をもらい、ケンブリッジ大学の中枢で暮らすことになる。
トマス・グレイはルーカス・ファイスト博士の部屋に入りごろにゃんと呼びかけ、この学者をたちまち魅了した。ひとりの学者と一匹の猫の恋愛ともいえる関係。
このあとの物語がすごくおもしろくてためになる。そしてほんわかする。
たくさん入っているイラストがオシャレ。猫がめちゃくちゃ可愛く描かれている。
(深町真理子訳 ハヤカワNF文庫 700円+税)