ガイ・リッチー監督『シャーロック・ホームズ』

気楽に見られる映画を見たいと(最近これが多い-笑)選んだ。ガイ・リッチー監督「シャーロック・ホームズ」(2008年製作)。シャーロック・ホームズがロバート・ダウニーJrでワトソン博士がジュード・ロウ。
映画でもテレビでも見たことのないシャーロック・ホームズ。本のほうも子どものころに読んだきり。10年くらい前にローリー・R・キング「シャーロック・ホームズの愛弟子」シリーズで、ホームズが一目惚れしたメアリ・ラッセルと後に結婚するという驚きの作品に惚れ込んで、翻訳のあるものは全部読んだ。シリーズ4冊目の「バスカヴィルの謎」を読んだとき本家コナン・ドイルの「バスカヴィルの犬」を読んで、おもしろくてうなった。そのときはシャーロック・ホームズを全部読もうと思ったのだが・・・。

映画「シャーロック・ホームズ」は賛否あると思うけど、わたしはおもしろかった。19世紀末のロンドンの街を馬車が駆けて行くのがうれしい。テームズ川がたっぷりと出てきた。室内のインテリアや服装などもよかった。
わたしはホームズが格闘家であることを知らなかったので、はじめのほうの闘うシーンの長さに驚いた。「マッドマックス」を思い出したくらいに。このシーンがあったから後の活劇が納得できた。
魔術を使った犯人=支配者の術を合理的に解き明かすところが、19世紀に生きるホームズなのだ。悪いほうは南北戦争で疲弊しているアメリカを大英帝国に取り込もうとしている。そのためにまず議会を乗っ取ろうとする。ホームズが知恵を絞り出し魔術と闘う。ワトソンが助ける。
ホームズはちょっと異常な感じもあるインテリで格闘家、ワトソンは正統的な美男で、助け合っている以上に愛し合っているような微妙な感じがよかった。

アイスランドの作家 アーナルデュル・インドリダソン

アイスランドの作家アーナルデュル・インドリダソン「緑衣の女」(2001 日本語訳は2013)を読み終って、もう一冊訳されていた前の作品「湿地」(2000 日本語訳は2012)を慌てて買って読んでいる。ものすごくおもしろいけど、その内容はというと、強姦(湿地)と家庭内暴力(緑衣の女)による悲劇から生まれた殺人なのである。
「湿地」は女性が強姦され警察に行っても相手にされなかったが、その強姦による結果が犯罪のもととなった。「緑衣の女」はすさまじい家庭内暴力が主題である。

アイスランドの首都レイキャヴィクの犯罪捜査官エーレンデュルが主人公のシリーズで、彼は同僚とともに事件に取り組む。
不幸な結婚をして離婚し、娘と息子がいるが長いこと会えなかった。娘がやってきたら妊娠しておりなんとかクスリをやめたいと言う。
「湿地」を読んでいると「緑衣の女」でわからなかったことが、こういうことがあって、娘はああなったのかと合点。
ああ、早く読んでしまおう。

アーナルデュル・インドリダソンとエーレンデュル捜査官はヘニング・マンケルのクルト・ヴァランダー刑事のシリーズについで好きな作家とシリーズになった。

布の袋の心地よさ

布袋が大好きと何度も書いてきた。引き出しいくつかにいっぱい布袋があるし、服の棚にも布袋が押し込んである。整理しようと思うのだがそれぞれに愛着があって捨てがたい。もったいなくて持たないのもある。色の好みだけで買った大き過ぎるトートバッグもある。
で、もう、そろそろそのようなものは買うのをやめて、皮のきちんとしたのを一つ買おうかなと、時間があるとバッグ売り場を見て歩いていた。もうそれで打ち止めにするくらいのバッグが欲しい。そしたら夏物のカゴとか編んだやつとかは買わない。

ところが、今日ちょっと堀江に出たので寄った〈インポート古着&レディースセレクトショップ「ジョローナ」〉で新しい出合い。とってもステキな布バッグ♪ 肩に掛けたらすごく可愛い。小さく見えるがほとんど円形なのでたくさん入る。縫製がしっかりしてる。
今日持っていた古い編みバッグから中身を出してバッグのほうは即捨てた。新しいバッグに必需品がしっかりとおさまった。散歩したいな。

クリストファー・ノーラン監督・脚本・製作『インセプション』

クリストファー・ノーラン監督の2010年のSF映画である。ウィキペディアによるとノーラン監督は10年ほど前から構想を練っていたそうで、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの「伝奇集」の短編から着想を得たそうだ。
というようなことを見た後で読んだのだが、予備知識なしで見たものだから、ちんぷんかんぷんなところが多かった。だけど映像と音楽が美しいのでじゅうぶん楽しめた。
主人公がレオナルド・ディカプリオで、わたしはあまり彼の映画を見てないけど、やっぱりオトコマエだ。そして亡き妻役のマリオン・コティヤールの美しさ。見ているうちに「去年マリエンバードで」( アラン・レネ監督)の女性を思い出していた。デルフィーヌ・セイリグと同じように夢のような美しさ。
あとで知ったが、マリオン・コティヤールはフランス人だった。ふと気がついた、リドリー・スコット監督の「プロヴァンスの贈りもの」に出てた人だ。

ディカプリオが人の夢に入り込んでアイディアを盗み取る企業スパイのドム・コブ、依頼主の強大な権力を持つ資本家サイトーが渡辺謙。その他、コブの長年の相棒、夢の世界を構築する設計士、偽装師、調合師がサイトーのライバル会社の解体を目指して動きだす。
劇中にエディット・ピアフの「水に流して」が使用されているというのに気がつかなかった。いちばん最後に流れたときに、あれっ知ってるシャンソンが流れてる〜と気がついて、いまYouTubeを検索して聞いた。

あ、割れてる

さっき晩ご飯の食器を洗おうと流し台の前に立ったら、古いスープ皿がぽかんと割れていた。勤続疲労ですね。70年ごろに5枚買ったもので、わりと早めに3枚割って、2枚になってからは永久にあるんとちゃうかと思うほど使っていた。あーあ、あと1枚になってしもた。
大阪駅内にあった専門店街の瀬戸物屋で買って、きれいに包んでくれたのを大事そうに持って歩いていたら男友だちに偶然出会った。
「ケーキ、買うたん?」「ちゃうちゃう、お皿、カワイイのがあってん」という会話を交わしたのを彼の顔まで覚えている。その後、彼がうちに来たときにその皿でカレーを食べさせてあげたっけ。その彼、いまどうしているかしら。

うちにずっとある食器でこの皿より古い物はあるかなと考えたら、小鉢がいくつかやっぱりその店で買っていた。
その後は、食器を買いに行ったことはなくて、たまたま見かけて気に入ったから買ったものばかり。揃ったのはなくて2個を基本に買って、1個割っていまは1個というのが多い。スープ皿5枚なんて豪勢な買い物をしたもんだが、まだそのころは食器は揃っているものという考えがあったのかな。でも、その他には揃ったものなんて買ってないし。

代わりを急いで買ったりしないであるもので間に合わそう。そのうち、これって物が目に入ったら買おう。

親知らずを抜いた日

1985年6月20日の出来事を16日に書いた。読んだ相方が、そのとき救急車に乗るまでの担架で太陽がぎんぎんに燃えているのを見ていたと思い出話。白昼堂々だから近所の会社の人とかいっぱい見に来てた。
ほんまに昨日のように思えるけど29年前のことだ。
大量の輸血をしたけどC型肝炎にならなくてラッキーだった。
猫の写真を枕元に、そのころ凝っていたセントポーリアの鉢植えをたくさん置いたり、健康体操を見舞いにきた友だちに教えてもらったり、入院生活を楽しんだ。

わたしはこのときと思って前から行くつもりだった歯医者に行って、1本残っていた親知らずを診てもらった。御堂筋沿いのビルにある立派な歯科医院に行ってみたら先生も立派な感じ。午前中に抜いてもらって仕事場に帰り、1階にある食堂に定食を出前してもらって食べた。それから相方の病院へ行ったら、麻酔がまわってきたのかふらふらする。今日は帰って寝るわとそうそうに引き上げた。
翌日、先生に晩ご飯が食べられましたかと尋ねられ、えっ、昼ご飯も食べましたと言ったら豪傑やなと呆れられた。先に言うてくれなわからんやん。

まあ、そんなことがあった年で、秋には阪神タイガースが優勝した。わたしらは梅田へ出て御堂筋を行進して道頓堀で大騒ぎしたっけ。

J・J・エイブラムス監督『スター・トレック』 (2009年の映画)

1980年ごろのこと、若い友人たちが「スター・トレック」の映画がくると騒いでいたのをまだ覚えている。わたしはそのとき「スター・トレック」を知らなかったし、まだパソコンのない時代だから検索もできず(笑)もやもやしていた。そのころもテレビを持ってなかったからもちろんテレビドラマを知らなかった。そんなもんで映画も見に行かなかったが、みんなおもしろかったそうで、いろいろ話は聞いた。

その後テレビを買って夜の11時頃からの再放送を見ることになる。映画は2作目から映画館で見るようになった。
テレビの放映はのちのちサンテレビがするようになって、けっこう長い期間「スター・トレック」のファンであった。同じものを何度も見た記憶がある。何度見てもおもしろい(笑)。
ドラマの中では操縦室が好きだったが。いちばん好きなのは「転送」シーンだ(笑)。

今回の「スター・トレック」では、スポックのお父さんをテレビでスポックをやっていたレナード・ニモイがやっていて懐かしかった。年を取りはったけどしゃんとしてはる。次の作品「スター・トレック イントゥ・ダークネス」にも出ているので楽しみ。お母さんの役はなんとも懐かしいウィノナ・ライダーがやっている。
そう、この作品はカーク船長とスポック博士の成長物語なのである。ふたりの間の確執も描かれている。艱難辛苦を越えて理解し合い共に宇宙平和のために戦うという物語の第一歩。次作「スター・トレック イントゥ・ダークネス」が楽しみ。

6月は晴れて7月は大雨だった1985年

阪神タイガースが優勝した年の6月の20日はよく晴れていた。梅雨に入っていたのに雨が降らずに暑かった。前の夜から胃が痛いと言ってよく眠れなかった相方が、その日の納品する仕事をすませてほっとしたら血を吐いて倒れた。
救急車を頼んで病院へ運んだら胃潰瘍で即入院となった。
仕事は休業することにした。
結局は入院1カ月と自宅療養1カ月で、そのあとも無茶働きはやめたので、そのときから金欠病にかかっていまにいたる。

わたしは毎日午前中は仕事場に行って午後から病院に行った。7月に入ったら雨が降り出した。毎日傘をさして長靴を履き病院のある川向こうまで歩いて行った。途中に松島公園がありクチナシの花がたくさん咲いていた。夕食のときはテレビで大相撲をやっていた。千代の富士の時代だった。
夕方は家に帰って猫の花子と阪神タイガースの試合を見ていた。毎日雨なので洗濯物が乾かなくて寝間着にアイロンかけたっけ。

今日、公園を通ったらクチナシが咲きかけていた。それを見て85年を思い出したんだけど、いまから29年前やん。
それからはたいした病気もせずに二人とも生きている。退院してからタバコを止めたのと仕事をセーブしたのがよかったみたい。そしてコンピュータで仕事のやり方が変わったこともよかった。
それから後は何度も書いているけど、一日二食と菜食。

「道草」読んで暗くなっている

なんだか気分が暗いのは梅雨のせいではなくて、漱石「道草」の健三と妻とのやりとりを反芻してるから。われながら読んでる本に影響されやすい。お金を借りに来る人たちになけなしのお金を渡したり、自身が知り合いに借りてつくったお金を渡したりする。思っていなかった原稿料が入ったときは自分の趣味のものを買うから健三はそれでいいけど。
漱石夫妻のことでアタマがぐるぐるまわっているのに、今日はまたすっかり内容を忘れていた「彼岸過迄」を読み出した。「彼岸過迄」「行人」「こころ」が後期三部作と呼ばれているのも知らなかった。ちなみに前期三部作は 「三四郎」「それから」「門」である。これは知っていた。
漱石はほんまにおもしろい。ゆるりと読んでいくつもり。なんて、読み出したらおもしろいからめちゃ速読してしまう。

VFC会報はぼちぼちとやっている。今月もけっこうなページになりそう。こちらも梅雨のせいかとっとといかない。明日やろうと毎月同じことを言っている。

夏目漱石『道草』

昨夜から読み出したらおもしろくて手放せない。結局さっきまで読んでいて読了。
キンドルを買ってから青空文庫の夏目漱石を読むようになった。パソコンの画面で読むよりも文庫本感覚で読めるからかな。
何十年間も漱石を読むということは、全集でなく文庫本で「明暗」「虞美人草」「三四郎」と「草枕」を読むということだった。特に「草枕」は持ち歩いて読んでいる。好みが固まったままなので、これはいかんと先日久しぶりに「行人」を読んだ。二郎の苦悩、一郎の苦悩、いる場所を失い投げやりにならざるを得ない嫂。近代恋愛小説だった。

「道草」は夫と妻の物語である。漱石夫妻の姿を自ら描いた私小説。
健三は3年間のイギリス留学から帰ってきた。ある日かつての養父 島田と道ですれ違い、間違いなく彼だと確信する。間もなく島田がやってきた。顔つきや着るものの描写がすごくリアルでディケンズのよう。それから金を貸せと頼まれ迫られる物語がはじまる。元養父母、そして間に立ってやってくる人たち、実姉、実兄、尾羽打ち枯らした妻の父親。金のなる木とばかり、たかる、たかる。
長編小説の最後のほうで、順番は「彼岸過迄」「行人」「こゝろ」「道草」「明暗」。